丸田祥三さん
写真家。1964年東京都新宿区生まれ。父は将棋棋士九段・日本将棋連盟元会長の丸田祐三。幼い頃より写真を撮り続け、1980年代初頭より作品発表を始める。「棄景」「廃景」といった廃墟用語の作者であり、その作品は今日の“廃墟写真”の源流と賞される。
続刊『廃線だけ 昭和の棄景』が2025年10月9日発売予定
廃線は新しい冒険への入り口
「幼い頃、家の前を走っていた路面電車が突然なくなったんです。
当時は交通渋滞を避けるなどの理由で、東京都が路面電車の廃止を進めていた時期。使わなくなった線路の一部は暫定的に地面に埋められていましたが、アスファルトの熱で鉄が膨張し、再び表に出てきてしまうことも。
地面に現れては消える線路は、まるでモールス信号みたいでした。
鉄道は、ある地点から地点まで人や物を運ぶための道具。それが途切れた瞬間、わけのわからないものになってしまう。
幼心に不思議な空間だなあと思ったのが、廃線に目が留まるようになった最初のきっかけです」
丸田さんは東京オリンピックと同じ1964年生まれ。
高度経済成長真っ只中で、日本は右肩上がりだと誰もが信じていた時代。そんなさなかで廃線に目を留める少年は、周りから不思議がられることもあったと言う。
「日本という国も自分の生活もいつまでも右肩上がりだと信じていた大人たちにとって、断ち切られたレールは目を背けたい光景。
一方、敷かれたレールに乗って社会で活躍できる立派な大人になれという重圧を受けていた子共にとって、切れた線路は、新しい冒険が始まる入り口のような心躍るものだったんです」
廃線が問いかけるものを感じ取ってみてほしい
オイルショックやバブル崩壊、東日本大震災、コロナ禍といった大きな節目を何度も迎えた日本。世の中の価値観がガラガラと崩れては変化する中で、丸田さんはずっと変わらず、廃線を撮り続けてきた。
新刊『廃線だけ 平成・令和の棄景』(実業之日本社)には、日本各地で撮り集めた158もの廃線の写真が収載されている。
「1970年代に日本経済が停滞し、節電ブームで街の灯りが消えた時期がありました。日本は終戦後に真っ暗で心細く寒々しい中から立ち上がった。改めて今、不安な風景を直視して何かを得てみないか。
当時、作家の日野啓三さんが、新聞のコラムでそのようなことを書いていました。
しかし今、こうした問いかけはほとんど目にしなくなりました」
「最近は小説や漫画などでも、不安を抱える若者が登場し、『絆』の大切さをうたう作品は少なくありません。
一方で廃線は、一度バラバラになったものが、バラバラのまま存在感を放っている。鉄が錆びゆく中、周りを徐々に草が包み、風が吹くと草がなびいて雲が流れていく。
廃線は、自分を切り捨てた社会を恨むわけでもなく、ただそこにたたずんでいる。
そのことが一つの事象として何を問いかけているのか、各々立ち止まって感じ取ってみる必要があるんじゃないか。
編集者・磯部祥行さんとそんな話をしたことが、今回の本につながりました」
装幀は、ブックデザインの第一人者・祖父江慎氏が手掛ける。表紙にコピーの入った帯が刷り込まれ、一見するとポップな印象。しかしページをめくるごとに、静かに佇む廃線の特異さが、じわじわと浮かび上がってくる。
丸田さんの撮る廃線の写真からは、さまざまな時代の痕跡や複数の時間軸が垣間見える。人間社会が忙しなく右往左往する中で、元の役目を終えてもモノとしての存在感を超然と放ち続ける廃線は、どこか希望にも思えてくる。
「一部の人は『きれいな写真だな』で終わってしまうかもしれませんが、何かを感じ取る人はいるかもしれない。
十人十色で何かを感じていただけたら、目的は達成されたのかなと思いますね」
取材・構成=村田あやこ ※記事内の写真はすべて丸田祥三さん提供
『散歩の達人』2025年8月号より







