正太郎少年が愛した下町を歩く

今井家の家計を支えた母親に代わり、正太郎の面倒は教三が見ていた。職人気質のこの祖父は、正太郎をよく可愛がり、母親は祖父に正太郎を預けたまま再婚した時期まであったほど。ほどなく離縁して戻って来たが、正太郎には異父弟ができた。

小学校時代の正太郎は、日本画家の鏑木清方に弟子入りするのを夢見るほど、図画を得意としていた。その一方、剣劇映画や少年向けの小説にも没頭していた。こうした東京下町での体験が、池波小説の糧となっていったのは疑いようがない。

今年2023年は、そんな池波正太郎生誕100周年のメモリアルイヤーだ。そこで池波正太郎という作家が愛してやまなかった東京下町と、彼が遺した名作『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の舞台となった地を訪ね歩くことにしたい。その第1回目は、池波正太郎生誕の地周辺と、彼が愛し、よく散歩していた街並みを訪ねてみたい。

隅田川に架かる歩行者専用橋の桜橋と東京スカイツリー。
隅田川に架かる歩行者専用橋の桜橋と東京スカイツリー。

まずは記念館に赴き情報を収集

池波正太郎自身の足跡を辿るならば、まず西浅草3丁目にある『池波正太郎記念文庫』へ足を運びたい。池波が亡くなった後の2001年9月26日、台東区生涯学習センター1階にある台東区立中央図書館内に開設された施設で、池波の遺品、原稿、台本、絵画、さらには関連グッズなどの販売も行われている。

池波ファンにとっては聖地と言える場所なので、まずは貴重な資料に触れ、さらには情報を仕入れるのがいいだろう。最寄り駅はつくばエクスプレスの浅草駅だが、地下鉄銀座線田原町駅からかっぱ橋道具街を冷やかしつつ訪ねてみるのもいいだろう。

堂々とした佇まいの台東区生涯学習センター。
堂々とした佇まいの台東区生涯学習センター。
池波正太郎記念文庫は台東区立中央図書館内にある。
池波正太郎記念文庫は台東区立中央図書館内にある。

記念文庫を後にしたら、その北側を通っている言問通りに出て、それを東(隅田川方面)へ向かう。左側の歩道を進めば、人気の大学いも店『千葉屋』の前を通るので、散歩のお供に頂くのも買い食いと洒落込みたい。

言問通りにある人気の大学いも屋『千葉屋』。
言問通りにある人気の大学いも屋『千葉屋』。

生誕地碑が建つ待乳山(まつちやま)は心の故郷

浅草寺の裏手を過ぎ、馬道の交差点から言問橋西交差点までの一画が、かつて猿若町と呼ばれていたエリアだ。江戸時代、大衆に愛され一大娯楽となった歌舞伎は、風紀を乱すものと幕府からは危険視された。老中水野忠邦が行った天保の改革で、当時は日本橋周辺にあった芝居小屋が廃止され、江戸城郊外に当たるこの地に移転させられたのだ。

天保13年(1842)、この場所に新しく芝居町が建設された。江戸歌舞伎の始祖である猿若勘三郎(後の中村勘三郎)の名を取り、猿若町という町名となった。以来、芝居小屋だけでなく芝居茶屋、役者や芝居小屋関係者の住まいなどが集まり、江戸の一大歓楽街へと発展していったのである。

かつては猿若町と称されていた台東区浅草6丁目界隈。
かつては猿若町と称されていた台東区浅草6丁目界隈。

言問橋西交差点を左に曲がると、すぐに道が二股に分かれる。どちらを行ってもいいのだが、右側を行く方が次の目的地である待乳山聖天の前に、素直に着ける。この待乳山聖天は、江戸名所図会や錦絵にもたびたび登場する、江戸を代表する風光明媚な地であった。

この聖天の西側麓に、「池波正太郎生誕地碑」が建てられている。生家は関東大震災で焼失してしまったが、池波はエッセイの中に「生家は跡形もないが、大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は私の心のふるさとのようなものだ」と記している。実際の生家は碑のすぐ隣りにある待乳山聖天公園の南側にあった。

小高い丘になっている待乳山。聖天へは左手に見える階段を登る。
小高い丘になっている待乳山。聖天へは左手に見える階段を登る。

待乳山は推古天皇の時代に、突然地中から湧き出た霊山で、金龍が天から舞い降りて山を廻り、守護したと伝えられている。十一面観音菩薩を本地仏とする聖天さま(大聖歓喜天)は仏法を守護し、仏道を行ずる人々を守護する天部の神様。衆生の迷いを救い、願いを叶えてくれるというので、昔から広く民衆の信仰を集めていた。

待乳山聖天公園の一画に建てられている池波正太郎生誕地碑。
待乳山聖天公園の一画に建てられている池波正太郎生誕地碑。
大川(隅田川)を一望できる小高い丘陵にある待乳山聖天は、江戸の景勝地であった。
大川(隅田川)を一望できる小高い丘陵にある待乳山聖天は、江戸の景勝地であった。
どこかエキゾチックな雰囲気をまとった待乳山聖天の本堂
どこかエキゾチックな雰囲気をまとった待乳山聖天の本堂

残された欄干が江戸情緒を物語る

待乳山聖天のすぐ北側には、かつて山谷堀の入口に架かっていた今戸橋の跡が残されている。山谷堀はかつて存在した水路で、江戸時代には隅田川から新吉原遊廓の入口に当たる大門付近まで、遊客を乗せた猪牙舟が行き来していた。当時、船で吉原通いをする方が、陸路よりも粋で優雅とされていた。

明治になると遊興の場が新橋などに移ったため、山谷堀を行き来する船が激減し、昭和に入ると肥料を運ぶ船の溜まり場と化してしまった。さらに堀の埋め立ても始まり、1975年にはすべて埋められてしまった。

『剣客商売』では秋山小兵衛・大治郎父子が、よく行き来した場所で、事件現場として描かれたこともある。待乳山聖天とともに、池波作品には欠かせないスポットである。

かつて船で大川から山谷堀に入ると、最初にくぐるのが今戸橋であった。
かつて船で大川から山谷堀に入ると、最初にくぐるのが今戸橋であった。

今戸橋の少し先にある今戸神社は、招き猫発祥や縁結びの社として、近年人気を集めている。縁と円をかけた珍しい丸い絵馬に良縁の願いを込めてみるのもいいだろう。

縁結びのご利益があるということで、女性に人気の今戸神社。
縁結びのご利益があるということで、女性に人気の今戸神社。
丸い絵馬は円と縁をかけている。
丸い絵馬は円と縁をかけている。

今も昔と変わらぬ流れを見せる隅田川

江戸時代は大川と呼ばれていた隅田川は、池波作品は言うに及ばす、数えきれないほど多くの時代小説に登場する。橋がほとんど架けられていなかった時代、大小の船が川を行き来していた。そんな隅田川に、唯一の歩行者専用橋として1985年に完成したのが桜橋である。周辺の景観との調和が考えられた美しい橋で、隅田川の名所となっている。

上空から見るとエックスの形をしている桜橋。
上空から見るとエックスの形をしている桜橋。

桜橋が架かっている場所には、かつて「竹屋の渡し」が設けられていた。待乳山聖天の麓から対岸の三囲稲荷を結ぶ渡し船で、春の花見や夏の花火見学、明治以降は向島の花柳界へ遊興客を運ぶ手段として重宝された。隅田川を彩る風流な名物の一つであったが、昭和3年(1928)に言問橋が開通したことにより、廃止されてしまった。現在は墨堤に残る常夜燈が当時の名残りを伝えてくれる。

墨堤の桜並木の間に残された竹屋の渡しのための常夜燈。
墨堤の桜並木の間に残された竹屋の渡しのための常夜燈。

池波が愛した江戸の菓子を食す

桜橋を渡った墨田区側には、境内に松尾芭蕉の句碑がある長命寺が建つ。その門前には300年の歴史を誇る「長命寺桜もち」が、今も昔と変わらぬ味を守り続けている。池波はこの餅をエッセイで「まさに江戸の菓子だ」と評している。お土産に喜ばれるのはもちろんだが、店内で食べることもできるので、散歩の途中の小休止にも最適なのだ。

池波正太郎が愛した長命寺桜もちを供する『山本や』。月曜が定休日なのでお忘れなく。
池波正太郎が愛した長命寺桜もちを供する『山本や』。月曜が定休日なのでお忘れなく。
店舗で食す場合、煎茶付き500円。バラ売りの場合は1個250円。
店舗で食す場合、煎茶付き500円。バラ売りの場合は1個250円。
松尾芭蕉「いざさらば 雪見にころぶ ところまで」という句碑が建つ長命寺。
松尾芭蕉「いざさらば 雪見にころぶ ところまで」という句碑が建つ長命寺。

また、すぐ近くにはやはり江戸時代から続く名店『言問団子』もある。現在定着している言問橋や言問通りといった名称は、この言問団子が元なのだと伝えられている。

住所:東京都墨田区向島5-5-22/営業時間:9:00~17:00/定休日:火/アクセス:東武鉄道亀戸線・スカイツリーライン曳舟駅、とうきょうスカイツリー駅から、それぞれ徒歩約12分

長命寺からは見番通りを南下。隅田川は安永年間(1772〜81)に吾妻橋が架かるまで、千住大橋〜両国橋の間には橋が存在していなかった。そのため江戸時代の向島は開発が緩やかで、風流人が好む風光明媚な自然が多く残されていた。今もその名残りが感じられる道を辿ると、かつて竹屋の渡し発着場があった三囲稲荷の前に出た。

伊勢・松阪の三井家(越後屋)が江戸に進出した際、三囲稲荷の名にあやかり守護神とした。境内には三越デパートのシンボルであるライオン像が安置されている。ここは『鬼平犯科帳』にも何度か登場する。とくに特別長編「迷路」の中の「妙法寺の九十郎」では、稲荷社からこの界隈の佇まいが細かく描写されている。その光景を思い描きながら、周辺を散策してみるのがいいだろう。

鬼平にも登場する三囲稲荷。
鬼平にも登場する三囲稲荷。
かつて稲荷周辺は自然が色濃く、風流な地であった。
かつて稲荷周辺は自然が色濃く、風流な地であった。
境内には三越のシンボルであるライオン像がある。
境内には三越のシンボルであるライオン像がある。

池波正太郎の愛した散歩道、次回は三囲稲荷から隅田川を渡り浅草寺周辺へと、足を延ばしてみたい。

取材・文・撮影=野田伊豆守