ベトナム社会主義共和国
東南アジアの新興国で、経済発展を続けているが、海外への出稼ぎも多い。日本では技能実習生、留学生、特定技能など56万人以上が暮らす(中国人に次いで2位)。日本にとってはいまや労働力の柱といえる。埼玉県には3万6683人、うち川越市には2020人が在住。
歩いてみるとその「濃度」がわかる
とりわけベトナム人が多いということが、街を歩いてみるとわかる。本川越の駅から南に広がる新富町のあたりには、チラホラとベトナムのレストランを見かけるし、ベトナム名物のサンドイッチ・バインミーのブースもあれば、ベトナムカラオケの店もある。取材時には、ちょうど新しいレストランをオープンするのか、看板の取りつけ工事をしている真っ最中のところもあった。さらに南下してJR川越駅のほうに行くと食材店も。この界隈ではベトナム関連の店が10軒ほどあるようだ。なかなかの濃度なんである。
実は埼玉県中西部にも多いベトナム人の実習生
どうしてまた、この小江戸が「リトル・サイゴン」のごとき様相を呈しているのかといえば、「近くに工場がいっぱいあって、そこで働いている実習生が多いんです」。
ブイ・ファン・フーさんはそう教えてくれた。ベトナム人で大にぎわいのレストラン『クアン・フォン・ベト』の若き経営者だ。このあたりには、製造業、野菜や肉などの食品加工、介護、建設現場など、さまざまな仕事で働くベトナム人の技能実習生がたくさん住んでいるのだそうだ。
少子高齢化でまったく足りなくなった人手を外国人の労働力でカバーしているわけだが、そんな現象は川越だけではなく周辺の地域でも起きている。
「友達は東松山の工場で働いてる」
そうブイさんが言うように、川越だけでなく近隣各地でも外国人を見るようになった。平日はこうした地域で働き、暮らしている人々も、週末になると川越までやってきて、羽を伸ばす。川越はいわば埼玉中西部のベトナム人技能実習生の中心となっている街なのだ。
加えて、川越には留学生も多い。日本語学校がいくつもあるからだ。通っているのはベトナム人だけでなく、ネパール、中国などさまざま。家賃が安く都心よりも暮らしやすい郊外に日本語学校をつくる動きは、首都圏各地で見られる現象だ。
ブイさんも、もともと留学生だ。
「2013年に来たんですが、そのときに入学したのが川越の日本語学校だったんです。それからずーっと川越」
ひと旗上げるべく故郷のホーチミンを出て、まずは川越で日本語を学ぶと、さらに専門学校に進学。そして卒業後いきなり起業してしまうところがスゴいのだが、日本で暮らすベトナム人を取材しているとこうした人にときどき出会う。ブイさんは決してレアなケースというわけではないように思う。このアグレッシブさ、独立心こそがベトナム人の気質だし、また日本の一般企業に入って働けるほど高度な日本語力を身につけるのはなかなか難しいということも背景にあるようだ。
ともかく、2018年にビジネスを立ち上げたブイさんが選んだのは、レストランだった。
「成功するため」
と簡潔に言うが、聞いてみればそのあたりから同胞の技能実習生が川越周辺に増えてきたことを実感しての判断だったそうだ。2023年6月にいまの場所に移転してきたが、1階にはベトナム食材店が入居していたこともあり、相乗効果を生んでいるようだ。
ベトナムではポピュラーなカエル料理の数々
店の看板メニューは「ブンボーフエ」だ。スープ米麺なんだけど、日本人にもすっかり知られているフォーとはちょっと違って、丸くもちもちしている。つるりとした食感がいい。ベトナム中部の古都フエ発祥で、たっぷりの牛肉が入っていて、ピリ辛スープが刺激的……なのだが、ブイさんのレシピはだいぶオリジナルだ。でかい豚足がドカンと乗っかっているんである。なかなかのインパクトだ。
「ほかの店とは違いますね」
なんて胸を張る。牛骨スープは辛さ控えめで、どうもブイさんは自分の好みの味つけをそのままレシピに反映させたらしい。それがウケたのか、一番人気のメニューになっているんだとか。豚足は箸で切れるほど柔らかく煮込んであって、ねっとりうまい。
そしてやたらと揚げモノ、炒めモノが充実していて、これは酒のツマミだ。とりわけカエルはメニュー丸々1ページを独占するほどのバリエーションがあり、レモングラス炒め、唐揚げなどがあれこれ並ぶ。
「ベトナムではけっこう食べますよ、カエル」
というブイさんのおすすめでピリ辛炒めをチョイス。カエルというと骨ばかりで食べにくいイメージがあったが、こちらのは肉づきがよく噛むほどに旨味がにじみ、これはビールが進みそうだ。鶏モモのような味わいだろうか。
ほかに甘酢で炒めたイカもいただいたが、海鮮が多いのはベトナム料理の特徴のひとつだろう。そしてふんだんな野菜とハーブも、ベトナムの食卓には欠かせない。厚揚げのつけビーフンにも、たっぷりのミントやパクチー、レタスなどが添えられていて、これらの具材を混ぜ混ぜして、マムトムというエビの発酵調味料をベースにしたソースで和えて食べるスタイルだ。
こんな料理をつつきながら一杯やって、また明日も職場へ、学校へ。ときには誕生パーティーや結婚式が開かれることもあるそうだ。異国で暮らしていくには、こんなオアシスのような店がどうしたって必要なのだ。
『クアン・フォン・ベト』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2024年8月号より