開催中の「#SHARE_SHIZUOKAフォトコンテスト」は、静岡県の歴史・文化にまつわるスポットを舞台にした7つのモデルコースを提案している。ちょりんたさんは「三英傑の一人“徳川家康”ゆかりの地を巡る」という、浜松から静岡、そして富士宮にまでまたがるコースを選んでいる。第1回ではその全貌を紹介し、第2回は歴史にまつわるスポットに残る建造物を、より魅力的に撮影する方法に迫ってみた。最終回では家康ゆかりの地で、ちょりんたさんがもっとも得意とする風景の“映え”写真撮影術を紹介しよう。
最初に訪れたのは、浜松城の鬼門に位置することから家康も度々参拝した浜松八幡宮である。ここは閑静な住宅街の中にあり、社は森に囲まれているものの、目を見張るような大自然はとくに見当たらない。ちょりんたさんは迷わず、境内にあった末社の浜松稲荷神社に足を運んだ。
「風景写真は自然をテーマにしたものに限られたわけではありません。赤い鳥居がきれいに並んだ光景は、それだけで説得力が感じられるので、正攻法の撮影が一番です」
浜松エリアのメインである浜松城では、昭和33年(1958)に再建された天守閣最上階からの眺望が見逃せない。展望回廊に足を運べば北に三方ヶ原(みかたがはら)古戦場、南に遠州灘(えんしゅうなだ)、西に浜名湖、そして東には好天でなおかつ条件が揃えば、霊峰富士の姿を見ることができる。
訪れた日は雪化粧した富士山を、カメラの望遠レンズだけでなく肉眼でもはっきりと捉えることができた、最高の日であった。
天守閣最上階でちょりんたさんがテクニックを発揮して撮影したのが、風景が額縁に収まったように見える写真だ。これは天守回廊からではなく、階段を上りきった室内から撮影したもの。手前の壁をあえて入れる構図としたことで、遠景の奥行き感がさらに増している。
浜松エリアに続いて向かった静岡市では、まず駿府城公園へ足を運んだ。家康が晩年を過ごした城であるが、現在は公園として整備され、多くの人の憩いの場となっている。建造物としては、いずれも日本の伝統工法で再建された東御門・巽櫓(たつみやぐら)、それと坤櫓(ひつじさるやぐら)があるが、天守のような大きなものは存在しない。
巽櫓は全国にある城の櫓建築でも他に例の少ない、L字型をしている。これは駿府城にあった櫓の中でも、防御に優れていたものであった。再建された内部には城内から発掘された資料や、徳川家康が幼少期に太原雪斎から教えを受けたという臨済寺の「竹千代手習いの間」が、復元・展示されている。
我々が訪れた日は、残念ながら休館日であったが、坤櫓の内部は1階から3階までの床板の一部と天井板のすべてが外され、伝統的な工法で再建された梁が確かめられるようになっている。他の城では見ることができないので、時間がある人はぜひ見ておこう。
ちょりんたさんが公園内で目に留めたのは、大御所時代の家康を再現した立像だった。多くの人は甲冑で身を包み、左腕に鷹を乗せた鷹狩り中の凛々しい姿を、アップで撮影しがちだ。この日はとにかくよく晴れていたので、家康像の背景には抜けるような青空が広がっていた。ちょりんたさんは縦の構図を選び、空の面積を大きくすることで、家康像を風景の一部に溶け込ませたのである。
同じように水堀も水面の面積がなるべく大きくなるように、こちらも縦の構図で撮影した。水面で遊んでいた水鳥が、木立が映る暗めの水面から明るい部分に出てきた瞬間を逃さずに撮影している。
久能山東照宮への往路は、日本平からロープウェイを使用。朝一番の便に乗車するために、早めに駅まで行くと、ちょりんたさんの目に、駿河湾に朝日が反射しそこに一隻の船が浮かんでいる光景が映った。
「逆光の撮影は被写体が真っ黒になってしまう恐れもありますが、絞りを調節できるカメラを使っている場合はかえって魅力的な写真が撮影できます。雲間から顔を出していた太陽と、朝日が当たる海面はやや飛び気味にして、光を受けた手前の木々と少し先の山との区別がはっきりわかるように撮影しました。気を使ったのは、沖に浮かぶ船のシルエットと、遠くに見える伊豆半島の位置関係です」
時にはベストな条件が揃うまでシャッターを切るのを待つのだという。フォロワーに共感される決定的な写真は、こうした工夫を積み重ねて撮影されているのであった。
久能山東照宮の素晴らしい建造物群の撮影については、第2回で詳しく触れているので、ここでは駿河湾に面した急斜面に築かれた、石段の表参道での撮影術に移りたい。日本平からロープウェイで訪れた人は、帰りもロープウェイを使うのがスタンダード。しかし可能であるなら、帰路は昔ながらの表参道である石段を下りて欲しい。
「表参道はつづら折れの石段自体が、とても絵になりますから。それに東から南、そして西方向に開けているので、一日中太陽の光を利用した写真が撮影できます」
ちょりんたさんに促されるまま、石段を下り始めて間もなく、東照宮の一ノ門が現れた。この門は南の駿河湾に向いて建っているので、ちょりんたさんの言葉通り、終日太陽光を利用した写真が撮れる。さっそく絞り値を大きくして、門の屋根の端に陽光から伸びるフレアがアクセントになるように撮影。
表参道の石段は山下の石鳥居から本殿前まで17曲り、1159段もある。昭和32年(1957)に日本平ロープウェイが開通するまでは、参拝者は「いちいちご苦労さん」と洒落を言いながら上ったと伝えられている。だが途中からは、眼下に広がる駿河湾とまっすぐ東西に伸びる海岸線の美しい光景が、足の疲れを吹き飛ばしてくれる。
「木立の葉が少ない季節こそ、石段とその下に広がる景色をからめて撮影するベストシーズンですね。単に遠景だけ撮影するのではなく、手前に石段や木の枝などを入れることで、遠近感が強調され写真に奥行きが出ます」
「石段だけを撮影する際も、奥行きや高低差がわかるように工夫するのがポイントです。長い直線が続く石段は下から、つづら折れは上から撮影するのがいいでしょう」
表参道の石段を行ったり来たりするのは大変なので、こうした撮影テクニックを頭に入れておけば安心だ。
そして最後に訪れたのが、富士宮にある富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)だ。富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりとともに全国に浅間神社が増えていった。
主祭神は木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)、別称は浅間大神(あさまのおおかみ)。社の起源は『富士本宮浅間社記』によると、第7代孝霊天皇(実在が疑問視されている天皇)の御代に富士山が大噴火し、周辺住民は離散して荒れ果てた状態が長期に及ぶ。第11代垂仁天皇はこれを憂い、紀元前27年に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮めたのが始まりとされる。
その後、朝廷だけでなく多くの武将から篤い崇敬を寄せられている。家康もそのひとりで、関ヶ原の戦いに勝利すると、その御礼として本殿、拝殿、楼門をはじめ30を超える建物を造営し、境内一円を整備した。
「ここは意外にも周囲が住宅街となっているので、ご神体でもある富士山を撮影する際、なるべく空のスペースを大きくして、家やビルがあまり入らないようにしたいです。それと鳥居を上手に利用して、住宅などに目がいかないようにする方法もおすすめです」
ちょりんたさんは他に、手に入れた御朱印を持って、背景に鳥居と富士山がいい具合にぼけるように撮影。記念の品を上手に風景内に収めた、“映え”写真に仕上がっている。
3回にわたってお届けした、人気インスタグラマーによる“映え”写真撮影術は参考になったでしょうか。ぜひみなさんも新たなテクニックを駆使して、「#SHARE_SHIZUOKAフォトコンテスト」に参加してみてください。
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取材・文・撮影=野田伊豆守