『すみだ北斎美術館』とは?
『すみだ北斎美術館』は2016年に開館した北斎専門の美術館。北斎を中にした所蔵作品は、肉筆画や錦絵など、約2200点(2024年4月現在)にも及ぶという。
「北斎は宝暦10年(1760)に、現在の『すみだ北斎美術館』前を走る北斎通り、すなわち江戸時代には本所割下水(ほんじょわりげすい)と呼ばれていた地で生まれたと伝わっています。また、生涯にわたって93回の引っ越しをしたと言われますが、その多くは現在の墨田区内。したがって、墨田区ゆかりの浮世絵も多く描いています」と話す学芸員の山際真穂さん。
「収蔵作品は東西の版画芸術を研究し、北斎の一大コレクターとして世界的に知られる故ピーター・モース氏のコレクションと、美術史家で浮世絵研究の日本での第一人者としても知られている故・楢﨑宗重(ならざきむねしげ)氏のコレクション、さらに墨田区で独自に収集した浮世絵など。収蔵作品は肉筆画や錦絵、版本など全体では約2200点あります。北斎の作品はそのうちの約1500点で、ほかには蹄斎北馬(ていさいほくば)、魚屋北溪(ととやほっけい)などといった弟子の作品などがあります」
4階の「北斎を学ぶ部屋」には、実物大高精細レプリカの浮世絵を展示している。各時代の代表作やエピソードなどを交えて解説しているので、北斎の生涯を詳しく知ることができる。ほかにも、タッチパネルモニターでは『北斎漫画』の紹介や錦絵の制作工程がわかるコーナー、北斎のアトリエの再現模型などもある。
特別展「北斎をめぐる美人画の系譜~名手たちとの競演~」
葛飾北斎と聞くと、『冨嶽三十六景』や『諸国瀧廻り』といった風景画が有名だが、今回の特別展は「美人画」がテーマだ。
「北斎は約30回、画号を変えています。北斎が俵屋宗理(たわらやそうり)と名乗っていた35歳頃~45歳頃に美人画で大ブレイクしました。洒落本では美人画の名手として取り上げられているほどです。
今回は、美人画をテーマにして、北斎と同時代の美人画の名手たちの浮世絵を紹介しています。特別展では重要文化財や初公開などの名作を一堂に鑑賞することができます」
この特別展では、4章に分けて展示している。1章は「北斎の源流」。北斎の師である勝川春章(かつかわしゅんしょう)、 さらにその師の宮川長春(みやがわちょうしゅん)と北斎に受け継がれた美人画の系譜をたどる。
「北斎は当時のトップの絵師である勝川春章に入門し、浮世絵の修業を始め、早くから実力が認められ、勝川春朗の画号で活躍します。美人画の名手といわれていた春章の『散策美人図』でも同様の技法が施されていますが、キセルに装飾された蒔絵を細かく描いたり、キセルを持つ手を優美に描いたりと、繊細な肉筆画を描いています。春章の浮世絵を間近で見ていることもあり、春朗の作品にもそういった繊細な画風を見て取ることができます」
2章は「美人画の名手へ」。春章の没後、北斎は俵屋宗理(たわらやそうり)と画号を改め、多くの美人画を制作した。ここでは同時期に活躍した喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)など、それまでの全体像ではなく、「大首絵」と呼ばれる上半身だけを描いた華やかな作品を鑑賞できる。
「宗理時代は、富士額(ふじびたい)に瓜実顔(うりざねがお)のほっそりとした上品な女性像を描いています。この浮世絵は『宗理型の美人』と呼ばれ、爆発的なヒットにつながりました。寛政12年(1800)に出版された洒落本『大通契語(たいとうけいご)』では、美人画の名手として伝えられています。ただ、この当時の宗理は、一般的に売られていた浮世絵版画の制作は少なく、洒落を盛り込んだ狂歌を集めた狂歌本の挿絵や、摺物(すりもの)というプライベートな版画において多くの美人画を手がけています。
この時代の宗理は、いろいろな風景表現を試みていて、狂歌本の挿絵でも、大首絵の作例は少なく、風景の中にいる美人画を多く描いています。また、西洋的な遠近法を使ったり、陰影を付けている作例も。これはほかの浮世絵師にはない、宗理ならではの描き方になるかと思います。
特に文化2年(1805)に制作された『隅田川両岸景色図巻』は、その集大成ともいわれる名作です。柳橋から山谷堀までの隅田川の両岸を描いた大作で、日本堤や吉原遊郭の風景描写を経て、最後に妓楼での遊興の様子が描かれた作品で、絵巻が進むにつれ、時刻が移り変わってゆきます。一部を公開していたことがあるのですが、今回の特別展では開館時以来、2度目の全巻一挙公開していますので、ぜひご覧になってください」
第3章は「浮世絵の爛熟とともに」。いよいよ画号が「北斎」の時代になる。文化・文政期の華やかで色っぽい表情の女性画が流行したこともあり、肉感的で艶やかな美人画を描いている。同時期に活躍した溪斎英泉(けいさいえいせん)や歌川国貞などの迫力ある美人画とともに紹介。
「北斎を名乗るようになると、ほっそりとした宗理型の美人の様式から脱却し、力強く肉感的なものに変化していきます。面立ちは、目尻が上がり、下唇が突き出し、首元が太くなったりしています。
この時期の『潮干狩図』を見てみると、『隅田川両岸景色図巻』と同様にさまざまなチャレンジをしています。遠景は油絵風に描いている一方、手前の岩は中国風に表現されており、そこに健康的な美しさの女性が潮干狩りをする様子を描いています。
『桜花美人図』は、この頃売れ筋だった肉感的で強い美人画を描いているのですが、北斎流のアレンジが加えられ、首が直角に曲がっていたり、体を極端に曲げたりというデフォルメされた姿を描いています。デフォルメされた美人画を描いていても、師である春章のような上品さも持ち合わせ、白地に白の模様を重ねている技法も見られ、画力の高さがうかがえますね。
画号を北斎から戴斗(たいと)、為一(いいつ)と変えていきますが、その後だんだんと美人画を描かなくなり、伝統的な画題の中での女性しか描かなくなっていきました」
第4章は「北斎の系譜に連なるもの」。北斎の弟子の中でも特に美人画を得意とし、北斎の美人画の流れを受け継いだ絵師たちの作品を紹介する。
「北斎は、孫弟子まで合わせると200人以上の弟子がいたといわれています。北斎も認めるほどの美人画を描いた葛飾応為、数多くの美人画を残した蹄斎北馬、北斎の美人画に憧れて弟子入りした魚屋北溪、謎多き絵師・天淵道人(てんえんどうじん)など、さまざまな弟子の浮世絵を展示しています。
応為の『蝶々二美人図』は、1962年に『長崎市立博物館』で出展されましたが、60年ほど行方知れずになっており、美術館では初公開。
この特別展でも人気が高い『三美人図』は天淵道人が描いたもので、これだけ技量が高い浮世絵師ですが、作品は『三美人図』のみしか伝わっていません。しかも、美術館での公開は初めてです。さらには北斎門下の双璧といわれる北馬と北溪の美人画もぜひご鑑賞ください」
北斎の各画号時代の美人画を一度に鑑賞することができるだけでなく、北斎の師や、そのまた師までルーツを遡(さかのぼ)って展示するのは貴重だという。さらには、同時代の浮世絵師との関連性の中で北斎の浮世絵がどのように描かれていたかがわかるような展示にもなっている。
展示は、9月16日(火)~10月19日(日)の前期と、10月22日(水)~11月24日(月・振休)の後期に分かれて変わる予定だ。前後期とも約80点ほど展示し、前後期を通じて公開されるものもあるが、全部で143点の浮世絵を見ることができる。
「間近で浮世絵を見ることができますので、一本一本描かれた髪の毛や着物の模様など、精緻な描写をじっくりと鑑賞していただければと思います」
見どころ満載の特別展。美人画の名手たちの浮世絵を見れば、美人画の奥深さを実感できるだろう。
北斎をはじめ、浮世絵の世界に入れる数々の企画展
人気を博している特別展だが、今後の、そしてこれまでの企画展について尋ねてみた。
「北斎専門の美術館ですから、北斎の魅力が伝わるような企画展を開催しています。
特別展の後の2025年12月11日(木)~2026年2月23日(月・休)は、『北斎でひもとく!浮世絵版画大百科』を企画しています。浮世絵版画は江戸を訪れた人たちの江戸みやげの一つとして広く流通しました。情報を伝えるメディアとしての一面もありましたので、作品から江戸に生きる人々の日常を見ることができると思います。歴史や技法、テーマなどをひもとき、浮世絵版画の魅力に迫る内容ですので、浮世絵初心者の方も楽しめるはずです」
「これまでの企画展の中では、2018年の『変幻自在!北斎のウォーターワールド』が記憶に残ります。
北斎の代表作の一つといえる『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は全世界で愛され、スマートフォンで『波』と検索すると画像がすぐに出てくるほどです。そこで、北斎と門人の描いた水の表現に着目して、波や滝、川のせせらぎなど、水の表現を集めた企画展でした。
北斎は約70年にも及ぶ長い期間浮世絵師として活躍したこともあり、並べてみると、同じモチーフがどうやって変化していったかがわかります。また、北斎だけでなく、門人まで系統立てて見ていくと、北斎からどのように学んでいったかを垣間見ることができました。
2020年には『北斎師弟対決!』の企画展を行いました。北斎と門人が同じテーマを描いた浮世絵を並べて展示したので、北斎との違いや、それぞれの特徴などを比較できる企画展でした。いろいろとメディアにも取り上げていただき、注目されていたのですが、コロナ禍と重なり、実際に来られる方が少なかったのが残念でした」
北斎=名所画・風景画という印象も強いが、師匠としての一面や、今回の特別展のように美人画の名手としての一面など、企画展では北斎専門の美術館ならではの、北斎の多彩な魅力にふれることができる。次はどんな北斎が見られるのか楽しみだ。
次回は、北斎がどのような人物だったかお話を聞いていく。
特別展「北斎をめぐる美人画の系譜~名手たちとの競演~」開催要項
開催期間:2025年9月16日(火)~11月24日(月・休)
※前後期で一部展示替えを実施
《前期》9月16日(火)~10月19日(日)
《後期》10月22日(水)~11月24日(月・休)
開催時間:9:30~17:30(入館は~17:00)
休館日:月 (ただし10月13日・11月3・24日は開館)・10月14日(火)・11月4日(火)※ただし10月21日(火)は展示替えのため特別展(3F・4F企画展示室)は休室
会場:すみだ北斎美術館 3階・4階企画展示室(東京都墨田区亀沢2-7-2)
アクセス:JR総武線両国駅から徒歩9分、地下鉄大江戸線両国駅から徒歩5分
観覧料:一般1500円、高校生・大学生・65歳以上1000円、中学生500円、障がい者500円、小学生以下無料
【問い合わせ先】
すみだ北斎美術館☏03-6658-8936
公式HP https://hokusai-museum.jp/hokusaibeauties/
取材・文=速志 淳 画像提供=すみだ北斎美術館





