背後では鉄腕アトムのテーマが軽快に流れていた。たしかここから大学まで歩きで十五分ほどかかるはずだ。地下鉄を使えばキャンパスのすぐそばまで行けるし、入試のときはそうしたのだけれど、私は母の日記に頻繁に記されていた「馬場歩き」とやらをさっそく試してみたかった。

きょろきょろとあたりを見回す。いま横を通ったのがたぶんBIGBOX、ロータリーにある変なポーズの女性の銅像も日記に書かれていた通りだ。景色に気を取られて歩調が遅くなった私の横を、同じように真新しいスーツを着た同世代が何人も追い抜いていった。彼らの中には、入ってみたものの早々にミュートしてしまったLINEグループ「春から早稲田2018」のメンバーもきっといるのだろう。ほとんどみな両親とおぼしきひとたちと並んでいるのを見て、胸が少し痛む。

「紗凪、今どきは大学の入学式に親はついていくものかな」

「やめて、過保護すぎ」

遠慮がちに訊いてきた父親へ、食い気味にそう返したのがついひと月前のことだった。父は淋しそうな顔をしたけれどそれ以上なにも言わず、ただスーツを買いに行くのを手伝ってくれたのだった。

大学へ近づくにつれサークル勧誘を行う在校生たちの声かけが激しくなる。校門に立てかけられた入学式の看板を見て、来年には元号が変わってしまうことを思い起こすが、どこか現実感がない。大隈講堂での式典まで少し時間がありそうだからキャンパスを覗いてみようか、と軽く考えたのが間違いだった。紙吹雪のように四方八方から差し出されるサークル勧誘のビラを、私は中身を確認することもできずにひたすら受け取り続けた。引き返そうにも前も後ろもこの洗礼を受けている新入生で詰まっているので、列に従って歩くしかなかった。みな困惑しつつも晴れやかな顔をしている。

同じ高校の出身なのか、新入生同士でも親しげに話しているのを方々で見かけた。私の学校から早稲田に進学したのは三人だった。私のほかは二人とも男子で、卒業後、LINEグループの招待をもらったほかには特にやりとりしていない。もともとあまり喋ったこともなかったし、そもそも学部が違うのでこの時間帯にはいないはずだった。

中学生のころにはもう、ここへ進学したいと思っていた。数学の授業はぜんぶ英語の勉強に使って、先生から何度も呼び出された。将来の夢を問われれば「編集者」と答えた。でも本当に自分がそう思っているのか、結局はよくわからなかった。嘘をついているわけではない。ただ、母の方がきっと、心からそう思っていただろう。

何度も繰り返し読んだ日記の冒頭、二十五年前の四月一日に意気込んで書かれた大学生活への抱負。母は飽き性だったようで、次のページをめくるころには日記の頻度は一週間に一度、もう一度めくると一ヶ月に一度、とだんだん落ちていき、二年生の半ば頃に「心機一転、また日記をはじめようと思う」と綴った日を最後にぱったりと途絶えていた。

母は私が四歳のときに亡くなった。最後に聞いた言葉は「ちょっと出かけてくるからね」だった。二人暮らしの小さなアパートで母を待っていたけれど、とうとう帰ってこなかった。私はうまれて初めての一人の夜をほとんど眠れずに過ごし、昼に近くなったころ父が迎えにきた。そのまま祖母と父とともに暮らしはじめ、前に住んでいた家がどうなったのか、母がどうしていなくなったのか、詳しく聞かされたことは一度もない。でも父の様子からして、母はたぶん自ら死を選んだのだろうと悟っていた。

母がどんな人だったか、ぼんやりとしか覚えていない。顔は写真で見た笑顔しか頭で再生できないし、声もわからない。中途半端に終わっている大学時代の日記を大人になっても残していたのだから、きっとこの時代は母にとって特別で、大切な時間だったのだろう。中には苦悩も書かれていたが、それさえもどこか希望があって、ほとんどは友人や恋人との楽しい日々が綴られていた。

折に触れ日記を読み返すにつれ、私は母の見ていた景色を自分も見てみたいと思うようになっていた。だから無事に合格したときは胸が高鳴った。父は将来のことを考えて第二外国語は中国語にした方がいいとか言っていたけれど、迷わず母と同じフランス語を選んだ。

式典では学帽をかぶった大人がたくさん出てきてなにか喋っていたが、緊張していた私の頭にはほとんどなにも残らなかった。最後に隣の見知らぬ新入生と肩を組んでサビしか知らない「都の西北」を歌い、会場を出ると既に疲れ切っていた。帰りはおとなしく早稲田駅から電車で帰った。高田馬場駅から西武新宿線に乗り換え、引っ越したばかりのアパートへたどり着く。

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開けていない段ボールの山にもたれかかり、ヒールで痛めつけられた足先を伸ばした。鞄に突っ込んでいたビラの束を確認しようかと取り出したけれど、目が滑って読めないので後にすることにして、いったん床に投げ出してしまった。祖母が見たら叱るだろう、と思ってから、一人の部屋が急に淋しく感じられた。鞄にはまだ式典の案内と、例の日記が収められていた。私は日記を取り出して、冒頭の記述を読んだ。

4/1 今日から私も早大生だ!

元気な一文から始まる文章は最後のひと文字までこれからへの希望へ満ちていて、式典に出席しただけで疲れて動けなくなったなどとはどこにも書いていなかった。聞いてないよお母さん、と胸のうちでこぼしながら敷きっぱなしの布団まで這っていき、スーツのまま寝そべった。仰向けになると蛍光灯がまぶしい。あれは父が取り付けてくれたものだ。

引っ越しの日、私は父の車でアパートまで連れてきてもらった。通えない距離ではないのにわがままを言って一人暮らしをさせてもらうのが気まずくて、移動中、父からの問いかけにはあまりうまく返事をできなかった。もう子供ではないところを見せたかったのに、業者とのやりとりはぜんぶ父がてきぱきと済ませて、足りないものの買い出しも行ってくれた。いてくれて助かったと思いながらも、バタバタしたまま別れたのをいいことに、お礼の言葉は言い損ねたままだ。無事に入学式が終わったことを連絡しなければ、と思いつつ、段ボールの上に置きっぱなしのスマホまで手を伸ばすのが億劫だった。

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母の日記をたどる試みは早々に壁にぶつかった。まずは出てくる飲食店を順番に巡ってみよう、と店名を検索していってすぐ、ほとんどが閉店していることがわかったのだった。日記に頻出する、母が気に入っていたらしい喫茶店に限ってなくなっていることが多かった。もう二十年以上も前の日記なのだから考えてみれば当たり前だったが、私は街が移り変わっていくという事実をすっかり忘れていたのだった。そもそもがキャンパスだってあちこち工事をしていて、当時とは雰囲気の違うところも多いはずだった。

伝統的な建物もたしかに残っているけれど、ほとんどは近代的なビルに改装されている。日記にときどき出てくる地下の怪しい部室の数々はとっくに一掃されてすぐそばの戸山キャンパスにあるこぎれいな学生会館にまとめられているようだし、その隣のアリーナにはもうすぐスターバックスもやってくるという。

大学の前の商店街には古くからやっている食堂も、オープンしたばかりのおしゃれなカフェも入り交じっていた。思い描いていた計画が頓挫したのがショックでしばらくはどちらにも足が向かず、食事は演習の授業で知り合った友人たちと学食で食べることがほとんどになった。フランス語の授業でも気軽に話せるグループはできたけれど、私と同じく韓国のアイドルやファッションが好きな友達が多い演習のグループとの方が親密になれた。

「紗凪、なんで韓国語にしなかったの?」

訊かれて答えに窮すと、横から同じくフランス語を選択している子がだってフランス行きたくない? といいかげんに返したので、同調するように頷いておいた。

話を聞いているとみなもうバイトを決めているし、サークルの見学もいくつか行ったという。バイトやサークルが忙しくなれば、いまのメンツで集まれる機会もだんだん減っていくかもしれない。日記のことばかり考えていた私はすっかり置いていかれた気分になった。

バイトは実入りがいいときいた塾講師の募集へアプリから適当に履歴書を送ってみたが、サークルは探すにあたってなんの目星もない。念のため母が所属していたらしいテニスサークルの名前を検索してみたけれど、ネット上には存在がないほど昔になくなってしまったようだった。私は父に似て運動音痴だから、かえってよかったのかもしれない。

しかたなく入学式の日にもらった大量のチラシを床から拾い集め、興味があるものだけをより分けた。サークル名でSNSを検索するとだいたいどこも新入生無料を掲げる新歓コンパの案内を出していた。特別ぜいたくをしているわけではないのに、ただ日々を過ごすだけで貯金が減っていくことを実感したばかりの私には、一食ぶんの食費が浮くことのありがたさがしみた。

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小学生のころまでピアノを習っていたからどうにかなるだろう、と軽い気持ちで参加したバンドサークルの新歓コンパで、私は名前さえ聞いたこともない数々のロックバンドへの批評をひたすらに浴び続け、相づち以外ほとんど喋ることができなかった。隣に座っていた同学年の男子は、会の最初で楽器を弾いたことのない初心者だと言っていたにも関わらず、先輩たちと近年のバンドシーンについて熱く語り合いはじめ、裏切られたような気分になった。

このサークルに入ることはないな、と気持ちを固めて店を出たはずが、気づけば二次会の会場にたどり着いていた。行きは大学から早稲田通りの居酒屋まで先輩の案内に従ってぞろぞろと連れてこられていたので、帰りも同じようにみんなで駅まで向かうのだと思いこんでいたのだ。幹事の説明をちゃんと聞いていれば理解できていたかもしれないが、店は騒がしすぎたし、二次会というのも初めての経験だった。今度は同性の先輩と同じテーブルになったので、ピアノが弾けることのほかに、韓国のアイドルが好きなことを話したが、あまり知らないらしく反応は薄かった。

「大丈夫、飲み会だけくるやつも結構多いし! 俺もそうだし! 友達作りに入るみたいな感じで気軽においでよ、女子貴重だし!」

日本酒を片手に各テーブルを回っているらしい先輩にいきなりそう絡まれて困惑していると、さらに上級生らしい男がごめんね、と慌てて腕を引っ張っていった。父は酒を飲まない人だったので、あんな酔っぱらいを間近で見るのも珍しかった。

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初回の新歓コンパで懲りて、それ以降は一次会でさっさと帰ることにした。英語が得意だったので国際交流サークル、編集者志望なので文芸サークル、就活で使えそうだからボランティアサークル……。どこも置いてきぼりにされることなく、先輩たちは優しく話しかけてくれた。それなのに結局、情けなく泥酔していた先輩が本音で喋りかけてくれたのが印象的で、私はバンドサークルに入会の届けを出した。ステージで演奏するつもりはなかったけれど、たまに飲み会だけ参加して、気が向いたらライブを見に行くのも楽しかろうと思ったのだった。

サークルの部室は出入り自由と聞いていたが、学生会館まで歩くのは少し遠いし、会費を払いに行って以来足が向かなかった。大きな飲み会の案内がきたら行くことにしよう、と関係のなさそうなメールは件名だけ見てほとんど無視していたら、ゴールデンウィークが終わったころ幹事長から名指しで連絡が来て飛び上がった。新入生のうちバンドを組んでいないのは私を含めてあと四人だという。飲み会だけでもOKって嘘じゃん、と名前も知らない先輩に文句を言いたくなったが、あんな酔っ払いのせりふを真に受けた自分が悪いのか、とため息をつくしかなかった。

呼び出された時刻に部室へ向かうと、扉を開けたとたん幹事長と目が合った。隣に座っているのがたしか副幹事長だ。会議机を挟んで手前の席でスマホをいじっている金髪の女子はおそらく私と同じように呼び出された一年生だった。たしか藤崎仁美という名前だ。奥に設置されたパソコンでなにか作業している先輩もいる。

「米沢紗凪です」

お辞儀をすると幹事長がわかっているというように頷いた。どうしたらいいかわからずに立ち尽くしていると、副幹事長が椅子を勧めてくれた。私が隣に座っても、藤崎さんはスマホから目もあげない。

「すみません、バンド必ず組まなきゃいけないって知らなくて……」

「あー、そうだよね。メール何回か送ったけど、見てた?」

「すみません……」

「まあまあ、一年なんてそんなもんだって。ごめんね、会費もらうときにちゃんと説明してなかったから」

副幹事長がフォローを入れてくれたけれど、こちらに負い目があるせいか目が笑っていないような気がして、よけいに怖かった。

遅れてもう一人、男子が入ってくる。少し小太りで背が低い。大和田拓真です、と名乗って私と同じように言い訳して頭を下げた。残りの一人が来なかったが、メールの返事も一切なかったらしいので、おそらくこのまま来ないだろうということになった。

「で、メールに書いたとおり、一年は一年同士でバンド組んで六月末に最初のライブをやってもらうことになってて。まあ強制じゃないけど、基本は全員参加かな。先輩への顔合わせって意味もあるからさ。ここで組むバンドはこれ以降続けてもいいし、一回限りでもOK。まだ決まってないのがこの三人だけだから、ここで組めれば話が早いんだけど……」

幹事長は金髪の子に視線を投げた。

「藤崎さんはボーカル希望だったっけ?」

「はい」

「米沢さんは?」

「あの……キーボードならできます」

「大和田くんは、ギター経験あるって?」

「はい。えっと、ベースも少しなら」

「うーん、どっちにしろベースかギターが足りないな。ドラムも」

「私、ギターもできますけど」

藤崎さんが幹事長をにらんだ。

「あ、じゃあ藤崎さんがギタボ、大和田くんがベース、米沢さんがキーボードでいいか。ドラムがいないな」

「まあ、そうなるよね」

副幹事長がひらひらと手を振った。

「君ら、ほかの一年と交流ある? できれば一年同士で組んでもらいたいから、ドラムできるやつに声かけてほしいんだけど」

私たち三人は黙りこんだ。ほかの一年生と交流があればそもそもこんな風に呼び出されたりしていない。

「ヤス、いいよ、俺が入るよ」

そう幹事長に呼びかけたのは、奥でずっとキーボードを叩いていた先輩だった。

「でもお前、月末のライブ出るだろ」

「平気平気」

幹事長と副幹事長は顔を見合わせ、私たちの方を向いた。

「じゃあ、ドラムは林で。林、他の説明はあとお前に任せるぞ」

「はいはい。じゃあ一年たち、LINE交換しようか」

林さんが立ち上がった。奥の方で座っていたからわからなかったけれど、思いのほか大柄だった。サブカル好きらしく太い黒縁眼鏡をかけているが、髪はぼさぼさで、なんだか覇気がない。たぶんこういう面倒ごとを引き受けてばかりの人なんだろうと思った。

連絡先を交換するとさっさと藤崎さんが立ち上がり、大和田くんと私も続く。挨拶して扉を閉めかけたところで、煙草吸ってくるわ、と林さんは他の先輩に告げて私達と一緒に廊下へ出た。

「幹事長たち、怖かったでしょ、ごめんね。毎年何人かはこんな風に呼び出されてるから、君らだけじゃないよ。ってか俺もそうだったし。俺なんかはみんなで一斉に新歓ライブとか無理してやる必要ないって思ってるんだけど、まあいわゆるイニシエーションってやつでさ。勘弁してやって」

はあ、と私だけ間抜けな相づちが口から漏れ、他の二人は黙っている。気まずいまま四人でエレベータに乗り込むと、林さんが留年しかかっていて、さっきパソコンでやっていたのは教授へ単位の嘆願をするメールを送っていたのだという話をひととおり喋り、私と大和田くんが小さく愛想笑いをしたところで一階についた。

夜にはさっそくLINEグループの招待が来ていた。練習用の楽器がない人は部室にあるのを使えるとのことだったけれど、キーボードはなかった。捨てていなければまだ実家に電子ピアノがあるはずだったから、送ってもらうことにした。取りに帰ろうと思えばできる距離なのはわかっていたけれど、まだなんとなく父と顔を合わせたくなかった。

返事を考えているあいだにまたLINEの通知がぽこぽこと来る。林さんが決起会をしよう、と日程のアンケートをとっていた。いったん保留にして風呂に入り、あがってから見ると誰も反応していないので、慌ててスタンプを送った。

文=貝塚円花
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体などとは関係ありません。