文=鼠入昌史(そいりまさし)
1981年、東京都生まれ。文春オンラインや東洋経済オンラインをはじめ、週刊誌・月刊誌・ニュースサイトなどにさまざまなジャンルの記事を書きつつ、鉄道関係の取材・執筆も行っている。著書に『トイレと鉄道』(交通新聞社)、『ナゾの終着駅』(文藝春秋)など。
鼠入さんの新刊
交通新聞社新書『つくばエクスプレスと沿線の実力』発売中! TXが開業してから沿線の街はいかに変化したのか。その光と闇を解き明かす。
東京と北関東のハイブリッドタウン
ぼくたちが「守谷」という街の存在に初めて直面したのは2005年、TXが開業したときではないかと思う。
もちろんそれ以前から守谷という街は存在していたし、常総ニュータウンをはじめとするベッドタウンも形成されていた。
ただ少なくとも、TX開業後によって守谷は急速に存在感を高め、東京の人たちにも知れ渡ったことは間違いない。だからぼくたちにとって、守谷=TXとという認識の街なのだ。
では、TX以前の守谷はどんな街だったのだろうか。そんな疑問を抱いてあれこれ調べてみたり、守谷駅の周りを歩き回った。ところが、これがまた実に茫洋としていて摑みどころがないのである。
TXと関東鉄道常総線が交差する守谷駅の周辺は実に整然としていて、いかにも新興都市、TXの駅前らしい雰囲気だ。かといって、流山おおたかの森駅前のように駅前に大型商業施設やマンションが立ち並んでいるわけではない。ビジネスホテルと数えるくらいの飲食店。駅前に立ったくらいでは、どんな街なのかを教えてくれるような何かは見当たらない。せいぜい、つば九郎とこじゅまるのコラボポスターくらいだ。
むしろ、少し離れた国道沿い。イオンタウンの看板が燦然と煌(きら)めき、丸亀製麺、かっぱ寿司にやよい軒、そしてこれぞ茨城の山岡家が集まる一角もある。
つまりこの守谷という街は、東京やその郊外にあるような駅前の繁華街は持たず、少し離れた国道がメインストリートなのだ。都心への通勤はTXに乗って一直線の東京的なライフスタイル。家の近所での日常生活はクルマ中心の北関東スタイル。なかなかどうして、守谷とは東京と北関東のハイブリッドタウンなのである。
古き守谷と新しきTX
TX開業以前から常総線には守谷駅があった。いまとはまったく違う、大正時代に建てられた小さな木造駅舎がぽつねんと。守谷市(当時は町)内に整備されたベッドタウンは、常総線の新守谷・南守谷駅などに近く、むしろ守谷駅前には昔ながらの小さな街があるだけだった。
利根川・鬼怒川・小貝川と3本の大河が流れる守谷は、近代以前からの純農業地帯。北に隣接する水海道のほうが鬼怒川水運などで栄え、TXが開業した時点では守谷より水海道の人口が多かったくらいだ。
さらにもっと遡(さかのぼ)れば、守谷には平将門にまつわる伝説があちこちに残る。なんでも、中世にこの地を治めていた相馬氏が将門の末裔を自称、その居城・守谷城は将門が築城した、なんていう言い伝えもあるのだとか。そんな話を聞くと、大手町の将門塚よろしく、迂闊に開発でもしようものなら祟りのひとつやふたつ……。まあ、実際にはTX開業からこちら、守谷の人口は爆発的に増え続けているから、祟りの心配はなさそうだ。
実は、いまでも古き守谷の面影は充分に残っている。守谷駅前から南東に向かって続く、曲がりくねった道の先。昭和の香りの商店街、守谷総鎮守の八坂神社、江戸時代の俳人・小林一茶も好んで滞在したという西林寺。取手から守谷を経て水海道・下妻方面へと続く、古くからの街道筋の街並みだ。
TX沿線の街では、開業から20年経っても開発の手がゆるまない。古き守谷にも再開発の波が押し寄せるのかもしれない。ともあれ、ザ・茨城の小さな街の存在をぼくたちに教えてくれたTX、恐るべし。そこのけそこのけ、TXが通る——。
文=鼠入昌史
『散歩の達人』2026年7月号より






