インドネシア共和国
人口2億7000万人を誇る東南アジアの地域大国。日本にはおよそ15万人が技能実習生や特定技能などの労働者として暮らし、その数は増加している。留学生も多い。首都圏のほか愛知県、大阪府などに集住。小岩の位置する江戸川区には717人が住み、東京都では最多。
技能実習生や留学生、若者が集まる「日本のワルン」
「ワルン」とは、インドネシアの大都市でも田舎の村でも、近所にひとつやふたつは必ず見かける食堂であり雑貨屋であり、なんとなく人が集まってくる社交場のような場所のことだ。インドネシア人の暮らしには欠かせない存在といえるが、お邪魔してみるとさらに驚いた。
一軒家の中にはところ狭しと棚がつくられ、インドネシアの食材や雑貨がびっしりと並び、ごちゃついた感じはなんだか『ドン・キホーテ』のようでも現地のワルンのようでもあって、なんだか不思議な空間なんである。
いくつかテーブルが置かれた部屋ではインドネシアの若者たちがくつろいでいて、わいわい話したりゲームをしたりと楽しんでいる様子の自宅感。友達の家に遊びに来たような気にもなってくるのだが、
「だからウチでは“いらっしゃいませ”じゃなくて“おかえりなさい”ってお客さんを出迎えるの」
と、店主のイエティー・アングレニーさんは言う。来客のほとんどは若い技能実習生や留学生で、彼女を「お母さん」と呼んで慕う。
「みんな自分の子供みたい」
なんて言うイエティーさんがつくるのは、故郷スラバヤのあるジャワ島の家庭料理だ。とくに自慢は「アヤム・ベトゥトゥ」という鶏料理。これ、チキンのおなかにハーブやスパイスを詰めて蒸し焼きにしたものなんだが、その詰める具というのがタマネギ、ニンニク、レモングラス、ターメリック、ヤシ砂糖、ライムリーフ、ガランガルというショウガの一種……やたらに手が込んでいるだけあって、それぞれの味わいが染みこんだ鶏肉は絶妙に旨い。
インドネシアでは子供が生まれたときや誕生日など、お祝いの席の料理でもあるそうだ(今回は丸鶏をそのまま調理していただき掲載したが、実際の一人前の大きさはその1/4なのであしからず)。
魚もおすすめだという。東南アジアでは広く食べられている淡水魚のティラピアを丸揚げした「グラミ・ゴレン」だ。
インドネシア料理のキモともいえるチリベースの調味料サンバルに、発酵させたエビなどを混ぜた「サンバルトラシ」というソースをかけつついただくのだが、これがいける。さっくり揚がった皮の食感、ほくほく肉厚な白身に、サンバルトラシの風味が絡む。これは白飯がどんどん進んでしまうやつだ。ちなみにご飯はジャスミンライスと日本米を合わせたものを使っているんだとか。
甘さと辛さがじわじわ濃厚な味わいのジャワ料理
続いてやってきたのは「トンセン・カンビン」という、日本ではあまり見ないヤギ肉のシチュー。トマトやキャベツなどの野菜もたっぷりだ。これまたご飯によく合う濃厚な甘辛さがたまらない。味つけの決め手はサンバルと並んでインドネシアを代表する調味料「ケチャップ・マニス」だ。日本人のイメージする一般的なケチャップとはだいぶ違って、大豆からつくった甘い醤油といった感じ。
これらの料理でも特徴的な「甘さ」と「辛さ」がジャワ島の食文化の傾向なんだとか。
「食べるほど、甘いと辛いが出てくる」
イエティーさんは話す。広大な国土を持ち民族も宗教もさまざまなインドネシアだが、首都ジャカルタを擁し国の中心でもあるジャワ島は、どうやら濃厚な味つけでご飯をたっぷり食べさせるメニューが多いようだ。
加えて客の大半は若者たちで、ふだんはハードな現場仕事で働き腹ぺこでやってくる人も多い。おなかいっぱい食べさせてあげたいと、ボリューミーに盛りつけ提供するのがイエティーさん流。
さらにスペアリブと野菜を煮込んだ「ソプ・イガ」など、僕たち取材班も実習生たちと同様に満腹になるまで食べさせていただいたのであった。
ベトナム、ネパール、フィリピン……多民族化の進む小岩
『ワルン』のある小岩は、この連載の第26回でも触れたように多民族化が著しい街だ。店のすぐそばには「フラワーロード」という商店街があり、その近辺にベトナムの食材店や外国人がよく利用しているリサイクルショップ、ネパール料理のレストランなんかが並ぶ。駅のまわりの歓楽街には韓国の飲み屋やフィリピンパブが乱立する。中華やハラルの食材店もある。
昔から雑多でごちゃついた下町で、家賃が安く、総武線を使えば都心にも千葉方面にもアクセスのいい小岩は、アジア系の外国人にとって居心地がいいようだ。ベトナム人が目立つが、インドネシア人も増えていて、だからこの『ワルン』を開いた……と思ったのだが、そうではなく「たまたま」だったとか。
「ダンナの実家が小岩なんですよ」
日本人と結婚したイエティーさんがこの街で『ワルン』をつくったのは2022年6月のこと。当初は食材だけを販売していて、ときどき客に手料理を振る舞っていたそうだ。その味が口コミで評判になり、食事も提供するようになったという。
いまでは大人気で、週末になれば「おふくろの味」を求めるインドネシアの若者でにぎわう。結婚式や誕生日などのパーティーが開かれることもある。隣駅の新小岩にはモスクがあるのだが、そこでお祈りしてから来る人も多い。ふだん建設、飲食、介護などの業界で働き、この社会を支える技能実習生や留学生が、ほっとひと息つく場所なのだ。
「ここでご飯を食べて、また明日からがんばるって、みんな言うんです」
そう笑うイエティーさんにとっても、大事な居場所であるようだった。
『ワルン ウォン ジョヴォ』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2024年9月号より