駅を出た途端、黄色い「学生ローン」の看板がでかでかと並び立っているのが目に入り、足が思わずすくんだ。あんなに目立つところにあるってことは、在学中、お世話になる人も多いんだろうか。おろしたてのスーツが肩の辺りでごわつくのが急に気になりだしたけれど、信号は既に青になっていて、雑踏に押されるようにそのまま歩き続けるしかなかった。
ピアノは母が習わせてくれていた。父のところへ引き取られてしばらくしてから、それを知った父が近所のピアノ教室を探してくれたが、私は練習しているときに母が隣で一緒に弾いてくれるのが好きだったので、新しい教室ではさぼりがちになってあまり上達しなかった。最後に弾いたのは六年生のクラスの合唱コンクールで、クラスに私しかピアノを弾ける人がいなかったので仕方なく引き受けた。他のクラスの伴奏担当はもっと上手なのを知っていたから本番ではよけい緊張して、簡単なはずの場所でなんども間違えた。

空港から祖父母の家までは車で四〇分ほどだった。見渡す限りまっすぐ続く道路の両脇には、さらに延々と平原が広がっている。いかにも北海道らしい景色だと思いながら窓の外をぼうっと見ていると、時折ソーラーパネルらしきものが固まって立てられていて、また平原に戻る。鳥注意、と羽を広げた鶴のシルエットが描かれた看板をふーんと見送ってしばらくのち、視界を白いものがかすめた。

「紗凪ちゃん、鶴だよ」

おばあちゃんの声に、遠ざかっていく白い丸を思わず目で追うと、すっと首を伸ばして、それはたしかに鶴の形になった。

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二十歳になったとき、父から送られてきた電話番号と住所。それが母方の祖父母のものだというのは、すぐに察しがついた。先ず思ったのは、釧路だったのか、ということだ。母が北国の出身だというのはなんとなくどこかで聞いたことがあったが、具体的な地名までは知らなかった。

「紗凪はもう大人だから、好きにしなさい。おじいちゃんもおばあちゃんも、とてもいい人だよ」

父はそう言ったけれど、これまで父から母方の祖父母の話題がほとんど出なかったことからして、なにかわだかまりがあるのだろうと思った。母はおそらく自死だし、既に離婚していたにも関わらず、祖父母ではなく、父が私を引き取ったのだから。私は母の墓参りさえしたことがない。子供心に触れてはいけない話題だと察して、自分から父に聞いたこともない。私が母の日記に執着したのは、ほとんどそれしか拠り所がなかったからでもある。

そんな父が母の話を出したのだから、気になっていたことをいろいろ聞き出すチャンスだったかもしれないが、あの頃の私はまだ父との距離感を探っている最中で、深掘りするのは気が引けてしまい、曖昧な返事で電話を切ったと思う。ちょうどコロナの不安が広がっている時期で、実家にもずいぶん顔を出せていなかった。

受け取った連絡先をどうするかは、ずいぶん悩んだ。私から連絡しなければ、縁は切れたままだ。それでいいのかもしれないとも考えた。母のことを思い出させて、嫌な気持ちにさせてしまうかもしれないし。

それでも、放置すればするほど気になってしまって、結局は思い切って連絡してみることにした。いきなり電話を掛けるのは緊張するから、はじめは手紙を出した。もしかしたら返事はこないかもしれないとさえ思っていたのに、一週間後に段ボールいっぱいの名産品が届いた。添えられた手紙には、ぜひいつか遊びに来て下さい、とあった。

私はその場でお礼の電話をかけた。おばあちゃんの声は想像していたより何倍も優しかった。すぐにでも訪ねて行きたい気持ちだったが、時期が悪すぎた。コロナは当初思っていたよりもずいぶん長く猛威を振るい続け、そうこうするうちに卒業のときが近づいていた。就活に卒論に、そして社会人となってからは新生活に慣れるのに精一杯で、母の故郷を訪ねたいという気持ちはいつのまにか薄れてしまっていた。

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思い出したのは、裕斗との言い争いを父に相談したときだ。

就職して二年経ち、どうやら私は同世代と比べて、かなり仕事が好きな方らしいとわかってきた。好き、というか、得意、というか。まだ新人なのだし、当たり前のことを当たり前にやれば評価してもらえるじゃん、と思うのだが、他の人はなかなかそううまくはいかないようだ。確かに同期を見ていると、あの人に一言挨拶すれば丸く済んだのに、とか、この週だけでもちょっと早出したら印象変わるのに、とか思うことがままある。些細なことだが、その積み重ねで、なんだか私はうまくやれている。

裕斗はそういうのがダメなタイプだ。大学三年生で同じゼミになったとき、なんだかんだと言いくるめられてゼミ長を押しつけられていたころからずっと変わらない。生真面目で、不器用。そこが好きなところではあるのだけれど、会社では苦労しているようだ。社会人になってから、何度デートをすっぽかされたことか。上司がまだいるから帰れないとか、急な飲み会が入ったとか、だからそれを回避できるようにうまくやりなよと提案しても、うちは保守的な会社だからさ、と言葉を濁す。私の会社だって保守的だ。だからこそ工夫して意見が通るように努力するんじゃん、と言っても理解してもらえない。

デートをすっぽかされるだけなら別にいい。問題は、裕斗自身がどんどん塞ぎ込んでいっていることだ。朝起きられない、夜も眠りが浅いという。仕事辞めたい、と口にするのを何度聞いたか。転職を勧めると、でも三年は頑張りたいという。何を根拠に三年なのか聞いても、埒(らち)があかない。昭和かよ、と言いたくなる。今すぐ転職すれば第二新卒のカードが使えるのに。

もともと、就職して、落ち着いたら結婚を考えてもいいね、と話していた。まだそんな気があるか聞くと、もちろん、と返事だけはいい。でもとてもじゃないけれど裕斗の状態は見ていられない。しばらく私が養おうか、と本気で提案した。それでも曖昧な返事をするので、今後の私の年収予想と結婚に際しての予算、ふたり暮らしの平均的な出費、さらに子供ができた場合の予想まで資料にまとめて説明した。

慣例では来年あたり等級が一段階上がるはずだから、私ひとりの収入でもふたり暮らしならどうにかなる。主夫になって生活をサポートしてくれるならむしろありがたいくらいだ。子供を産むなら五年後くらいか。私の一世一代のプレゼンを聞き終えた裕斗は、しばらく黙った後、こう言った。

「ありがとう。紗凪の気持ちはよくわかった。でも……俺もさ、男なんだよ」

は? と言いたくなった。言ったかもしれない。それ以来、裕斗とはなんとなくギクシャクしている。つきあいが長くなって、恋人らしい甘いやりとりもなくなっているし、もう潮時なのかとも思う。でも結婚したい気持ちは本気だ。だからわざわざあんな面倒な資料を作ったんだし。相談した友達はおおむね私の肩を持ってくれたが、その勢いで久しぶりに会った父にも愚痴を漏らしたのがまずかった。

「うーん。悪いけど、お父さんには、裕斗くんの言い分もわかるなあ」

それでまたわからなくなった。その場では父にも突っかかってしまって、帰ってからひとしきり落ち込んだ。こんなとき、お母さんにも相談できたら。そこではっと釧路のことを思い出したのだ。コロナもやっと落ち着いてきた。そろそろ訪ねるにはちょうどいいタイミングだ。裕斗からも、父からも、こんな暑苦しい関東からもしばらく離れたい。ちょうど上司から、夏休みの申請も催促されていた。

数年ぶりになってしまった電話だが、おばあちゃんの声は相変わらず優しく、大歓迎の様子だった。日程もとんとん拍子に決まった。お盆だし、お墓参りに行きたいと言うと、ちょうど母の姉夫婦が帯広から来るということで、みんなで集まることになった。

父にも報告すると、いいことだね、と短く返事があった。父のメッセージはいつも短くて感情が読み取れないので、どう思っているのかよくわからない。自分で言い出したくせにいきなり知らない親戚に囲まれるのにちょっと不安を覚えて、旅程は短めの二泊三日にした。他にもいろいろ気がかりはあるけれど、まあ、なんとかなるだろう。

文=貝塚円花
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。