非合理的かつ不可解な寅さん帰郷ルート

『男はつらいよ』シリーズは、最近の第50作をのぞき、およそ寅さんが「とらや」(第40作以降は「くるま菓子舗」)もしくは帝釈天参道界隈に“帰郷”することから騒動がはじまる。のだが、その帰郷ルートが問題だ。

ルートは3つに大別できる。すなわち、
・京成柴又駅ルート
・江戸川土手ルート
・矢切の渡しルート
だ(例外的にタクシーで帰郷第4作というのもある)。

柴又駅ルートは、まあメインルートと言っていい。絶対的最寄り駅であり、あえて説明はいるまい。その一方で、アクセスとして非合理的かつ不可解なのが「江戸川土手ルート」「矢切の渡しルート」だ。

我らが寅さん、なぜこれらのルートを選択し、どのように帰郷したのか? 連載初回は、寅さんに、映画に思いを馳せながら、バカバカしくも大真面目にこの帰郷ルートを検証してみたい。

■検証1■ 矢切の渡しルート

松戸駅から路線バスに乗る

寅さん帰郷ルートとして、「お前はそれほど馬鹿か?」と言いたくなるほど非合理的に思えるのは矢切の渡しルート(第1作、第11作、第13作、第38作、第42作)。寅さん自身もヒット曲『矢切の渡し』を口ずさむほど(第33作)お気に入りの渡し船だが、まず気になるのは、旅先から矢切の渡し東岸(松戸市側)に向かうに当たってどこの駅で下車したかという点だ。

矢切の渡し。もともとは両岸の農民の日常の往来のために運航されたもの。
矢切の渡し。もともとは両岸の農民の日常の往来のために運航されたもの。

考えられるのは常磐線松戸駅と北総開発線矢切駅の2つだが、矢切の渡し帰郷シーンのある最新作(第42作)が封切られた1989年の時点では、まだ矢切駅は存在しない(1991年3月31日開業)。ってことは下車駅は、ほぼ間違いなく松戸駅だろう。

でも普通、常磐線使って柴又に帰るなら金町下車っしょ。「常磐快速線―緩行線(各駅停車)乗り間違え疑惑」「寝過ごし疑惑」が頭をよぎるが、それを言っちゃあ、おしめぇよ。

さて松戸駅へ行ってみよう。ここから矢切の渡しへのアクセスは
・京成バス「松31系統」矢切の渡し停留所下車
・京成バス「松11系統」下矢切停留所下車
の2ルートがある。

矢切の渡しの最寄りは前者だが、矢切の渡し停留所へは土・日・祝日のみの運行で1日に8本程度。ちと勝手が悪い。

一応、念のため実際に乗車してみる。東京のすぐとなりとは思えないほどのローカル路線風情を車窓に映し17分ほど。矢切の渡し停留所から矢切の渡しまでは、ネギ畑や河川敷のゴルフ場を眺めつつ江戸川土手東岸を歩くことさらに15分。利便性、所要時間、沿道風景など総合的に検証した結果
「散歩にゃいいが帰郷ルートとしての説得力には欠けるよなあ、さくら」
と言わざるを得ない。

京成バス「松31系統」矢切の渡し停留所。周囲は松戸市特産「矢切ねぎ」などの畑が広がる。
京成バス「松31系統」矢切の渡し停留所。周囲は松戸市特産「矢切ねぎ」などの畑が広がる。

柴又―矢切をつなぐ意外な縁

次に後者「松11系統」で矢切の渡しに向かってみる。この系統本数はデータイムでも1時間に9~10本と高頻度で立派な幹線ルートだ。ちなみに市川駅行きなので、総武線市川駅から寅さんが乗車したのでは…という可能性も捨て切れないが、ここでは触れずにおく。

バスは江戸川河岸丘段の斜面林と並行するように伸びる松戸街道を南下し、およそ10分で下矢切停留所に到着。ここの周辺からから矢切の渡しまでは「野菊のこみち」なる散策路が整備されていて、野菊の墓文学碑、野菊苑など立ち寄りスポットが点在している(所要時間およそ20分)。

野菊の墓文学碑。「○○さんは野菊のような人だ」なんてセリフ、寅さんは言えないだろうな~。
野菊の墓文学碑。「○○さんは野菊のような人だ」なんてセリフ、寅さんは言えないだろうな~。

小説家になった甥の満男はともかく(第50作)、寅さんと純文学に縁があるとは思えないなあといささかテンション下げつつこの散策路をたどると、街道から少し西に入った住宅地の中に小さな神社らしき祠を見つけた。矢喰村庚申塚というらしい(「矢喰」は「矢切」の旧表記)。

矢喰村庚申塚。16世紀中期の国府台合戦の死者を弔うため江戸時代中期に地元民が寄進。
矢喰村庚申塚。16世紀中期の国府台合戦の死者を弔うため江戸時代中期に地元民が寄進。

犯した過ちを軽減してくれる御利益があるという庚申信仰。そう言えば、柴又帝釈天も庚申の日が縁日となるなど、庚申信仰と関わりが深いぞ。つまり奇しくも江戸川・矢切の渡しを挟んで西岸の柴又と東岸の松戸市矢切地区は庚申信仰で繋がっているのだ。

帝釈天で産湯を使い、長じては全国の神社境内およびその祭礼で商売をしたり、「天に軌道のあるごとく、人も生まれ持ったる干支というものを持っております」てな名調子で干支で易断することもある寅さん(第13作、第35作ほか)。帰郷の道すがら庚申のつながりの縁で矢切の庚申塚に参拝する信心があっても不思議ではない。お参りしながら“恥ずかしきことの数々”(第1作、第10作ほか)を悔いていたのかも。

作品を通しても、恋愛関係、人間関係ではトラブルを起こすけど、神仏を決して疎かにしない姿が描かれている。そんな寅さんの信仰心がわざわざ遠回りしてまで矢切の渡し経由で帰郷させる…そこにこの疑問への答えを求めておきたい。

■検証2 ■江戸川土手ルート

金町界隈でたびたび商売も

帰郷に限らず、映画『男はつらいよ』に欠かせないロケーションである江戸川土手。ここを歩いて柴又に向かうとすれば、下車駅はおそらくJR金町駅だろう。

この界隈では、すずらん通りで源公と文房具を売っていたり(第16作)北口で易断をしてたり(第20作)とたびたび商売をしている。もしかして帰郷のついでにも商売をして、満男へのお土産でも買おうとしていたのかも。

しかし、このルートはとにかく歩行距離が長い。約2.5㎞、ってことは徒歩およそ40分ってところか。冗談じゃないねえまったく。

金町の象徴だったすずらん通りは、再開発でアーケードも撤去されて往時の面影なし。
金町の象徴だったすずらん通りは、再開発でアーケードも撤去されて往時の面影なし。

さて江戸川土手に向かうべくJR金町駅南口を出る。「京成乗ったら早いのにぃ」と京成金町駅を恨めしげにスルーしてすずらん通りに。しかし象徴的だったアーケードはすっかり撤去され、周辺は再開発で近代的な商業施設に。これじゃ寅さんの面影も探しようもない。気を取り直して水戸街道沿いに歩を進めること5分あまり、江戸川土手の麓に着く。

故郷の自然に抱かれ柴又を俯瞰

水戸街道は新葛飾橋脇の階段を上りきると、眼前に大きく視界が開ける。雲が低く空が広い。草っ原のなか悠々と流れる川面も空を映し青く広い。こんな広い天地は東京23区内には無いかとも思う。

水戸街道は新葛飾橋脇の江戸川土手へ上る階段。作品には登場してないが、寅さんもきっと利用していたハズ。
水戸街道は新葛飾橋脇の江戸川土手へ上る階段。作品には登場してないが、寅さんもきっと利用していたハズ。
町がどれだけ移り変わっても、この風景だけは変わらない。寅さんでなくても「あ~帰ってきた~」と思えてしまう
町がどれだけ移り変わっても、この風景だけは変わらない。寅さんでなくても「あ~帰ってきた~」と思えてしまう

南に歩を進める。土手上の道は歩行者・自転車専用で、ぼんやり思案しながら歩くのに好都合だ。やがて右手に金町浄水場を過ぎた辺りで柴又の町が俯瞰できる。

寅さんは何を思ってここを歩いたのだろう。

「今度帰ったら、今度帰ったら、きっとみんなと仲良く暮らそうって」(第17作)などと、しばし後悔と反省の時を過ごしていたのかも知れない。

シャイな寅さんのこと、とらやの面々を思い浮かべながら、どんな態度で接したらいいか思案していても不思議じゃない。

ともあれ、寅さんが故郷に帰る心の準備をする上で、最高のシチュエーションであることは想像に難くない。どんなに距離が長くてもこのルートを選ぶ気持ち、少しわかった気がする。

博とさくらの結婚披露宴(第1作)が開かれた料亭「川甚」の辺りで土手から降りる。

この先、帝釈天題経寺付属のルンビニー幼稚園の前を通って昔の色恋沙汰(第4作)に思いを馳せようか、はたまた鐘楼へ回って源公でもからかおうか。

―――懐かしき「とらや」はもうすぐだ。

第1作で博とさくらの披露宴を開いた料亭「川甚」。会場内部はセットだが、たこ社長がカブで突っ込んだ玄関は現存。
第1作で博とさくらの披露宴を開いた料亭「川甚」。会場内部はセットだが、たこ社長がカブで突っ込んだ玄関は現存。
題経寺付属ルンビニー幼稚園。第4作で栗原小巻扮するマドンナが勤務。寅さんも園児たちとお遊戯してました。
題経寺付属ルンビニー幼稚園。第4作で栗原小巻扮するマドンナが勤務。寅さんも園児たちとお遊戯してました。
題経寺の鐘楼。鐘をつくのは源公の日課。夕焼けに染まった様子がまた絵になるんです。
題経寺の鐘楼。鐘をつくのは源公の日課。夕焼けに染まった様子がまた絵になるんです。

文・写真=瀬戸信保

 

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のっけから私事で恐縮だが、筆者と寅さんの甥っ子・満男(吉岡秀隆)は同世代である。そのせいか、つい満男を物差しに『男はつらいよ』の時代背景を見てしまう傾向がある。「満男が○歳くらいだから、○年頃の作品だな~」とか。「このくらいの歳の時はこんなことしてたな~」とか。当然、彼の思春期も恋愛もほぼ同時進行だ。それだけに満男の自称“ぶざまな恋愛”は他人事には思えない。他人の恋路にあれこれ口を挟むなんざ野暮なヤツだとお思いでしょうが、甚だお節介ながら満男の恋愛を斬らせていただきます。浅野内匠頭じゃないけど、もうバッサリと!イラスト=オギリマサホ