知られざる華麗なプロフィール
御前様、『男はつらいよ』において柴又帝釈天(経栄山題経寺)の住職として馴染み深い人物だが、その身上についてこれまであまり多くは語られていない。まずはプロフィールを整理しておこう。
そもそも「御前様」という呼称は、ザックリ言ってしまうと位の高い僧侶に対し尊敬の念を込めて使われるもの。加えて正式な法名を経栄山題経寺十八代山主・日奏上人という。
姓は坪内、名は不明。年齢も不詳だが、20世紀初頭、明治晩期の生まれと推察される。おいちゃん、おばちゃんより10歳ほど年上となろうか。
職業は柴又帝釈天の住職だが、同時に同山付属のルンビニー幼稚園の園長も兼任する。また広大な墓地も持っていたり(第22作)と、経営的には意外に手広い。
自宅らしき縁側が登場することから(第44作、45作など)代々寺域に住む世襲の住職と思われる。寅さんがよちよち歩きをしていた頃(昭和14、15年頃か)から題経寺の住職をしているというから(第31作)、30代半ばにはすでに住職の地位にあったようだ。
プライベートでは早くに妻に先立たれており独身、一人娘の坪内冬子(第1作、7作、46作)がいる。冬子は後に大学教授と結婚し1女をもうける(第46作当時、推定中学生)。つまり御前様には孫が1人いることになる。
ちなみに冬子のダンナに加え、甥に東大助教授が(第10作)、親戚に大学助手がいたりと(第16作)、親類縁者にわかっているだけで3人もの大学教員がいる。なかなかの高学歴揃い。さしずめインテリ一族だな。
「バター」をはじめ数多い外国がらみのエピソード
博識で人徳者として知られる御前様にも苦手なものがある。それは外国人・英語・舶来品の類(たぐい)だ(寅さんやおいちゃんおばちゃんにも言えることだが…)。
よく知られているところでは、カメラのシャッターを切る際に「チーズ」というべきところを乳製品の英単語を混同し「バター」と発してしまう名シーン(第1作)も、そのことを如実に物語っている (以降、寅さんがこのボケをパクる(第9作など))。
因縁はまだまだ続き、アメリカ人の行商人マイケルの英語での対応に困ったあげく「日米親善のため」を口実に「とらや」に押しつけたこともある(第24作)。
しかし、このままでは終わらないのが御前様の偉大なところ。どこで修練を積んだのか、前出24作では「話す」の英訳が「ペラペラ~」になるほどの低レベルだった英語が、第36作では「メインストリート、ゴーストレート……」と道案内ができるほどまでに上達しているのだ。
もっとも「十字路」を訳せなかったり、道を尋ねた当の外国人は理解できたかどうか不明ではあるが、ンなこたあどうでもいい。高い地位にあっても、高齢であっても、「修行が足りん」(第32作)と言わんばかりに、何かを謙虚かつ貪欲に学ぼうというその姿勢が尊いではないか!
だからこそ御前様は人々に敬われるのだ。
「もともと寅の人生そのものが夢ですから」
寅さんと御前様の付き合いは古い。「困ったぁ困った」(第1作ほか)と幼少の頃から手を焼き、バッタリ会った旅先では行動を共にし(第1作)、身の上相談に乗ってあげるなど(第28作)、かなり親密な間柄と言っていい。その証拠に寅さんが20年ぶりに柴又に帰った際も、最初に挨拶をしたのは、さくらでもおいちゃんおばちゃんでもなく御前様だ(第1作)。
帰郷以降も、御前様にとって寅さんは「心配ごと」(第37作)そのものだが、それと同時に、御前様の寅さんに対する評価はシリーズ後半になると上昇する。
「寅のような無欲な男と話していると、むしろホッといたします」(第40作)
「もともと寅の人生そのものが夢みたいなもんですから」(第41作)
と、俗世間から離れ、どこか達観の境地(あくまでも一面に過ぎないが)にある寅さんに目を細める。
さらに、
「あなたたちには困ったお兄さんかもそれないが、満男君には頼りがいのある叔父さんじゃないですか」(第43作)
と、寅さんの保護者としての器量を認め、極めつけは、
「仏様が寅の姿を借りて助けられた」(第39作)
と、仏様の化身にまで例えることも。こりゃもう、いや古今東西を見回しても、これ以上ない賛辞だ。
寅さんの人間としての成長が、御前様にとって何よりの生き甲斐であったのではないかとさえ思われる。
ただ、どんなに寅さんが人間的に成長しようとも、
「卒業しなきゃいけませんなあ、恋のほうも」(第36作)とこぼすなど、相も変わらぬ気がかりは毎度毎度の寅さんの恋。
その点、ご自身も「寅なんか問題にならない」(第44作)ほどの激しい恋愛遍歴をお持ちのようで、ことさら親近感を覚えるがゆえに心配するのだろう。
親以上に長い付き合いで、成長を見届け、親近感を覚えて……。そんな寅さんに向けた御前様の最後の言葉(ひいては名優笠智衆の最後のセリフ)には、住職と門徒の関係を超越した御前様のささやかな願いと慈悲深い愛情が込められている。
「ふたりが結ばれたら門前町に小さな店を持たせて、週に一度そのキレイなおかみさんの手で私の頭を剃ってもらうんです」(第45作)
【御前様巡礼】修行の地 法華経寺をゆく
おおよそ飄々として穏やかな御前様だが、寅さん×タコ社長のシリーズ最大の乱闘を「コラ!」の一喝で鎮めるほどのハンパない威厳も持ち合わせている(第34作)。
そんな御前様の人格は、どのように形成されたのか?そのことを探るにあたっての大きなヒントは、意外にも江戸川の対岸にあった。市川の中山法華経寺だ。
この寺院は全国に7カ所ある日蓮宗の大本山の1つ。もともと帝釈天の経栄山題経寺は江戸時代初期の寛永6年(1629)に、法華経寺の日忠上人によって開山された。企業に例えれば身延山久遠寺が本社で、法華経寺は支社、題経寺はその傘下の営業所、御前様はそこの所長さんといったところか。
とりあえず実際に支社…いや、法華経寺に足を運び、話をうかがってみる。現在でも題経寺と何かしらの繋がりがあるのだろうか?
「同じ流れのお寺ですから交流はありますが、なかでも荒行は必ず当山でされているでしょう」(法華経寺僧侶)
荒行、正式には百日大荒行(寒修行とも)といい、一説によると「世界三大荒行」の1つに数えられているという(他は天台宗の「千日回峰行」、インドのヨーガの修行)。毎年11月1日から翌年2月10日までの100日間、全国から多くの僧侶が法華経寺の大荒行堂に集まって行われる厳しい修行だ。
その内容は、
「水行(すいぎょう)」…午前3時から午後11時まで1日7回、ふんどし1枚で寒水に身を清める
「万巻(ばんかん)の読経」…ひたすら読経
「木剣相承(ぼっけんそうじょう)」…読経とともに、木剣をひたすら打ち鳴らす
「書写行(しょしゃぎょう)」…ひたすら写経
これらの厳しい修行を、
・睡眠時間2時間
・午前2時起床
・朝夕2回の食事(白粥に梅干し1個)
という生活のなかで行い、罪を悔い改め、心から反省するならば、生まれ変わったように尊い身となる――というもの。死人が出ることもあるとか。
うっ、そ、想像するだけでも気を失いそうになるこの厳しい修行、御前様自身も
「仏教における修行とは、煩悩を断ち切る命懸けの闘いです」(第32作)
と語っているように、実際に荒行を経験した形跡が見られる。
「煩悩が服着て歩いてるような」(第32作)寅さんを筆頭に、煩悩を断ち切れない人たちばかりの柴又界隈(つーか社会全体だよね)にあって、御前様が敬われ続けている背景には、こんなハードな物語があってもおかしくない。
文・写真=瀬戸信保