仏像は単体で祀られることもありますが、経典にはそれぞれのバックボーンや歴史が語られているため、関連する仏とともに「チーム」で祀られる例も多く見られます。今回は、どんなチームがどんなメンバーで構成されているのかを解説していきます。好きな仏像を単体で愛でるのも楽しいですが、この記事を読んで“ハコ推し”してみてはいかがですか?

四天王の足元で「踏まれっぷり」がいい邪鬼に注目!

佐賀県「円通寺」、四天王のうちの二天が祀られる。
佐賀県「円通寺」、四天王のうちの二天が祀られる。

仏教の世界観では、その中心に須弥山(しゅみせん)という山がそびえ立っているとされます。その山の東西南北に立って、仏教を守護するのが四天王。

憤怒相(ふんぬそう)といわれる怒ったような表情と、鎧を身にまとった“力感”あふれる姿が特徴です。

その足元をみると、何やら踏みつけられている存在が。

こちらは「邪鬼(じゃき)」といって、もののけや祟り神だと解説されます。

ただ、お寺のご住職などは「これは、私たちの悪い心ですよ」とおっしゃる方も多くいます。

声が聞こえてきそうなほど生き生きとした彫刻。
声が聞こえてきそうなほど生き生きとした彫刻。

その「踏まれっぷり」は見事なもので、完全に降参している邪鬼もいれば、「フギャー!」と声が聞こえそうなくらいに、今まさに踏まれた瞬間といった邪鬼もいて、表情はさまざま!

インターネットで「邪鬼」と検索すると、第2検索語に「かわいい」と出てくるほど、親分の四天王を差し置くほどの人気を集めていたりします。

文殊菩薩が乗るのは百獣の王

福島県「新宮熊野神社」の文殊菩薩像。
福島県「新宮熊野神社」の文殊菩薩像。

仏教で「智慧(ちえ)」というと、悟りに至る道を間違えずに見極める力の意味です。

この智慧を司るのが文殊菩薩なのですが、智慧の解釈を知識・勉学にまで広げて「学業成就」「合格祈願」などの御利益があるとされています。

そんな文殊菩薩は、「勉強もできるしモテそう」といった凛々しいお顔をしている像が多く、ある動物に乗っている例も多く見られます。

百獣の王らしく猛々しい姿。
百獣の王らしく猛々しい姿。

その動物とは「獅子」。

獅子=ライオンと説明している場合もあるようですが、元々は中国で「大きな犬」を表します。日本人がイメージするなら、闘犬で横綱になるような、恐ろしいほど屈強な土佐犬といったところでしょうか。

そうしたイメージが広がって「百獣の王」と繋がり、ライオンと同体とも考えられているようです。

しかしなぜ、凛々しい文殊菩薩に対して、荒ぶるような獅子がいるのでしょう?

それは、獅子はその力強さから「魔を払う存在」と考えられたからです。

文殊菩薩が、落ち着いて智慧と向き合えるのも、獅子が守ってくれているからなんですね!

お釈迦さまを運んできた動物に乗る普賢菩薩

東京都「増上寺」の釈迦三尊像の普賢菩薩像(左)。
東京都「増上寺」の釈迦三尊像の普賢菩薩像(左)。

釈迦如来が三尊形式で祀られる際、文殊菩薩とともに脇を固めるのが普賢菩薩。

「普」は「この世界のすべて」という意味を持ち、「賢」は「かしこい」と解釈できるので「万能の知を持つ仏」という存在です。

御利益としては、文殊菩薩が学業成就などであるのに対し、普賢菩薩は「長寿延命」とされています。

長野県諏訪市「仏法紹隆寺」の普賢菩薩像。
長野県諏訪市「仏法紹隆寺」の普賢菩薩像。

そんな普賢菩薩が乗っているのはたいてい白い象なのですが、仏教における白い象には重要な意味が……。

お釈迦様の母親である摩耶夫人(まやぶにん)は、ある時白い象が体内に入ってくる夢を見て、お釈迦様を身ごもったとされています。

つまり、白い象は仏教の始まりであるお釈迦様を、この世に運んできた存在なのです!

水牛に乗ってやってくるヒーロー・大威徳明王

埼玉県「高山不動尊」の五大明王。
埼玉県「高山不動尊」の五大明王。

不動明王を中心とする明王チームを五大明王といい、5人がバシッと揃った姿は戦隊モノのヒーローがファイティングポーズを決めた瞬間のような格好良さがあります。

そんな五大明王の中で唯一、動物に乗っている仏が大威徳明王(だいいとくみょうおう)です。

6本の手に6本の顔というかなり恐ろしい姿をしていますが、これは生きるものに害を与える悪い者を倒そうしる表情。

こうした力強さから、古くから「戦勝」の祈願をされることが多かった仏です。

水牛に乗った大威徳明王像(左)。
水牛に乗った大威徳明王像(左)。

そんな大威徳明王が乗っているのが水牛。

牛は仏教にとって重要な動物で、お釈迦さまの名前である「ゴータマ・シッダールタ」の「ゴータマ」も「もっとも優れた牛」という意味を持ちます。

泰然自若(何が起こっても落ち着いている様)とした水牛の様子は、猛々しい大威徳明王のパワーをさらに安定させる存在にも感じられます。

神様を踏んでる!降三世明王

高山不動尊の降三世明王(右)。
高山不動尊の降三世明王(右)。

大威徳明王は五大明王で唯一、動物に乗っている仏ですが、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)は、とある神様を踏んづけています。

そもそも、降三世明王とはどんな存在なのでしょう。

それは悟りを妨げる貪瞋痴(とんじんち:貪り・怒り・迷い)の、3つを降伏させる仏であるとされています。

感服した様子のシヴァ(右)と妻のウマ。
感服した様子のシヴァ(右)と妻のウマ。

そんな降三世明王が踏みつけているのは、シヴァとウマ。

シヴァはヒンドゥー教の最高神の一人でウマはその妻ですが、大日如来が説法をしている間、シヴァとウマが貪瞋痴にとらわれていたため、降三世明王がやってきて踏みつけたとされているのです。

説話としてはこのように残っていますが、さまざまな宗教が広がりを見せていた古代インドで、他教の神に対する優位性を示すことで、布教のタネにしていたという政治的な意図もあったのではないかと考えられます。

不浄を滅却!と踏みつける!? 烏枢沙摩明王

静岡県「可睡斎」の烏枢沙摩明王。
静岡県「可睡斎」の烏枢沙摩明王。

日本には大きく二つの密教宗派があります。そのうちの真言宗では、五大明王のメンバーに金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)がいますが、天台宗ではこのポジションが烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)になっています。

金剛夜叉明王とは違い、烏枢沙摩明王は単体で祀られることも。

その際は、世の中の不浄を焼き尽くす仏とされているため、トイレの守り神となっていることがよくあります。

いわば、仏教版の「トイレの神様」なのです!

歓喜天は踏まれているのにどこかうれしそう?
歓喜天は踏まれているのにどこかうれしそう?

そんな烏枢沙摩明王が踏みつけているのは、頭部が象で体が人間の姿をした何者か。

こちらは「歓喜天(かんぎてん)」で、ヒンドゥー教のガネーシャが元になっており、小説やテレビドラマとしてヒットした『夢をかなえるゾウ』のあの神様です。

なぜ歓喜天を踏んでいるのか、はっきりとはわかっていませんが、歓喜天は男女二体の抱き合った姿で祀られることも多く「性」や「男女和合」の象徴であるとされます。

そこから、欲望に結びつくため、不浄として踏みつけられているのかもしれません。

 

チームと一言に言っても、前編でご紹介したように三尊形式で祀られるものや、今回のように乗ったり踏んだりするものなどさまざま。

仏像を拝観する際は、足元もよ~く目を凝らして見てみると、もう一つの魅力が発見できるかもしれませんよ!

写真・文=Mr.tsubaking