友達に石神井を案内するなら、まずは『ちゃのま』から
地元に新しい酒場ができたとあれば行ってみないわけにはいかない。が、小粋すぎる佇まいと、「酒・とんかつ」という、ちょっと変わった組み合わせのちょうちん。もしかしたら大手会社の資本による、SNS映え的ヒットを狙った店である可能性もあるのではないか?
我ながら性格の悪いことだと思うけど、とにかくまずは「様子見」という感覚で、のれんをくぐってみることにした。
先に結論から言っておくと、『ちゃのま』は、決してそういう店ではなかった。志を持った若き主人が、ご両親の想いも受け継ぎつつ作りあげた、まるで酒場の理想郷のような店だった。僕は、自分の性根を恥じた。そしてこの店の魅力に、一発で骨抜きになってしまった。
以来、たまに友達に「石神井公園の飲み屋を案内してよ」なんて言われると、まずは必ず『くうのむ ちゃのま』から始めることにしている。その理由は、この記事を読み進めるとわかってもらえることだろう。
ではでは、今日もキンキンの生ビールから始めよう!
ちょっと気の利いたお通しは、重要な酒場文化だと思う。いつ来ても、そんな嬉しさを味わわせてくれる店だ。
さてさて、先ほど「真っ先に人を連れてくる店」と言った理由は、次の一品を見ればすぐに理解してもらえると思う。特に複数人で訪れる際には必ず最初に頼むべきなのが、店の名物のひとつであるこちら。
上から時計回りにパクチートマト、おひたし、なめこと春菊の白和え、ポテトサラダ、じゃこピーマン、茄子の揚げびたし、そして中央がにんじんサラダ。
地物野菜をふんだんに使い、ひとつひとつ丁寧に作られたおばんざいたち。もちろん単品でも頼めるが、気前の良い盛り合わせがなんと1000円! この皿が運ばれて来た瞬間、ときめかない酒飲みがはたしているだろうか?
実際、初めての人と来てさりげなく「頼んどこっか」なんて注文しておき、この皿が届いた瞬間に歓声が上がらなかったことがない。そしてまた、どれもしみじみと美味しいんだよな……。
極上のカツオ塩タタキに、下町の煮込み
チャーリーさんは大学時代、何気なく居酒屋でアルバイトを始めた。するとこれが性に合っていたのか、学業そっちのけで飲食業の魅力にのめりこんでしまう。やがて、三鷹や吉祥寺など中央線沿線におもしろい飲み屋を複数出している「パンダグループ」に就職。10年間、飲食業界で経験を積んだ。
当然「いつかは独立したい」と考え、資金を貯めていたチャーリーさん。その準備が整い、なじみのある中央線沿線で物件を探すも、なかなか良い場所が見つからない。そんななか、知り合いからの「ちょうどいい物件がある」との紹介で出合ったのが、現在の店舗だった。石神井の街を訪れたのはその時が初めてだったというチャーリーさんの第一印象は「空気のいい街だな」。八百屋や魚屋などの個人商店が並ぶ通りの雰囲気も気に入り、ここでの出店を決めたのだそう。
もともとはフランス料理店で、ごくシンプルなものだったという内装は、昔からの知り合いで、「いつか店を出すときには一緒に作ってほしい」と話していたデザイナーとともに、いちから作り変えていった。一緒にあちこちの酒場に出向き、「この感じ取り入れたいね」なんて話しながら、店のデザインや小物のひとつひとつに至るまでを選んでいった。結果、遊び心にあふれ、一歩店に入るだけで心踊るような、『ちゃのま』の空間が完成したというわけだ。
目の前で皮目を炙られているカツオがやたらとうまそうなら、頼まざるをえなくなる。
『ちゃのま』は、地元とのつながりも大切に営業している。例えば、チャーリーさんが「ラッキーだった」と語る魚の仕入れは、同じ商店街にあり、地元でも信頼の高い魚屋『魚隆』に、全面的に任せているのだとか。魚のプロが確かな目利きで仕入れた魚が目と鼻の先の店から届くのだから、つまりは「豊洲直送」というわけ。『魚隆』のご主人は「今日はこれがいいよ」なんて、わざわざ『ちゃのま』のために魚をとっておいてくれるんだとか。
厨房で腕をふるうのは、チャーリーさんを慕い、『ちゃのま』の開店にあたって別の店から移ってきたという倉持智弘さん。その確かな技術による炙り加減、塩加減が抜群で、心の底からうっとりしてしまう……。
そもそも若い頃から酒場めぐりが趣味だったというチャーリーさんの作る店だからこそ、さまざまな方向から、僕のような大衆酒場ファンのツボをついてくるのが心憎い。
下町に通って研究したというこの煮込みも、酒場好きならばニヤリとしてしまう一品。余計な具材は加えず、牛の小腸、ギアラ、テッポウを白味噌と赤味噌ベースで煮込んであり、その深い旨味は老舗の名店にまったく引けをとらない。
その他のサワー類は400円〜だか、なぜかウーロンハイだけが特価の300円。
その理由は「店主が好きだから」。
どこまでも、酒飲みのツボをついてくる店だ。
サンマで秋が始まった
カウンター内には囲炉裏があって、それがまた客席からよく見える。その囲炉裏で、別の客が注文したサンマが焼かれはじめた。おもわず「うまそうですね」とつぶやくと、「今日のサンマはいいですよ! 今年はサンマが高いから、この値段でも原価ギリギリなんです。でも、やっぱりサンマ食べないと秋が始まらないじゃないですか」と、倉持さんが笑う。
ほら、これまた頼まざるをえない。
熱々のサンマから串を抜いて箸を入れると、じゅわっと脂があふれる。パリリと香ばしい皮目、その下のふわふわ肉厚の身、大人っぽい肝の苦味のハーモニー。
し、幸せすぎる……そして確かに、秋が始まった……。
そういえば、開店当初は広々と感じたコンクリート打ちっぱなしの壁。気づけばものすごくにぎやかになっているな。これもまた、多くの客に愛され2020年で5年目に突入する、『ちゃのま』の歴史を表しているのだろう。
名代「とんかつ」、その歴史
最後に、ちょうちんにもある「とんかつ」に触れないわけにはいかない。
実はチャーリーさんの実家は、東京都青梅市にあったとんかつ専門店だった。幼い頃から親の作るとんかつを食べて育ち、それが間違いなく絶品だと信じていたチャーリーさん。「自分の店であのとんかつを出せたらいいな」という想いから、『ちゃのま』を出す前に1年間、実家の店を手伝いつつ、いちからその作りかたを学んだのだとか。
残念ながら実家の店は閉じられてしまったが、その味はここに確実に受け継がれているというわけだ。『ちゃのま』オープンの際にはご両親を招待してとんかつを食べてもらい「この味なら大丈夫」とお墨付きももらったのだそう。
そしてこのとんかつがまた、お世辞抜きで絶品! 先ほどのエピソードを聞いたからよけいに、というわけではなく、純粋にだ。何も知らずに初めて食べた4年前、あまりの美味しさに脳がぶっ飛ぶような衝撃を受けたことをはっきりと覚えているんだから間違いない。
サクッと軽快に揚がった衣の下から、甘い脂、柔らかな肉の旨味が押しよせてくる。まずは添えられた塩で食べると、味の輪郭の細部までが堪能できる。
ここまでハイクオリティーなとんかつに対して申し訳ないくらいだけど、思いきってドボっといく。フルーティーかつキリッと引き締まった自家製ソースと絶品とんかつのハーモニー。そして、よく冷えたビール。もはやこれ以上に望むものなんてない……。
おばんざいに始まり、とんかつに終わる。もちろん強制するつもりはないが、これはもはや、『ちゃのま』を最大限堪能するための、僕なりの儀式になってしまっている。あらためて、この店が石神井に誕生してくれた幸運に感謝しよう。
店主からのメッセージ
「そもそも自分は、若い頃から個人店や老舗と呼ばれるような店に積極的に通っていたほうなんですよね。飲食業界、飲み屋が好きなので、それが趣味だったんです。だけどそういうお店って、特にひとりだと扉を開けるのにすごく勇気がいりますよね。
ただ僕は、だからこそそういう人の気持ちがよくわかるんです(笑)。なので、ちょっと勇気を出してお店に入ってきてくれたら、最大限楽しくすごしてもらえるように努力しようと思っていますし、飲食店って基本的にはみんなそういう想いでやっていると思うんですよね。
ついいつもと同じお店やチェーン店に行ってしまう気持ちはよくわかります。だけどもし興味があれば、こわがらないで一歩足を踏み入れてみてください。きっと、新しい人や美味しいものとの出会いが待っていると思いますよ」(濱中佳郎さん)
『くうのむ ちゃのま』店舗詳細
取材・文・撮影=パリッコ