林田洋平(はやしだようへい)

1992年生まれ、長崎市出身。長崎県立長崎西高等学校を卒業後、筑波大学生命環境学群生物資源学類へ進学。お笑いの道に憧れ、中退。トリオ「卯月」を経て、2018年に酒井貴士と「ザ・マミィ」を結成。2021年キングオブコント準優勝。

授業は出ないのに、学内のパン屋さんには行ってたなぁ

—— 林田さんは筑波大学に通われていたんですよね。

林田 長崎出身なんですけど、「東京に出たい」という気持ちはずっとありました。ただ、長崎から見ると関東がひとくくりで「東京」に見えるんです(笑)。で、筑波大学に入ることになったんですが、思ったより東京を通り過ぎてた(笑)。でも僕は佐賀にもいたことがあって、田んぼに囲まれた環境だったんですよ。筑波山側に行くと田んぼがあって、「あれ、これ昔見た景色だ!」って(笑)。それがなんか懐かしい感じがしていました。

—— 高校はいわゆる進学校だったとか。

林田 そうなんです。東大、京大、医学部を目指すような雰囲気の学校で。高校入学くらいまでは勉強もしっかりできていたんですけど、あるときから「なんでやってるんだろう」ってなってしまって。父親が医者ということもあって、周りから一方的に「将来はお医者さんになるんでしょ」って言われ続けてたんです。心の底では「そんなこと思ってねえけどな」って、そのこじれが大学で爆発したというか、最悪のタイミングで(笑)。「学ぶぞ」っていうモチベーションがないまま来ちゃったから、最初から何かがちょっとずれていたんでしょうね。

—— 実際、大学生活はうまくいかなかった?

林田 農学部に入学したんですけど、自分よりずっとそのジャンルのことが好きそうな人たちがいっぱいいて。すでにつなぎ着て来てるやつとかいて、「農業はこいつに任せておけばいいじゃん」と。逆にそれで自分の道じゃないって気づけたのは良かったんですけど。授業にもなかなか行けなくて、精神的にちょっとしんどい部分があったんだと思います、今思えば。「この授業に出ないと単位やばい」って日、僕は覚悟を決めてプレステの電源を入れてました。そのときやってたのがメタルギアっていうコソコソ隠れるゲームで、それが脳に焼き付いてるのか、今でも夢に見たりします。単位はわりかし取ってたんですよ、最後研究室に配属されるとき、真剣に農業を学んでる人たちに囲まれたら逆にぶっ壊れそうで、そこで中退することになったんですが。

—— 授業に行けない時期はどう過ごしてたんですか?

林田 ちっちゃい一眼レフカメラを買って、散歩しながら写真を撮ってました。ここ洞峰公園では謎の赤い鳥を撮ったり、隣にあるセレクトショップをのぞいたり、友達に誘われて筑波山にホタルを見に行ったこともあった。本当は人を撮りたかったんですけど、撮る相手がなかなかいないから「自分は自然が好きなんだ」「風景撮る派なんだ、俺は」って自分に言い聞かせながら(笑)。ああいう時間に救われていました。授業は出ないのに、学内のパン屋さんには行ってたなぁ。

Facebookに残っている証拠!
Facebookに残っている証拠!

—— 『粉とクリーム』でしょうか?

林田 そうそう、筑波大生はみんな「こなくり」って呼んでましたね。当時モーニングでパン食べ放題があって、友達と朝それに行って、おなかいっぱい食べて……そのあと友達は授業に行って、僕だけ家に帰ってゲームして(笑)。メープル味のフレンチトースト、おいしかったんですよ。

—— いいですね……お友達とパン食べ放題の思い出。

林田 本当にそこが一番の救いでしたね。お笑いが好きな友達が何人かいたんです。そのグループがいたから何とかやっていけたところがあって。いなかったらちょっとやばかったと思います。今はそれぞれ就職して、研究者になったり、海外飛び回ってるやつもいて、みんなちゃんとしてます。当時、仲間内では僕が授業に出てないのをみんなうっすら心配してたらしい。「林田を学校で見ない」「でもパンは食べに来てる」って(笑)。今もたまに集まって、単独ライブの感想をくれたりもするんです。

東京03飯塚からの忘れられない言葉

—— 芸人になろうと思われたのは?

林田 もともとラジオが好きで、中学生のころに親に買ってもらったウォークマンでFMをずっと聴いてるような子でした。自分の部屋で勉強してることにして、イヤホン入れてこっそりラジオを聴いていました。長崎にいたころと違って、筑波に来てからは聴けるものが一気に増えた。おぎやはぎさん、バナナマンさん、有吉さんとか、ずっと聴いてましたよ。ハガキ職人みたいなこともしてて、読んでもらったりもしました。

—— ラジオネーム「眼力剛(がんりきつよし)」ですね。

林田 なるべく自分から遠いものにしようと思ったので(笑)。筑波には「ラヂオつくば」があると知り、「仕事ないですか」って電話したら、人手が足りないコミュニティFMだから即採用(笑)。即ディレクターやりました。演者以外は全部一人でやるみたいな感じ、録音もするし、台本も書くし、生放送では裏で一人で曲をかけながら、曲がかかってる間にゲストの人に挨拶して……とか。ド素人がつくったものが電波で流れるっていうのは、最初はびっくりしましたけど。好きだから続けられました。それがあったから、大学3年ぐらいまでいられたと思います。そこではじめて「芸人」という職業の人に出会った。「茨城住みます芸人」のオスペンギンさん。

—— 芸人さんが実際その街に住むという。

林田 あのときは「本当にいるんだ、芸人って」みたいな、不思議な感覚でした。当時の僕は、自分は作家寄りの人間だと思ってたんですけど、オスペンギンさんを見て、「やってみたいな」という気持ちが芽生えてきた気がします。一番好きなのはやっぱり、お笑いを追いかけてた側、演者の側だったんだよなっていうのが、じわじわ出てきたというか。

—— そうして大学を中退して人力舎のスクールへ入学した。吉本ではなく。

林田 吉本は「俺が一番面白い」というオラオライメージがあって、自分にはそれが全然なかったので(笑)。JCA(人力舎の芸人養成学校)にしたのは、卒業しても全員所属できるわけじゃないと聞いて、それがむしろ良かった。ダメだったらダメって言ってくれる方が、自分には合ってると思いました。入ってみたら案の定、暗いやつばっかりでした。うじうじ悩みに悩んで結構年いってから入ってくる人も多くて、すぐに安心しました(笑)。

—— 芸人になって、大変ではなかったですか?

林田 バイト漬けで、本当に明日のお金がないみたいな時期もありましたけど、「今俺、夢を追ってるんだ」って妙に楽観的なところがあって。なんていうんですか、「夢追い酔い」とでも言うべきか。どっかコントの中にいるような。大学時代に授業捨ててプレステのスイッチ入れたときも「あ、俺ちょっとやばいことしてるな」って分かってたと思うんですよ。でも入れちゃうみたいな。どこかひとごとみたいな感覚が、ずっと自分の中にある気がします。そう、結構期待されていた前のトリオ(卯月)を解散したとき、事務所の先輩の東京03の飯塚さんに言われた言葉が忘れられなくて。

「お笑いなんて勝手にやってる仕事なんだから、最終的には楽しいか楽しくないかを考えた方がいいよ」って。あの言葉ですごく視界がクリアになったんです。

筑波大学時代の友達への恩返し

—— 今、こうして筑波に戻ってきて、いかがですか?

林田 大学時代からずっとこっちで暮らしている友達がいるので、時々は来ているんですけど、来るたびに見え方が変わってく気がする。大学辞めた直後は、まだざわざわしてた。でも今はこうして背もたれ使いながら見られるようになったというか(笑)。街が変わったというより、僕の見え方が変わったんでしょうね。今は「いいとこだな」って素直に思います。ただ一つ申し訳ないのは、大学時代の友達と飲んでもしばらくは「林田はいいよ、売れたら奢ってくれ」って。僕、お金がなかったので迷惑かけちゃったんですよね。それをちょっとずつ返していきたいなと思うんですけど、彼らは彼らでどんどん出世していて、僕との差は埋まりそうもない。

—— キングオブコントで優勝して巻き返すしかない。

林田 それです。優勝賞金でみんなにごちそうします!

illust_2.svg

洞峰公園

洞峰沼を中心とした約20haの公園。温水プール、アリーナ、テニスコートなども充実。園内にあるカフェ『MaSiLo cafe』で、林田さんにお話を伺いました。4種あるラザニアがおすすめ。

☎029-852-1432
茨城県つくば市二の宮2-20

K2 APARTMENT

林田さんが「背伸びして行ったりしてました」という、洞峰公園近くにあるメンズセレクトショップ。この日もお買い上げ。

11~19時、不定休。
つくば市二の宮2-17-10 パークサイド洞峰1-B
☎029-875-8690
Instagram:@k2_apartment

illust_2.svg

取材・文=西澤千央 撮影=高野尚人
『散歩の達人』2026年7月号より