【門前仲町・清澄・深川の切絵図】
本所深川絵図
まずは切絵図と現代地図を見比べてみよう。縦横に延びる水路と碁盤の目状になった町割りが、江戸時代とほぼ同じだとわかる。
切絵図左上に「富岡八幡宮」があり、歌川広重が浮世絵に描いた鳥居も見られる。社殿の絵の横にある「永代寺」は成田山新勝寺の出開帳を行った場所で、後に成田山深川不動堂が立つ。
江戸六地蔵の一つが鎮座する「霊巌寺」の向かいには、清澄公園の元になる「久世大和守」の武家屋敷も見られる。「万年ハシ」近くに松尾芭蕉が暮らした芭蕉庵があったと書かれ、現在は近くに『江東区芭蕉記念館』が立つ。切絵図中央部右側には町奉行「遠山金四郎」の屋敷があり、金さんの前は火付盗賊改の長谷川平蔵が住んでいた。
※掲載の古地図は、江戸の町を32区画に分割して作った切絵図を使用。すべて、麹町にあった金鱗堂が出版したもので、屋号である尾張屋清七から「尾張屋板(版)」と呼ばれる。鮮やかな多色刷りが特徴。
※切絵図内の白色の部分は【大名屋敷などの武家地・御用地】、赤色は【神社仏閣】、灰色は【町屋】、黄色は【道】、青色は【海・川・池】、緑色は【山林・土手・馬場・田畑など】を示している。
【散歩コース】
スタート:門前仲町駅は地下鉄東西線で大手町駅から18分・180円、地下鉄大江戸線で新宿駅から29分・280円。
地下鉄東西線・大江戸線門前仲町駅→(5分/0.3km)→成田山 深川不動堂→(2分/0.2km)→富岡八幡宮→(14分/0.9km)→木場親水公園→(29分/1.9km)→採荼庵跡→(7分/0.6km)→清澄庭園→(4分/0.3km)→松平定信の墓→(すぐ)→江東区深川江戸資料館→(15分/1.0km)→芭蕉庵史跡展望庭園→(5分/0.3km)→江東区芭蕉記念館→(10分/0.6km)→御船蔵跡→(24分/1.6km)→長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡→(12分/0.8km)→地下鉄半蔵門線・新宿線住吉駅
ゴール:住吉駅から地下鉄半蔵門線で大手町駅まで10分・180円、地下鉄新宿線で新宿駅まで23分・280円。
今回のコース◆約8.0km/約2時間10分/約1万660歩
毎日、御護摩修行を行う「成田山 深川不動堂」
元禄16年(1703)に成田山新勝寺の御本尊が出開帳されたのが始まり。徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院の強い願いにより実現したといわれている。明治14年(1881)に不動堂が建てられた。
「成田山 深川不動堂」詳細
新横綱の土俵入りでも知られる「富岡八幡宮」
永代島周辺の砂州一帯の埋め立て地に寛永4年(1627)創建。勧進相撲発祥地で境内に歴代横綱・大関の石碑が立つ。8月15日前後の深川八幡祭は江戸三大祭の一つで、沿道の観客から神輿の担ぎ手に清め水が浴びせられる。
「富岡八幡宮」詳細
細長い水路沿いに見どころが続く「木場親水公園」
木場公園の西側にある木場の風景をテーマにした公園。石積みの掘割、木製の太鼓橋、和船、筏を操る川並の像などが続き、江戸時代の木場の面影がある。
「木場親水公園」詳細
芭蕉も滞在した門人の草庵跡「採荼庵跡」
松尾芭蕉の門下の一人である俳人・杉山杉風(さんぷう)の草庵「採荼庵」が海辺橋の南側にあった。松尾芭蕉は『おくのほそ道』の出発前に住み慣れた芭蕉庵を引き払い、しばらく採荼庵で過ごしてから船で隅田川を千住大橋へ向かった。
「採荼庵跡」詳細
大富豪が整備した回遊式林泉庭園『清澄庭園』
明治時代に三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎が関宿藩主久世氏の屋敷跡を買い取り、社員の親睦と迎賓館として整備した。庭園の一部は豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝わる。
『清澄庭園』詳細
江戸三大改革の一つを実行「松平定信の墓」
霊巌寺の境内にある、徳川8代将軍吉宗の孫で、白河藩主や老中を務めた松平定信の墓。老中時代は「寛政の改革」を行い、幕府の財政再建、農村復興、社会秩序の維持などを目指した。
「松平定信の墓」詳細
江戸時代末期の情景を再現『江東区深川江戸資料館』
常設展示室では江戸時代末期、天保年間(1840年頃)の深川佐賀町の町並みを実物大で再現。音響や照明による演出で一日の移り変わりを体験できる。
『江東区深川江戸資料館』詳細
芭蕉翁像が隅田川を眺める『芭蕉庵史跡展望庭園』
隅田川と小名木川の合流地にある庭園。近くには大正時代に「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、芭蕉翁古池の地とされた芭蕉稲荷神社が立つ。
『芭蕉庵史跡展望庭園』詳細
芭蕉のいろはを学べる記念館『江東区芭蕉記念館』
芭蕉をはじめ、俳句文学関係の資料や「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)などを展示。本館庭園には芭蕉の句に詠まれた草木を植え、句碑や芭蕉庵を模した祠が立つ。
『江東区芭蕉記念館』詳細
艦船の格納庫が並んだ地「御船蔵跡」
隅田川に架かる新大橋の北側に幕府の艦船を格納する御船蔵があった。大小40棟の船蔵が設けてあった。船蔵の外に軍船「安宅丸」が係留され、取り壊し後に供養塔が立ったことから、一帯は「あたけ」と呼ばれた。
「御船蔵跡」詳細
江戸の平和を守る英傑が同じ場所に「長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡」
時代小説『鬼平犯科帳』で有名になった火付盗賊改方頭・長谷川平蔵宣以(のぶため)の屋敷が菊川橋の近くにあった。その後、江戸町奉行の遠山景元(金四郎)が移り住んだ。切絵図には「遠山金四郎」と記されている。
「長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡」詳細
取材・⽂・撮影=アド・グリーン
『古地図であるく 大江戸散歩地図』より








