取材・文=パン探偵 高野ひろし
1958年東京生まれ。中高6年間の弁当はすべてサンドイッチ、最低でも1日1食、時には3食パンの日もあるパン食い人。全日本トーストサンド協会・関東支部長。
第一話 地の利と工作の融合 『はまの屋パーラー有楽町店』[有楽町]
築半世紀超えのモダンなオフィスビルの地下、変わらぬたたずまいのまま時を刻む名店『はまの屋パーラー』で、私がいつも頼むのはトーストサンド。パンの香ばしさは具の味を一層引き立てる。しかし今日のターゲットはトースト一点。
タテ1本、ヨコ2本の切れ目からふっくら生地に染み渡るマーガリンは、きつね色の表面から入り込む油分とはひと味違う。
「マーガリンは溶けやすいように、予(あらかじ)めミキサーをかけているんですよ」と、店長がにやり。
この耳の食感の良さは、毎日大量に入荷する新鮮パンと、常に切り立てを焼くこだわりが生むのか? 耳を残す人がいないのもうなずける。
どこのパンかって?
フフフ、私は知っている。パンの袋に、『新橋ベーカリー』の名前がしっかり印刷されていることをね。諸君、パン探偵をあなどるなかれ。
では桃シロップを使った特製クリームソーダを飲みながら、三田工場から届く、ソフトな焼き目に仕上げたパンを頂くとするかな。
『はまの屋パーラー有楽町店』
第二話 早朝だけの芳醇 『トリコロール本店』[銀座]
商業ビルの狭間にちょこんと控える瀟洒(しょうしゃ)な2階建て。磨き上げた調度品に囲まれて、『トリコロール』のモーニングを摘まむひとときは、銀座の朝のぜいたくだ。
いや待てよ、油脂や砂糖を抑え、小麦の香り立つパン・ド・ミなのに、噛み締めた時のコクと味わい、これはどこから来るのだろう?
厨房は見せてくれないしなぁ……と半ば諦めかけていると、
「広尾に本店がある『ブルディガラ』のパンを使っています」
とスタッフさんのひと言。しかも発酵バターを使っているという。どおりでコクが生まれるわけだ。まずは何も塗らずにひと口やりたい気持ちにさせる。
内側のしっとりを活かすために、表面を一気に焼き上げるから、サクッとした歯応えとしっとりした食感が楽しめ、いくら食べても飽きない。この軽やかにして豊かな旨味が、ネルドリップ特有の濃さと飲みやすさを融合した絶妙のコーヒーに合うんだなぁ。
おはよう、ギンザタウン。
『トリコロール本店』
第三話 隣人相身互い 『プルミエ』[人形町]
『プルミエ』の溶け込み感に痺れる。虚飾を排し、無理に目立たせず、そして喫煙可。
本来、街の喫茶店はこうであった。きまじめさは、積み上げたトーストにも込められる。両サイドの耳を落とした食パンは、やや濃い目の焼き具合。
ご主人・佐藤清さんは地元っ子。だから仕入れは案外『まつむら』なんじゃないの?
「長いお付き合いですよ。でも買うのは業務用パン」と意味ありげに笑う。
両サイドの切り口がきれいなのは、焼く前に包丁を少し入れ、焼き上がってから切り落とすため。
「切ってから焼くと焦げちゃうでしょ?」
使うのは牛刀一本。確かに両耳を落としたパンの断面は美しく、焼き目の角も乱れてない。
共に働く佃出身の奥様は、
「コーヒー豆の仕入先は元々月島にあったんです」
と、どこまでも東京の喫茶店だ。私の問いかけに答えながらも、ご主人が焼き上がるまで目を離さないオーブントースターは、
「いつ壊れても買える、ごく普通のですよ」。
脱帽!
『プルミエ』
第四話 坂道の誘惑 『穂高』[御茶ノ水]
昼下がりの田端銀座、小さなパン屋の軒先に置いた棚を、三斤パンが占領してる。店内には年季の入った窯が並び、パンは次々焼き上がる。
川村富士雄さん・裕さん兄弟が営む『パンのかわむら』は業務用パンの製造卸だ。ではこのパンの山脈はどこへ?
「『穂高』って知ってる?」
と古参スタッフの入山さん。
知ってますとも!
私は御茶ノ水駅前へ急行した。
斜めに切り分けたトースト、適度な気泡が入った生地は軽やかだけど、空腹を鎮めてくれる満足感もある。焼きすぎない耳の食感もいい。
長年使っていたパン屋が無くなり、ご近所の喫茶店に教えてもらったという『パンのかわむら』の旨味を、御年81歳(2023年時点)のご主人・粟野芳夫さんが引き出す。長年使い続けているという、『アルプス食品』さんのマーマレードの味と優しい色合いに、心がほぐれていく。
喫茶店に行く前にパン屋が先に判明することも、あるのか……。どうやらパン探偵の使命はまだ続きそうだな。
『穂高』
撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2023年2月号より