川魚をよく食べるためハーブを入れる料理が多い
東南アジア諸国の中でも、ラオスは日本人にとっていまいちイメージしづらい国かもしれない。そこは大河メコンに抱かれ、山岳地帯が連なる、自然豊かなところなんである。だから、山の恵みをふんだんに使った料理が特徴だ。
「とにかく野菜が豊富です。それとハーブを入れる料理もたくさん。海がないから川魚をよく食べるのですが、臭みを取るためにハーブを多用していたからなんです。とくにミントはよく使います」
と、ラオス料理の特徴を教えてくれたのは『Dee』の店長、関根麻仁(まに)さん。日本に帰化したラオス人だ。よく隣接するタイの料理と混同されることもあるラオス料理だが、違いはいろいろある。
タイと違ってラオスではココナツを加えるレシピは少ない。ラオスではパラー(魚を発酵させた調味料)が好まれる。野菜とハーブの種類や、使い方にも違いがある……これはタイの中でも、イサーンと呼ばれる東北部に似た食文化だ。タイの首都バンコクをはじめとした一般的なタイ料理とはだいぶ異なる。だからタイでもよく見る鍋料理のムーガタも、具材は似ているが味つけはラオス風だ。
「スープは鶏ベースで、レモングラスやこぶみかんの葉、カー(生姜の一種)を加えてあります」
すっきりした味わいで、じんわりと体が温まる。山国ラオスは冬になるとけっこう冷えるのだ。つけダレはパクチーの根を叩いて潰し、カーなどを加えたさわやかな風味のものと、ピーナッツを使った甘辛なものの2種類。これをお好みでスープに加えたり、あるいはムーガタの鍋は盛り上がっている中央部で焼きものもできるようになっているので、こちらを付けて食べたりと楽しめる。
もうひとつ、ラオスのソウルフードといえばラープだろう。挽肉とハーブのスパイシーサラダだ。これもタイ料理と思われているが、ルーツはラオス・イサーンなのである。
「鶏の挽肉にパクチーとミント、レモングラスを入れますが、レモングラスを増やすとタイ風の味付けになるんです。うちではミントたっぷりのラオス風」
仕上げにふりかけるカオクア(ライスパウダー)の、つぶつぶした食感も楽しいラープは、カオニャオ(もち米)にもビアラオにもぴったりなのだが、『Dee』ではご飯の上に乗せたものもある。
「お客さんからガッツリと丼でいきたいって言われて」
そのラープ丼、いまではランチの人気メニューだ。バタフライピーというマメ科のハーブのお茶にも合う。夜はラオスの焼酎ラオラオで一杯やりたい。
日本の最初の思い出は“階段が動いてる!”
『Dee』にはラオスファンの日本人客が遠方からも訪れるそうだが、麻仁さんが日本にやってきたのは34年も前のことになる。難民だった。
「両親に連れられて、妹たちと一緒に国を出てきたんです」
1970年代から80年代にかけて、インドシナ半島は苦難の中にあった。ベトナムはアメリカとの戦争で荒廃し、カンボジアはクメールルージュの支配と内戦に苦しみ、そしてラオスは共産化に揺れていた。おおぜいの人々が戦火を逃れるために故郷を離れ、難民として世界各地に散っていった。麻仁さんもそのひとりだった。
「5歳のときに、タイの難民キャンプに入りました」
故郷の首都ビエンチャンからメコン川を挟んで対岸のタイ・ノンカイに設置されたキャンプだった。学校もあったが、難民が増えるにつれて対応できなくなり閉鎖してしまったという。人身売買も横行するような場所で、麻仁さんは子供時代を過ごした。
その頃、日本では、麻仁さんたちインドシナ難民の支援事業が始まろうとしていた。同じアジアの民の苦境を見過ごせなかったとも「共産化の進むインドシナ半島からの難民を保護することは西側自由主義陣営の義務である」とするアメリカの圧力があったともいわれるが、ともかく日本政府は難民受け入れを決定。1979年のことだった。
そして麻仁さんが10歳のとき、一家は来日。日本での最初の出来事を思い出して、麻仁さんは笑う。
「エスカレーターを知らなかったんです。日本の空港で初めて見て、妹と『階段が動いてる!』って大騒ぎして乗ってみて、転んじゃったんです」
なにもかも未知の国で、一家は神奈川県の大和市にあった「定住促進センター」に入所。ラオス人だけでなくカンボジア人やベトナム人の難民たちと、日本語や日本の文化の勉強をする毎日を送るようになる。
神奈川の各地に息づく難民たちのコミュニティー
麻仁さんはやがて日本の暮らしにも慣れ、父は船などの部品を作る仕事に就き、一家はセンターを出た。そして入学した高校で、麻仁さんはカンボジア人の女の子と出会うのだ。センターでよく見た顔だった。同じ難民出身ということもあってすっかり仲良くなったのだが、彼女こそ、この連載の2022年7月号に登場したリンカ・アオイさんだった。
そしていま、リンカさんは座間市でカンボジア料理店『バイ・クメール』を営み、麻仁さんは小田原市でラオス料理店『Dee』を切り盛りする。ふたりとも選んだのは神奈川の地だ。それは日本に暮らすインドシナ難民のルーツが大和市にあるからだ。
「実は妹も綾瀬でカフェを始めたばかりなんです。『Tio』ってお店で、ラオス料理も出してますよ」
妹もやっぱり神奈川なんである。いまもたくさんのラオス人、カンボジア人、ベトナム人が大和市を中心とした神奈川各地に暮らす。難民たちが大切に守ってきた食文化を味わいに、神奈川を旅してはどうだろうか。
『Dee』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2023年2月号より