米をいかにおいしく食べるかがカギ

チーズを煮込んだスープにどっさり浮かんでいるのは、色鮮やかな青唐辛子だ。ブータン料理では唐辛子は添え物ではなく主役の野菜と聞いてはいたが、確かにそのとおりの存在感なんである。
10㎝ほどもあるでっかいのを、ひとつ食べてみる。涼やかでさわやかな香りが、ふわりと立つ。すぐに鮮烈な辛さがやってくるものの、チーズの甘みが優しく包む。ブータンを代表するメニュー「エマダツィ」はなんとも不思議な味わいだった。スープをご飯にかけて食べると、これが実にいける。
「ブータン料理の特徴のひとつは〝いかにお米をおいしく、たくさん食べるか〞です。そういう意味では、日本に似ていると思うんです」

関わるほどにブータンを好きになっていったと語る店主の村上さん。
関わるほどにブータンを好きになっていったと語る店主の村上さん。

教えてくれたのは『LASOLA』のオーナーシェフ、村上光さん。唐辛子の風味は確かに、ご飯にとても合う。辛さだけではない、よく口中で確かめればしっかり感じる唐辛子の香りと、ピーマンやパプリカにも似た味は、「飯の供」としてブータン人に愛されているのだ。
「現地では子供たちが唐辛子の先を切り落として、塩をまぶしてポリポリ食べているのもよく見ました」
夏場は採れたてで新鮮なものが市場に並んでいて、実に色鮮やかでおいしいのだという。
「ブータンに行ってみて感じたのは、料理を辛くするために唐辛子を使っているわけじゃないってことです。唐辛子という野菜そのものが好きだからよく使っていて、結果として辛い料理が多いのでは……と思いました」

唐辛子は野菜!というのがブータンの常識。
唐辛子は野菜!というのがブータンの常識。

その唐辛子が、ヨーロッパ人によって原産地の中南米からインド亜大陸に持ちこまれたのは16世紀といわれるが、以降ブータン人はこの野菜を多用するようになった。ヒマラヤ山麓のため耕作地が少なく、野菜を栽培しにくいブータンにあって、場所を選ばず育つ唐辛子は貴重な栄養源でもあったようだ。唐辛子の伝来以前は、山椒を使っていたともいわれている。そんな唐辛子をぼりぼり食べて、白飯をかっこむ。エマダツィはまさにブータンのソウルフードなのだ。
唐辛子のほかにブータンの食文化を象徴するものといえば、干し肉なのだとか。干した豚のバラ肉と大根を煮炒めした「シーカムパ」も、やっぱり白米の進む味だ。旨味がぎゅっと詰まったような干し肉は噛みしめるたびに甘みがにじむ。

日本の支援があって大きく変わった農業技術

それに味わい染み染みの大根も「ブータンおでん」といった感じに仕上がっているが、これは日本の技術協力の賜物なのだとか。海外技術協力事業団(OTCA・現在のJICA)からブータンに派遣された日本の農業指導者が、日本産の大きな大根を現地の畑に導入。うまく根づかせ、それから大根はブータン人の食卓には欠かせない野菜となったそうだ。そんなエピソードもあって、ブータンは親日的なのだとか。
もう一品、チーズもブータン料理では多用する食材だ。
「ブータンの伝統的な家屋は、1階が厩舎になっていて牛を育てているんです。2階と3階が家屋で、屋根裏がドライエリアになっていて野菜や唐辛子や肉を干しています」
近年まで電力の乏しい地域もあり、冷蔵庫が普及していなかった自給自足の村では、乳製品と保存の効く乾物とが大事にされたのだ。そのチーズにトマトやコリアンダー、カブやキュウリを混ぜたサラダ「ホゲ」は、唐辛子と山椒がほどよく効いた味だ。

チベット文化圏ではおなじみのモモ720円には、エゼという自家製唐辛子ペーストをつけて。
チベット文化圏ではおなじみのモモ720円には、エゼという自家製唐辛子ペーストをつけて。

こうして山里で育まれた素材を、スパイスなどをあまり使うことなく、塩味をベースに調理するシンプルさがブータン料理だ。インドやネパールといった周辺国ともずいぶん違う、チベット文化の味といえる。
「乳製品の使い方を見ても、チベットや、モンゴルの食文化に似ていると思います」

ブータン関連の書籍もいろいろ揃っている。
ブータン関連の書籍もいろいろ揃っている。

ブータンの食文化を守るのは日本人のオーナーシェフ

ブータンの食文化をあれこれとレクチャーしてくれる村上さんだが、ブータン出身ではない。日本人である。この連載で初めて登場する「日本人店主」なのだが、村上さんのつくる本場の料理を食べに、日本に住む数少ないブータン人がよくやってくるそうだ。誰かに連れられて店に来たブータン人が、次は別のブータン人を連れてくる……そんなことも多い。
「人数が少ないぶん、つながりが強いんでしょうね。干し肉を買いに来る人もいますよ」
と、立派な「ブータン人コミュニティー」を作り上げた村上さんだが、ブータンに興味があって料理をつくり始めたわけではないという。代々木上原にある、当時は日本ただひとつだったブータン料理レストランに、コックとして紹介され入店したことがきっかけだった。せっかく働くのだからと現地に何度か行くうちに、ブータンにのめり込んでいった。

ブータン製のお香、レモングラスのハーブティーやホームスプレーなども販売。
ブータン製のお香、レモングラスのハーブティーやホームスプレーなども販売。

「祖父母のいる長野の田舎にも似ていて、どこか懐かしいんです。ブータン人は恥ずかしがりで、最初は距離があるけど、親しくなるとすごく優しくしてくれて」
仕事の合間を縫ってブータンを訪れ、現地では友人になったブータン人を頼ってさまざまな料理を食べ歩いた。そしてブータン料理をつくり続けた節目の10年目、ブータン人たちからの後押しもあり、独立することにした。2021年の12月だった。
市ケ谷を選んだのはたまたま条件に合った物件が見つかったからだが、
「ここは、チベット料理店の『タシデレ』さんにも近いんですよね」
と村上さんは話す。両店の間にも交流があり、チベット人が『LASOLA』にやってくることもあるそうだ。実は市ケ谷には、ブータンも含めた小さなチベット文化圏が広がっているのである。

地下鉄の市ヶ谷駅からであれば3分で着く好立地。
地下鉄の市ヶ谷駅からであれば3分で着く好立地。

『LASOLA』店舗詳細

住所:千代田区九段南4-2-3九段木田ビル2F/営業時間:11:30~15:00・17:30~22:00/定休日:日/アクセス:JR総武線市ケ谷駅から徒歩6分、地下鉄市ヶ谷駅から徒歩3分

取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2023年3月号より