【今回のコース】神田明神から品川神社まで、家康が江戸に残した足跡

旧品川宿の外れ、現在の第一京浜沿いにある品川神社。
旧品川宿の外れ、現在の第一京浜沿いにある品川神社。

コースは次の通り。

JR・東京メトロ御茶ノ水駅→(10分)→神田明神(1分)→三河屋 綾部商店→(30分)→御宿稲荷神社→(5分)→東京メトロ半蔵門線大手町駅(10分)→東京メトロ半蔵門駅→(5分)→平河天満宮→(30分)→日枝神社→(10分)→東京メトロ溜池山王駅→(40分)→新橋駅乗り換え京浜急行新馬場駅→(3分)→品川神社→(10分)→旧東海道品川宿跡

江戸庶民から現代人まで惹きつける東京の人気スポット

散歩の起点としたJR御茶ノ水駅聖橋口。
散歩の起点としたJR御茶ノ水駅聖橋口。

最初に足を運んだのは、江戸総鎮守として徳川幕府はもちろん江戸庶民にいたるまで、多くの人たちの崇敬を集めた神田神社(神田明神)だ。社伝によれば創建は今から約1300年前の、天平2年(730)とのこと。もともとは現在「将門塚」が置かれている、千代田区大手町一丁目付近に鎮座していた。慶長8年(1603)、徳川家康が江戸に幕府を開くとともに江戸城を拡張する際、城の表鬼門にあたる現在地へ遷し、幕府の手により社殿が造営された、というのが簡単な歩みだ。

目にも鮮やかな朱色の隨神門が参拝者を迎えてくれる神田明神。正式名称は神田神社。
目にも鮮やかな朱色の隨神門が参拝者を迎えてくれる神田明神。正式名称は神田神社。

JR中央線を御茶ノ水駅で下車。聖橋口から出るとすぐ、左手に線路と神田川を跨ぐ聖橋が架かっている。橋を渡った先にある「湯島聖堂前」交差点を右に向かうと、左手に神田明神の銅鳥居が見えてくる。鳥居から続く参道の先には、鮮やかな朱色に塗られた隨神門(ずいしんもん)が見える。これは1975年(昭和50年)、昭和天皇即位50周年を記念する事業として再建され、総檜、入母屋造、二層建てで、各所には伝統的な文様が配されている。1998年に行われた「平成の御造替事業」によって、鮮やかに塗替えられている。

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに臨む際、家康は神田明神で戦勝の祈祷を行った。結果、戦いに大勝利を収めたうえ、天下人への明確な足掛かりを掴んだ。この時に家康に授与された「勝守」は縁起の良いお守りとして、今日に至るまで人気が絶えない。境内にはお守りだけでなく、土産物や飲食も楽しめる文化交流館『EDOCCO』が併設されている。

本殿でお参りした後、右手に回り込むと銭形平次の碑がある。東京都千代田区外神田2-16-2。
本殿でお参りした後、右手に回り込むと銭形平次の碑がある。東京都千代田区外神田2-16-2。

徳川家の御用商人が三河より上京。糀製品を製造・販売する老舗

神田明神の大鳥居と隨神門の間を歩くと、元和2年(1616)の開業当時よりこの地で糀(こうじ)の製造・販売を営んできた『三河屋 綾部商店』の看板が目に入る。初代は徳川家の出身地である三河国(愛知県東部)で商いをしていたが、徳川家が関東に移封されると、江戸に出てきたという。その後、神田明神が今の場所に遷座されたことで、現在地で商いを始め、幕府の御用商人も務めていた。

大鳥居と隨神門の間に立つ『三河屋 綾部商店』。お土産の購入と喫茶での休憩ができる。
大鳥居と隨神門の間に立つ『三河屋 綾部商店』。お土産の購入と喫茶での休憩ができる。

この地はもともと高台だったため、電気設備がなかった時代、建物の地下に糀の室を造り地熱を利用して糀を育てていた。室の内部は年を通じて15度ほどの室温であった。現在でも糀は自家製だが、今は電気設備が使われている。

東京都千代田区外神田2-17-3 TEL:03-3251-7086 営業時間:9〜17時 日曜休。
東京都千代田区外神田2-17-3 TEL:03-3251-7086 営業時間:9〜17時 日曜休。
名物の「延寿甘酒」は400円。暑い季節は冷やしがおすすめ。
名物の「延寿甘酒」は400円。暑い季節は冷やしがおすすめ。

店内は右手に糀製品や納豆、味噌、酒まんじゅう、煎餅、さらに招き猫などの置物を販売するコーナー、左手は28席が用意された喫茶スペースとなっている。ここでは定番の「クリームあんみつ」や「ところ天」、土産としても人気の「酒まんじゅう」などの甘味が味わえる。中でもおすすめなのが、口に含むと優しい甘みが広がる、名物「延寿甘酒」だ。甘酒が苦手という人でも、これは間違いなくスイスイ飲めてしまうはず。暑い季節は冷やしも楽しめるので、散歩で疲れた体に、“飲む点滴”とまで称される甘酒パワーを注入しよう。喫茶スペースで頼めば、味変が楽しめるしょうが粉も付いてくる。スパイシーな甘酒はクセになりそうだ。

関東に移る際に家康が宿をとったことが名前の由来となった

神田明神エリアの次に目指したのは、御茶ノ水駅前まで戻り、ニコライ堂前を抜けてそのまま大手町方面へ向かった先にある「御宿稲荷神社」である。古地図によれば、神田明神からこの社までは、小さな武家屋敷が立ち並ぶ地域を抜けていくことになる。だが現在では、ビルが林立するオフィス街となってしまった。江戸時代の武士は今の官僚や会社員のようなもの。そう考えれば、江戸城近くの神田界隈に武家屋敷が多いのも当然。昼時に歩いていたためか、あちらこちらのビルから現代の武士=ビジネスマンが姿を現し、街全体から活気が感じられた。

再び御茶ノ水駅駅まで戻り、ニコライ堂の脇を通ってひたすら直進。
再び御茶ノ水駅駅まで戻り、ニコライ堂の脇を通ってひたすら直進。
出世不動通りを左へ辿る。古地図によればこの付近は、武家屋敷ではなく町屋が並んでいたようだ。
出世不動通りを左へ辿る。古地図によればこの付近は、武家屋敷ではなく町屋が並んでいたようだ。

神社がある場所へは靖国通り、神田警察通りという大通りを越え、その先にある出世不動通りという、一方通行の小さな道を左に入る。横断歩道がある3つ目の交差点を右、神田尾嶋公園前の道を左に入ると、右手に赤い鳥居が見えてくる。ビルに挟まれた場所に立つ小さな社が「御宿稲荷神社」だ。

ここは現在では内神田一丁目となっているが、古地図を見ると稲荷鎌倉町と記されている。神社の入り口にある標柱(しめばしら)は、右手に「御宿稲荷神社」、左手には「神田鎌倉町」とあることからも、古い町名を確認することができた。

ビルの間に立つ御宿稲荷神社。東京都千代田区内神田1-6-8。
ビルの間に立つ御宿稲荷神社。東京都千代田区内神田1-6-8。

豊臣秀吉の命により、徳川家康が領国を関東に移した際、宿をとった邸宅がこの付近にあったと伝えられている。後に邸宅内に祀られていた祠に、家康足留めの記念としてこの名を付けたのが御宿稲荷神社の始まりだ。第二次世界大戦の空襲で社殿は全焼したが御神体は無事であった。1956年に再建、2007年に新築され今に至っている。

江戸城増築前は城内にあった天満宮。幕府や重臣が祈願所としていた

御宿稲荷神社は東京メトロ半蔵門線大手町駅まで徒歩5分ほどの場所にある。次の目的地である「平河天満宮」は、半蔵門線半蔵門駅から徒歩5分、東京メトロ有楽町線麹町駅からでも徒歩8分の場所にある。歩くにはやや距離があるので、無理せず地下鉄を利用することにした。

平河天満宮は徳川幕府の祈願所であり、当初は江戸城内にあった。菅原道真を主神とし、八幡宮と東照宮(徳川家康)を相殿の神として祀っている。

かつては江戸城内にあった平河天満宮。周囲にビルが立ち並んでいるが静かなたたずまい。東京都千代田区平河町1-7-5。
かつては江戸城内にあった平河天満宮。周囲にビルが立ち並んでいるが静かなたたずまい。東京都千代田区平河町1-7-5。

文明10年(1478)、太田道灌が江戸城内に建立したのが始まりと伝えられている。徳川家康が江戸城に入ると、本丸を修築するために平川門外に移り、さらに徳川秀忠が慶長12年(1607)に江戸城を増築した際、現在地に遷座された。以来、徳川幕府の特別な格式で待遇されてきたうえ、紀州藩徳川家や彦根藩井伊家も祈願所としていた。新年には宮司が単独で将軍に拝謁できたほど、特別な格式で待遇されていた。ひと際目を引く銅鳥居は、千代田区内最古のもので天保15年(1845)、氏子町により奉納された。周囲にはマンションや大きなビルが林立しているが、この一画だけは森閑とした雰囲気に包まれていた。

境内に入り左手を見ると表面がツルツルになった撫牛の像が鎮座している。
境内に入り左手を見ると表面がツルツルになった撫牛の像が鎮座している。

御祭神の菅原道真が丑年生まれで、牛を大変愛でていたことから、境内には梅とともに天神様のシンボルとされる5体の牛(神牛)の石像が鎮座している。そのうちの1体は撫で牛の像で、体の一番気にかかる箇所と同じところをやさしく撫でると、その人に代わって神牛が天神様に繰り返しお願いを届けてくれるという。学問に関することの場合、頭を撫でるといいそうだ。また神牛の耳元でお願いを唱えると、御利益があるとか。最近は身体中にガタがきている私は、欲張って全身を撫でてきてしまった……。

平河町の交差点から三べ坂と呼ばれる小道を辿る。左手には衆参議員会館が聳(そび)えている。
平河町の交差点から三べ坂と呼ばれる小道を辿る。左手には衆参議員会館が聳(そび)えている。

次の目的地は徳川家の守り神として敬われてきた、赤坂の「日枝神社」だ。東京メトロ赤坂駅や溜池山王駅のどちらからでも、徒歩5分ほどの距離に位置するが、せっかくの散歩なので平河天満宮から国立劇場や最高裁判所、国立国会図書館、衆参議員会館といった、国の重要施設の脇を歩いて行く。歩くことでしか感じられない重厚な建物が並ぶ様、厳重な警備、意外に目を休ませてくれる樹木の多さなど、新鮮な発見に驚かされるであろう。

徳川家の守り神だった社は、今も国政の中心地に鎮座

三べ坂を下り右に折れるとすぐ、日枝神社の森が見える。男坂と呼ばれる石段も目に入る。
三べ坂を下り右に折れるとすぐ、日枝神社の森が見える。男坂と呼ばれる石段も目に入る。

日枝神社の創建は鎌倉時代初期にまで遡ると言われている。秩父重継がその居館のうちに奉祀した、山王宮が始まりとされる。文明10年(1478)に太田道灌が、改めて江戸城内に日枝神社を祀り、江戸繁栄の基礎を築いている。天正18年(1590)に家康が江戸城を居城とすると、城内紅葉山の地に新社殿を造営した。二代将軍秀忠が行った江戸城大改築の際、半蔵門の外、現在の国立劇場付近に遷座。だが明暦3年(1657)に起こった明暦の大火(振袖火事)により焼失。2年後に溜池を望む景勝地であった星ヶ岡、現在の地に再建され、今に至っている。

本殿には御祭神、そして山の神様として知られる、大山咋神(おおやまくいのかみ)が祀られている。社殿前には、夫婦一対となる神猿像が置かれている。これは猿が昔から山の守りとして敬われてきたからだ。母親の神猿像は縁結びや子授け、安産など、父親の神猿像には商売繁盛や社運隆昌を願うとよい。

東京の中心とは思えないほど、豊かな緑と厳かな雰囲気に包まれた日枝神社。東京都千代田区永田町2-10-5。
東京の中心とは思えないほど、豊かな緑と厳かな雰囲気に包まれた日枝神社。東京都千代田区永田町2-10-5。

平河天満宮から前出の散歩コースを辿ると、日枝神社表参道にあたる山王男坂53段の石段を登り参拝することになる。段数はそれほどでもないが、段差が大きいため思った以上に息が切れてしまう。そんな石段を登り切った脇には、歴史を感じられる刀剣や錦絵を観覧できる「宝物殿ギャラリー」がある。中でも刀剣は国宝や重要文化財、重要美術品に指定された展示品が多く一見の価値ありだ。

男坂を登り参拝を済ませたら、東京メトロ溜池山王駅方面へ向かう。こちらは山王橋という名の石段で、昇り下りのエスカレーターが併設されているのに驚かされた。体力に自信がない人は、昇り下りはこちらを選んだ方が安心。下りだったが、私は迷わず利用した。

東京メトロの駅から近い石段には、脇に昇り下りのエスカレーターが用意されている。
東京メトロの駅から近い石段には、脇に昇り下りのエスカレーターが用意されている。

天下分け目の大戦の前に家康が戦勝祈願を行った勝ち運の神社

今回の大河ドラマで描かれることはないと思うが、天下分け目の関ヶ原の戦いに出陣する際、家康が戦勝を祈願したことで知られるのが「品川神社」だ。旧東海道品川宿の外れにあり、現在は京浜急行新馬場駅から徒歩3分ほどで行ける。日枝神社からは東京メトロ銀座線で新橋まで出て、品川から京浜急行に乗り換える。品川まではJRだけでなく、都営浅草線を利用すれば京浜急行直通もある。ただし、新馬場駅は各駅停車しか停まらないので、乗り過ごしには十分注意しよう。

国道15号(第一京浜)沿いにある品川神社。鳥居の左の小山が富士塚だ。
国道15号(第一京浜)沿いにある品川神社。鳥居の左の小山が富士塚だ。

新馬場駅で下車すると、目の前に国道15号(第一京浜)が横切っている。その向こうに、脇に小山が聳える品川神社の鳥居が見えている。この山は富士塚(品川富士)と呼ばれるもので、明治2年(1869)から5年(1872)にかけて築造された。これに登れば本物の富士山を登ったのと同じ御利益が得られるという信仰に基づき造られたのだ。山頂からは、京浜急行の高架線や、旧品川宿のにぎわいを一望することができた。これで富士山に登った御利益にも預かれるというのだから、登らない選択肢はない!

富士塚の頂上からの眺め。正面の道を辿れば旧東海道品川宿跡に至る。
富士塚の頂上からの眺め。正面の道を辿れば旧東海道品川宿跡に至る。

品川神社は平安時代末期の文治3年(1187)、源頼朝が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市洲崎神社)の天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)を当地に迎え、海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とする。源氏の流れを汲む家康は、関ヶ原の戦いに際して、戦勝をこの社で祈願し、見事に大勝利を収めた。

その後、祈願成就の御礼として「天下一嘗(てんかひとなめ)の面」・神輿(葵神輿)などを奉納している。面は室町時代中期のもの、神輿は江戸時代初期の特徴を残す貴重な宝物だ。さらに境内に立つ石造鳥居は、三代将軍徳川家光の側近、堀田正盛が奉納したもの。これは都内で、上野東照宮に次いで古い鳥居ということだ。

戦災は免れたが老朽化のため社殿は1964年に再建された。東京都品川区北品川3-7-15。
戦災は免れたが老朽化のため社殿は1964年に再建された。東京都品川区北品川3-7-15。

このように、徳川家と深い縁で結ばれた神社なので、今後、豊臣兄弟最大のライバルとなる家康に思いをはせ、参拝したいもの。

その後に、神社から徒歩10分ほどの場所に残る、旧東海道品川宿の風情も堪能した。道幅は当時とほとんど変わらず、多くの商店が今もにぎわいを見せているので、散歩の締めくくりに最適な場所といえよう。

品川宿があった辺りには、旧東海道の宿場町の趣が感じられる。
品川宿があった辺りには、旧東海道の宿場町の趣が感じられる。

取材・文・撮影=野田伊豆守