疲れを取るためのあま~いスイーツが日常のおやつ
カジュ・バルフィをひと口かじってみる。ソフトな舌触りのあとに、カシューナッツの風味。そしてこってり鮮やかな甘さが口いっぱいに広がる。この目が覚めるような甘みが、お茶やブラックコーヒーとよく合う。だからもう少し、とつい手が伸びる。インドのスイーツ「ミタイ」の世界は、なんとも甘美で危険なのだ。
「インドは暑い国なので、疲れを取るためにも甘いものが好まれるんですよ」
と教えてくれたのは、『トウキョウミタイワラ』を経営するセイナングループの社長、SJB・シング・サンダールさん。気候ゆえの甘さなのだという。
それにインドは旧宗主国イギリスの影響で、アフタヌーンティーの文化も息づいている。夕食は夜8時頃と遅く、その代わりに昼下がりや夕方、お茶と軽食を楽しむ。このときにミタイをいただくというわけだ。
もうひとつ、ベサン・バルフィを食べてみる。これまた甘さたっぷりだが、ほくほく素朴な食感だ。同じバルフィでもずいぶんと違うが、こちらはひよこ豆でつくられているそうだ。
「味つけはさまざまですが、バルフィはどれも『コヤ』がベースになっているんです」
コヤとは牛乳を煮詰めて凝縮させ、固形状にしたもの。バルフィはこれに砂糖や、ギーというバターオイルで甘さと濃密さを出し、さらにカシューナッツやひよこ豆、スパイスなどを加えることでバリエーションを増やしている。ピスタチオ入りのピスタ・バルフィやアーモンドチョコ・バルフィなど、地域や家庭によってさまざまなバルフィがあるそうだ。
「私はこれが大好きなんです」
とサンダールさんがすすめてくれたのは、カラフルなミタイの中ではおとなしい色合いのペダ。和菓子のようにも見えるが、これもコヤをベースに、アタというインドの全粒粉、それにギーや砂糖を加えたもの。インドでもとくに伝統的なスイーツだとか。
そして一説には「世界で最も甘い」ともいわれるグラブジャムンも、やっぱりコヤ由来。コヤと小麦粉、砂糖を混ぜて油で揚げ、シロップに浸したミタイだ。こちらのお店では、クリームが挟み込まれたスタッフ・グラブジャムンも自慢なのだとか。
コヤという根から豊かに枝葉を広げていくのが、インド・スイーツの世界なのだ。
かの「2000年問題」がコミュニティー形成のきっかけ
店頭では常にたくさんのミタイが並んでいて、1個から購入できる。レギュラーで置かれているものもあれば、マバローズキャンディー(これもコヤベースでストロベリーの味つけ)のような季節限定のメニューもある。べサン・バルフィにも使うひよこ豆の粉と小麦粉、ギーからつくったラドゥなど、コヤ由来のほかにもいろいろ。
「お菓子が大好きなんですよ。がまんできない(笑)」
と言うサンダールさんが来日したのは21歳のとき、なんと36年前のこと。人生の半分以上を日本で過ごし、
「夢も日本語で見るようになっちゃいました」
というほどこの国になじんだという。表参道にあるインド料理レストランのほか、インドと日本両国のさまざまな製品の輸出入も手がける、名うてのビジネスパーソンだ。
彼ら日本に住むインド人の社会が大きく変わったのはおよそ20年前のこと。きっかけは「2000年問題」といわれる。西暦2000年を迎えた瞬間にコンピューターが誤作動するのではと、日本中の企業がシステムの改変に追われた。このとき、IT大国として頭角を現しつつあったインドから、大勢のエンジニアがやってきたのだ。
彼らは、大企業や官公庁が密集する大手町から東西線でアクセスしやすい西葛西に住むようになる。近辺には保証人が不要で外国人でも入居しやすいUR住宅が立ち並んでいたことも理由の一つだった。また、2000年問題以前からこの街に住んでいたインド人紅茶商を頼って、新参のIT技術者たちが集まってくるようになったともいわれる。
膨張を続けていく「リトル・インディア」
「2000年問題」は結果として杞憂に終わり、混乱も起きなかったのだが、インド人技術者はこれを機に日本に足場を築き、西葛西は「リトル・インディア」として発展していった。
いまではこの街を中心に葛西や船堀方面にもコミュニティーは広がり、江戸川区全体で5200人ほどのインド人が暮らす。インド料理レストランや食材店、それにヒンドゥー教の寺院もあるくらいだ。歩いていても南アジア系の顔立ちとよくすれ違う。秋には「ディワリ」というヒンドゥー教の祭りも行われる。
そしてインド人の愛するこのミタイの店も3年前にオープンし、週末はインド人の家族連れでにぎわう。スイーツだけでなくサモサ(インド風のスパイシーなコロッケ)などのストリートスナックも充実していて、子供たちが元気に頬張っている。ポテトと野菜のカレーにパンがセットになったパオバジをさっと食べていく会社員らしきインド人もいる。その様子はなんだか、インド現地のカフェのようだ。
「この街がいずれ、中華街のようにインドの文化を体験できる場所になればと思っているんです」
とサンダールさんは言う。「リトル・インディア」といっても街全体がインド色というわけではなく、あくまで日本の街並みの中に、インドの店が点在しているのだが、今後はさらに「インド化」が進んでいくのかもしれない。
『トウキョウミタイワラ』店舗詳細
取材・文=室橋裕和 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2023年1月号より