東京手みやげの定番のひとつ『神田淡平』
目的のお店があるのはJR神田駅から徒歩2分の場所。
商店街の中、いかにも歴史を感じさせるような、筆字の看板を掲げる煎餅・あられの専門店『神田淡平』です。
創業は1884年(明治17)。140年もの歴史を刻んで来た老舗は、東京みやげやおもたせとして、はたまた自宅用に煎餅を求める人々でにぎわいます。
ラインナップは、醤油の風味が香ばしい葛飾今戸焼煎餅を中心に、生姜やニンニクの効いたものから、琉球ザラメを使用した甘いものまで様々。
そんな中で、こちらのお店の最古は「激辛特辛子煎餅」です。……ただし激辛煎餅の発祥というわけではありません。なんと、「激辛」という言葉がここから生まれたのです。
「激辛」とはどのくらいの辛さなのか
そのゆかりは後述するとして、まずはお味から。
一口目に感じられるのは、もちろん一味唐辛子の辛さです。舌に直接感じられる刺激だけでなく、煎餅の中からも、噛むほどにジュワッと辛さが滲み出てくるようです。
それもそのはず、一味唐辛子は生地の中にも練りこまれており、その量はこれ以上入れると煎餅としての形が崩れてしまうという限界の量だそう。
その生地を焼いて醤油をつけた後、外側にもさらに一味唐辛子が、親の仇のようにまぶされています。
さらに食べ進めると、国産うるち米100%の軽やかな歯ごたえと、一味の奥に感じられる甘みがクセになります。
このお店が生み出した「激辛」という言葉から辛いものがブームとなり、日本の食べ物の辛さがブーストされて来たことで、私たちの味覚が辛さに慣れてきているように思います。
その結果、確かにとても辛いのですが、「我慢できない!」「つらい!」というほどではなく、おいしさが確かに感じられ、現代では多くの人に受け入れられるのではないでしょうか。
激辛の誕生は復讐からはじまった
なぜ、伝統的な煎餅店で、「激辛」というアバンギャルドなメニューが登場したのでしょう。
その背景には、5代目である現店主の鈴木敬さんの小学生時代のエピソードがありました。
ある日、敬少年が塾の先生に、少量の唐辛子がまぶされた煎餅を渡されて食べてみたところ、火を吹くほど辛かったそう。
平然を装ってはいたものの、涙目で我慢しているのはバレており、先生は笑いをこらえていたと言います。
悔しくなった敬少年は、その煎餅を一枚持ち帰ると、父親(先代店主)に「これより辛い煎餅をつくろう」と話し、数日後にはタップリと唐辛子をまぶした煎餅が完成。
それを塾に持っていくと、教室は悲鳴が飛び交う大騒ぎとなって、敬少年の復讐は成功したのでした。
この煎餅を商品向けに改良して「激辛」の冠をつけて販売すると大きな評判になり、1986年の流行語大賞で銀賞を獲得するに至りました。
その後、日本中で激辛ブームが巻き起こりました。唐辛子タレ入りラーメンの『一蘭』が全国的に人気になったのも、『CoCo壱番屋』の辛さが選べるシステムが人気を博したのも、激辛ブームが下地にあったからこそだと私は思います。
そして現代、激辛はブームをへて文化になったとまで言ってもよいでしょう。それは、激辛という言葉が食べ物だけでなく、「激辛コメント」や「審査基準が激辛」などのように観念として、私たち日本人の中に浸透しているからです。
そんな「激辛」の始まりを、『神田淡平』の煎餅で味わって見てはいかがでしょう。自分で食べるのはもちろん、話題作りのひとつとして手みやげにも最適な一品です!
写真・文=Mr.tsubaking