うますぎるもりそばが500円の衝撃
『国産二八そば スタンド』があるのは、新井薬師前駅の南口から歩いてすぐ。表通りから入った路地にあり、シンプルな外観は隠れ家感が強い。店内もシンプルなL字カウンターの構成。大きなガラス窓からは自然光が入り、ゆっくりした雰囲気は、とても500円でそばが食べられる店には思えない。
それもそうだろう。この店は少し前まで、本格的な手打ちそばと日本酒が楽しめる店として営業しており、つい最近、大衆的な価格に路線変更したばかりなのだ。
しかし手頃な価格といってもそばのクオリティは驚くほど高い。
機械製麺で打たれたそばは喉越しよく、すするたびに野趣感ある、しっかりした風味が感じられる。もり汁もかえしの味はキレがいいうえ、ダシの旨味がギュッと詰まっている。すするたびに、なんだか気持ちがたかぶってくるうまさなのだ。いくら機械製麺とはいえ、これが500円とは信じがたい。
記事冒頭の写真の冷やかけ(500円)も、値段を意識して食べると一瞬、脳がバグってしまうほどだ。
本格的なガワに、低価格とはいえいっさい手抜きのないおいしさ。どうして、このようなスタイルに至ったのか? その理由を探るため、店主である立澤光太さんの経歴から話を聞いたところ、かなりの紆余曲折を経て、現在に至ったことがわかった。
だんだんとそば沼にハマり…
東京都葛飾区出身の立澤さんは小さい頃から自動車が好きで、社会人になってからは自動車部品の製造メーカーに就職した。その後、父親の経営する物流倉庫の会社に入り、5年ほど働く。一方で、日本酒や大衆酒場が好きで葛飾の立石でよく飲んでいて、いつか自分で飲食店をやりたいと思っていた。父親の会社に入ったのも、将来のために経営を学べればと考えたからだ。
それから、事情があって父親の会社をたたむことになり、そのタイミングで店を始める準備に入った。
当時は、そばについてはさほどこだわりはなかった。そばのほうが、和食やフレンチより技術を習得しやすいだろうと考えていたのだ。
しかし、知り合いのつてで松戸にあった本格そば店で技術を学んでいるうち、そばの奥深さに目覚める。その後、独学でそば打ちを学びながら、ズブズブとそば沼にハマっていったという。
2013年に西荻窪で『そばとワイン 吉』という店をオープン。ビオワインと純米酒の燗酒が楽しめる店で、自然派な雰囲気が西荻窪という土地柄と、当時の流行にハマり、けっこうな繁盛となった。そして立澤さんのそば熱も、どんどん高まっていった。東京で本格そばを追求し続けている落合の『green grass』や東十条の『一東菴』との交流からも刺激を受け、石臼を使った自家製粉、さらにはそばの実を農家から直接仕入れるなど、自身もそばを追求し始めていった。
ただ、ここにきて立澤さんの中で違和感が生じ始める。立澤さんの言葉であらわすと「そば屋として生きているのに、そば屋になれていないと思い始めた」のだという。
また、妻のいよりさんが出産で店から離れ、人を使うようになったのも大きかった。お客は来てくれていたが、売上から家賃と人件費を払うと、ほとんど残らない。それならば繁華街である西荻窪を離れ、いよりさんの実家である新井薬師前の現店舗でやったほうが、じっくりそばに向き合えると考えたのだ。
移転直後にコロナ禍が
そして新井薬師前で2019年に『手打ち蕎麦 吉』をオープンさせる。日本酒とそば前、手打ちのそばを楽しめる店として再出発した。しかし、ここで立澤さんを苦難が襲う。新たな土地でようやく客がつき始めた矢先、世の中がコロナ禍に突入してしまったのだ。休業を挟みつつ、なんとか災禍をくぐり抜けたが、人々の行動様式は変わっていた。客足は以前には戻らず、それならばと立澤さんは店の路線変更に打って出る。
それが、現在の『国産二八そば スタンド』のスタイルだ。
低価格を実現するために工夫したのが、そばの実だ。そばの実は出荷前に色で選別される。良しとされるのは香りのいい緑がかった実で、茶色いものははじかれる。立澤さんは懇意の農家に頼んでその茶色い実を仕入れることで、原価をおさえたのだ。ちなみに茶色い実は香りは弱いが、熟成した旨味があるという。
また、そのような実は仕入れのたびに出来が少しずつ違うため、製麺、特に水まわしのときに具合を調整しなければならない。そのへんの勘は、長年のそば打ちで培ったもの。そば打ち沼にはまり込んだ経験と知識が、低価格路線で生きたのだ。
機械製麺にしたことで、手打ちより提供する量を増やすことができる。これも低価格を実現するために必要なことだった。ただ、ツユに関しては以前と変わらず、かなりおごった材料を使っているそうだ。
しかし、いくらそばで原価を抑えているとはいえ、心配になってしまう価格だ。聞くと、ちゃんと原価計算しているので儲けは出ているという。そのへんは、父親の物流倉庫で経営を学んだことが生きているのだろう。
立澤さんは「こだわった手打ちそばも好き。でも大衆的な酒場や立ち食いそばも好き。どっちも好きだけど、同時にできない」と言う。その結果、生まれたのが「本格そば店の雰囲気」で、「低価格だけど技が詰め込まれたそば」というスタイルだ。
正直言って、人に説明しにくい。しかし、おいしいんだから、それでいいのだろうとも思う。実際、リニューアル後は好評で、昼営業は常に満席状態が続いている。夜も仕事帰りにちょっと一杯、締めにそば、という気軽な使い方をする客が増えてきているという。いずれも地元の人たちで、地域に根づきつつあるようだ。
本格そば店のようなこだわりが味わえ、町そばや立ち食いそば店のような手軽さがある、なんとも独特な『国産二八そば スタンド』。どこの店でもできるスタイルではないが、そば店のあり方として新しく、かつ面白い存在であると思う。
取材・撮影・本文=本橋隆司







