ランチの一食として成り立つそば
『和そば』があるのは武蔵小山の駅前、商店街に入ってすぐのところだ。隣りにはチェーンの『松屋』『勝牛』『串カツでんがな』が並ぶ、明らかな一等地。
そば好きとしては新しい店ができるのは大歓迎だが、こんな激戦区でやっていけるのか、つい余計な心配をしてしまう。
店舗は前面がガラス張りで開放的な雰囲気。初めての人や女性でも入りやすい。
定番のかき揚げそばを食べてみると、店舗と同じく、間口の広い“デザイン”となっていた。
そばは更科っぽい麺で喉越しがいい。ツユはかえしのきいた東京風ではなく、ダシの風味が味わえるタイプ。カツオ以外に昆布やしいたけも使われていて、やわらかくもしっかりした旨味が味わえる。
かき揚げはさっくり揚がり、それ以外にししとうやいんげんなどミニ天ぷらがついている。さらには、大根おろしもつけられている。食べ足りないということはなく、量は十分。とがったところはないが、ちゃんとおいしくて、毎日、食べられるそばだ。
かき揚げそば680円は安い?
これで680円。高いと見るか安いと見るか?
私は安いと思う。ボリューム、満足度から見て、ランチの一食としてちゃんと成り立っている。現在、原材料や光熱費の高騰で、東京でのランチの平均価格は1000円前後で、それを考えれば『和そば』は十分に安い。開店すぐに人気店となったのも、うなずけるのだ。
いろいろと作戦を立てていそうな『和そば』。それはそばだけでなく、店の成り立ちも同じだった。
『和そば』のオーナー、永谷和広さんは、もともとこの場所でつけ麺の『三ツ矢堂製麺』をフランチャイジーとして営んでいた。しかし、最近の光熱費や人件費の高騰で、フランチャイズという商売のやり方が限界になり、独立して飲食店を再スタートすることを決意したのだ。
なぜそばだったのか? 鍵になったのが光熱費と人件費だった。
ラーメン、つけ麺の場合、スープを炊くため長時間、ガスを使う必要がある。スープだけでなく麺を茹でるにもお湯を沸かすし、低温調理でチャーシューを作るにもガス代がかかる。
その点、そばならダシをひくにも短時間で済むし、麺の茹で時間も短い。提供もセルフ方式にできるので、人件費も削減できる。
また、永谷さんの親族がそば店をやっていたことも大きかった。大久保にある老舗そば店『近江屋』は、彼の父の実家。駅前にある有名店だが、父親はその支店(現在は閉店)をやっていたという。永谷さん自身、そばに親しんでいたし、知識や技術もあった。
新しい大衆そばの形
そば店を始めるうえで、幅広い客層も意識した。武蔵小山は働く人たちに加え、住民人口が多い。年齢層も昔から住んでいるシニア層から、新築マンションに住む若い世代まで幅広い。都心や郊外の住宅地と違い、とにかくいろいろな人が集まっているのだ。
そのことも考え、前面をガラス張りにして入りやすくし、席間を広くとって居心地をよくしている。そばというと、どうしても中高年男性のイメージがあるが、老若男女、幅広い人にアピールできる作りにしたのだ。
日常食のそばを間口の広い店で提供する……その狙いは、見事に当たった。
実はここのところ、立ち食いそばの新店がポツポツ出てきている。
よく見られるのが居酒屋の二毛作。コロナが明けて店に客は戻ったが、夜遅くまで飲む人が減り、売上が戻らない。そのぶんをカバーしようと、朝や昼に手軽に提供できるそばを始めるのだ。
あるいは物価高騰のおり、それでも500~600円台で出せるそばならいけるだろうと、新しく店を始めるパターンだ。
しかし、それらがすべてうまくいっているわけではなく、始めて3カ月もたたずにやめてしまうところも多い。そんな中、『和そば』は新しいそば屋の数少ない成功例といえよう。
しっかりしたクオリティでボリュームのあるそば。入りやすく、居心地の良い店内。それが、駅前の便利な場所にある。実はこういうそば店は、ありそうでなかった。
今後、『和そば』のようなそば店が増えていきそうな、そんな予感がする。
取材・撮影・文=本橋隆司