「グリーンマン」によく似たやつ

そこには頭からツタを生やしながら、恐ろしい形相で睨む顔の彫刻があったからだ。

堀切のグリーンマン(2017年撮影)

ヨーロッパの古い建物によくあるような……と思って調べると、中世の教会建築などには顔が葉で覆われた「グリーンマン」というモチーフが用いられ、その系統ではないかと推測できる。となれば頭からツタを生やしていても不思議はないのであるが、しかしなぜ現代日本の普通のビルにこれを設置してしまったのだろうか。

顔に怖い隈取をしたやつ

街を歩いていると、このような「植えられている花より目立ってしまうプランター」に時折出くわすことがある。そもそも花自体がパッと目立つ存在なわけで、それより目立つプランターとなると、出会った時の第一印象は「ギョッ」である。高円寺の駅近くのビルでも、「グリーンマン」に類似した顔の彫刻を発見してギョッとした。こちらは至って和風で、隈取をした顔にカーネーションの造花が植えられているものだ。

高円寺の隈取(2019年撮影)

こうした「頭から花が生えている」タイプのプランターを見るたび、何かに似ている、何だろう……とつらつら考えていたところ、ふと思い出した。落語の「あたま山」である。ケチな男がサクランボを種ごと食べて、頭に桜の木が生えて花が咲くという話だ。自らの頭の上で皆が花見のドンチャン騒ぎを始めるという恐ろしい話なのだが、頭に桜の花が満開になっている様子を思い浮かべれば、何とも楽しげでもある。これらの人頭型のプランターを、恐ろしさと楽しさが共存する「あたま山型プランター」と分類したい。

マネキンを使ったすごいやつ

「あたま山型プランター」の傑作として、以前見かけた鎌倉の理髪店を挙げたい。店頭にカットの練習に使うマネキン達がズラッと並び、その頭部から観葉植物が生えているのである。これは純粋なプランターではなく、マネキンのプランター利用ということで多少趣が異なるかも知れないが、それにしても見事な「あたま山」であった。

鎌倉のマネキン達(2005年撮影)

ドラえもんに出てきそうなやつ

一方、逆のケースもある。横浜を散歩していた際に、私はまたプランターにギョッとさせられた。今度は下半身のみなのである。

横浜の足(2019年撮影)

階段にちょこんと腰かけた、ジーンズを穿いた少年(多分)の胴体部分から綺麗な花が咲いている。段差を生かしたデザインは素晴らしいとは思うのだが、なぜこうなってしまったのか。私はこれを見てドラえもんの「人間切断機」の話を思い出した。テレビを見ている最中におつかいを命じられたのび太が、「人間切断機」で上半身と下半身を分けて、電子頭脳を着けた下半身におつかいに行ってもらうという話である。ところが次第にのび太の下半身は、上半身に反逆しはじめる。このプランターも、今にもスックと立ち上がって、足だけでどこかに行ってしまいそうではないか。想像するだに恐ろしい。

まるでゾンビのようなやつ

当初は何の問題もないデザインだったプランターが、時が経つにつれて凶悪さを増すケースもある。国領の街で見かけた、素焼きのウサギをかたどったプランター。植物が入る前はただかわいらしい鉢という印象だっただろう。ところがその鉢で蔓の伸びる植物を育てた結果、目や口から蔓が飛び出し、まるでゾンビのような風貌になってしまったのだ。

国領のウサギの鉢(2020年撮影)

プランターを購入する際には、将来それがどのような結果になるかを考慮して選ばなければならないと思い知らされる。

それにしても「花より目立ってしまうプランター」は、なぜどれもこれも「恐ろしさ」と隣り合わせになってしまうのだろうか。人々に安らぎを与える花や植物に対抗するためには「恐ろしさ」を武器にするしかないからであろうか。いや、別にプランターは花や植物と対抗しなくても良いはずなのだが。それでも私は今後も街で、恐ろしいプランターに出くわしてしまうのだろうなとうっすら感じている。

絵・写真・文=オギリマサホ