2010年2月 「新宿さくらや」

「安さ爆発」で一時代を築いた家電チェーン

「安さ爆発、カメラのさくらや」というコピーで一世を風靡した首都圏中心の家電量販店チェーン。もともとは1946年、新宿でサクラ屋カメラとして創業、1970年代から経済成長の波に乗り「カメラのさくらや」としてカメラ中心の量販店で成長し、「ヨドバシカメラ」、「ビックカメラ」と並ぶ一大チェーンだった。新宿東口駅前店は、駅前で入りやすく、欲しいものがある時は気軽に利用した。紀伊国屋裏にはホビー館があり、ゲームソフトや模型、フィギュアなどを扱い、見るだけで楽しかった。しかし家電競争に敗れ、2010年全ての店舗を閉鎖。新宿東口駅前店は現在、『ビックカメラ 新宿東口駅前店』に変わっている。

2010年3月 「吉祥寺ロンロン」

改札前の大きな書店が懐かしい

吉祥寺駅の駅ビルとして1969年オープン。駅高架下の商業施設でJRの改札からも直結し、吉祥寺の表玄関として栄えた。JRグループの傘下となった事で、2010年3月閉館し、『アトレ吉祥寺』として生まれ変わった。2階の改札を出たところにあった「弘栄堂書店」(現『ブックファースト』)は、待ち合わせの合間や帰りぎわによく立ち寄ったものだ。『アトレ吉祥寺』となった今でも、1階奥の食品売り場はロンロン市場といい、ロンロンの名前が残っている。

2010年3月 「伊勢丹吉祥寺店」

吉祥寺の中心にあったランドマーク

1971年オープン、「東急百貨店」、今は亡き「近鉄」と共に、吉祥寺発展の一翼を担った。特に「伊勢丹」は、街の中心にあり、周辺地域の買い物スポットとして繁栄した。2000年代に入り、百貨店業界の低迷、他店舗との競争激化で、2010年3月、38年の歴史を閉じた。現在は、同じF&Fビル内に、ショッピングセンター『コピス吉祥寺』として営業しており、上階には「石井スポーツ」や「ジュンク堂書店」が入っている。

2010年3月 「新宿厚生年金会館」

東京を代表するコンサートホール

1961年オープン。「渋谷公会堂」、「中野サンプラザ」と並ぶ、東京を代表する2000人クラスのコンサートホールだった。しかし、民間への売却や老朽化のため、2010年3月いっぱいで閉館した。最後は、さだまさしと松山千春が続けて有終の美を飾った。入ってすぐのレッドカーペットの階段が印象的、大人の雰囲気を漂わす品のいいホールで、大きさ、音響、客席の角度などとても観やすいホールだった。高橋真梨子など大人のアーティストの落ち着いたコンサートから、TOTO、ホール&オーツ、トーキングヘッズなどのロックまで大いに楽しませてもらった。現在は新たなビルが建ち、今やどこが厚生年金会館だったのか分からないほどである。

2010年4月 「四代目歌舞伎座」

登録有形文化財でもあった名建築

最初は1889年に開場した歌舞伎座だが、三代目が空襲で焼失。1951年建てられた四代目の歌舞伎座が老朽化、耐震性などから、2010年4月いっぱいで閉場した。格式と伝統のある、登録有形文化財でもあった素晴らしい建物で、内部も歌舞伎の世界に入ってゆく独特の空気感と、思わず襟を正してしまう雰囲気を醸しだしていた。2013年、オフィスビル、歌舞伎座タワーに併設された新しい歌舞伎座に生まれ変わり、地下の木挽町広場や歌舞伎座ギャラリーなどが新設され、まさに新しい時代にふさわしい変容と進化を遂げている。

2010年8月 「HMV渋谷店」

渋谷系はここから生まれた

最初は、1990年渋谷文化村通りのビル内にオープン。渋谷系音楽の発信地として若者たちの人気を集めた。1998年センター街に移り面積を拡大、アクセスもよくタワーレコード、ディスクユニオンらと共に、最先端の音楽基地として隆盛を誇り、“HMV文化”として君臨した。インストアイベントやミニライブも頻繁に行い、J-WAVEのサテライトスタジオも人気を集めた。私はタワー派だったが、駅から近いHMVには空いた時間によくのぞきに行ったものだ。今世紀に入ってからのCD不況、配信などの浸透で低迷が続き、2010年8月一旦閉店。現在は「HMV&BOOKS SHIBUYA」として、公園通りの「MODI」内で営業している。旧HMV跡地はその後、「FOREVER21」から、先月、「IKEA渋谷店」に変わった。

2010年12月 「西武有楽町店」

マリオンの中の不思議なデパート

有楽町のシンボルだった日本劇場(日劇)が閉館した後、同場所にオープンした有楽町マリオン内に、1984年開店。「そごう」や、隣の「阪急」と共に有楽町を代表するデパートだったが、他のブランド店やファストファッション店に押され、2010年12月、その短い歴史を終えた。確かに売り場面積も狭く、印象の薄いデパートだった。2011年、この場所は『ルミネ有楽町』に変わっている。

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「東京さよならアルバム」シリーズ

日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回は第5弾として、時代をさかのぼり2006年から2009年に消えていった風景を紹介します。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。でもここ数年、街の変化のスピードは加速度的に高くなっています。戦後75年、高度成長からも50年経って、老朽化に伴う閉鎖、また東京オリパラに向けての再開発が進んだのも要因の一つ。特に渋谷、銀座地区の変貌は目をみはるものがあります。そんな気運を受けて、短期連載「東京さよならアルバム」を始めさせていただくことになりました。今回はその第1弾、閉鎖の”ピーク”ともいえる2014年上期に消えた風景たちです。素人写真ですが、あの時代を懐かしく思い出してもらえれば幸いです。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第二弾として、引き続き閉館の“ピーク”であった2014年下期に消えていった風景を紹介します。写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第三弾として、2015年上半期に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫
日々、街の表情が大きく変化する東京。2006年、私はふと思い立って、消えていく風景を写真に納めることにしました。「消えたものはもう戻らない。みんながこれを見て懐かしく感じてくれたらうれしいな」とそれぐらいの気持ちで始めた趣味でした。そんな、東京から消えていった風景を集めた短期連載「東京さよならアルバム」。今回はその第四弾として、2015年下半期に消えていった風景を紹介します。 写真・文=齋藤 薫