胸キュン青春物語の金字塔『耳をすませば』
まずは、そのあらすじを簡単に振り返ってみよう。
受験を控えた中学3年生、月島雫は読書好きで、学校の図書館の貸出カードでよく名前を見かける天沢聖司が気になるように。ある日、父にお弁当を届けるために出かけた隣町で、猫のムーンに導かれ「地球屋」というアンティークショップに足を踏み入れる。のちに天沢聖司がこの店の店主の孫だと知り、2人は次第に夢を語り合う仲となる。バイオリン職人を目指すという聖司に感化された雫は、小説を書くという自分の夢と向き合うことになり……。
原作マンガとジブリ版は細かな設定が異なるので、ここで語るのはあくまでジブリ版と理解してほしい。中学3年生、大人になる数歩手前でありながら子どもでもない、あの微妙な年齢の恋愛と、将来への不安や希望がたっぷり描かれた青春ドラマにキュンキュンさせられた人も多いだろう。
公開された1995年、筆者は12歳。残念ながら、女の子と2人でというシチュエーションではなかったが、地元の映画館で同級生の友だちと一緒に観た。小学6年生だった当時の筆者からすれば、雫と聖司の恋はキラキラ輝いて見えたし、夢を語る中学3年生はとても大人に見えた。ありふれた言葉になってしまうが、年上の美男美女カップルに憧れを持ったものだ。あれから四半世紀が過ぎた。何度もこの作品を見る機会はあるが、主人公たちの年齢をはるかに越えてしまった今となっても、青春のときめきや切なさを蘇らせてくれる大好きな映画のひとつとなっている。
物語の舞台となった聖蹟桜ヶ丘
それではそろそろ、主人公の月島雫と物語の舞台を歩いてみよう。
ジブリ版で明確な舞台と言われているのが京王線の聖蹟桜ヶ丘駅だ。現地には『耳をすませば』の散策マップもあるので街も公認の聖地というわけだ。
駅に降り立った瞬間から見たことのある景色でワクワクする。『耳をすませば』で雫が降り立った街なみが広がる。商業施設も多いし、飲食店も豊富。電車でも車でもアクセスしやすい素敵な街だけあって、駅前はつねに人が行き来している。
駅を出て空を見上げるとあの看板が。映画にも登場している「Keio」の看板が目に入る。この駅前から、さくら通りを抜け大栗川に架かる霞ヶ関橋を渡るとさらにテンションの高まる光景が待っていた。
図書館へと続くあの坂道を歩いていく
雫の父の勤める図書館があるのがこの道の先という設定。雫一家は「向原駅」という駅に住んでいたがそのモデルは聖蹟桜ヶ丘駅の隣、百草園駅といわれている。なので今でも、「電車に乗って図書館を目指す雫」をそのまま体験することもできるのだ。
いろは坂と呼ばれる急な坂を登っていく。残念ながら図書館は実在しないが、アニメでも登場した、うねうねとした坂道を実際に歩くことができるのはファンにはたまらない。映画の前半で雫は電車のなかで出会ったムーンを追いかけた。あのワクワク感を思い出しながら歩いてみると、急な坂道にもそれほど息が上がらなかった。
いろは坂周辺にある階段もチェックポイント
いろは坂の近辺には『耳をすませば』の世界観を体感できる長い階段がたくさんある。フォトスポットとなっているので、ぜひ写真を撮っておきたい。
雫が走っていた階段。ストーリーが前に進むことが躍動する雫の姿からも伝わってきた。坂道の途中や丘の上にはさまざまな階段があり、どれも面白いのでぜひ階段散歩も楽しんでほしい。
雫の人生を変えた場所、「地球屋」のロータリー
いろは坂を登りきってしばらく歩くと、あの場所にたどり着く。そう、「地球屋」があったあのロータリーだ。桜ヶ丘ロータリーと呼ばれる場所で「地球屋」の建物こそないが、映画で何度も見た景色が目の前に広がっていた。地球屋を訪れなければ、雫の「小説を書きたい」という想いが奮い立つことはなかったかもしれない。普通に受験勉強を頑張っていたかもしれない。まさに、雫の運命を変えた場所といえる。「地球屋」の主人、西司朗が天沢聖司のおじいさんという仕掛けもまた見事で、運命の導きにドキドキさせられた。
2022年公開の『耳をすませば』実写版はアニメ版から10年後、1998年を描いた作品ということなので、ここではひとまずアニメ版を1988年頃と定義するが、そう考えると『耳をすませば』が実に奥深い作品に見えてくる。多摩エリアの団地群は70年代前半に入居がスタートしており、雫たちが住む団地も、今見ると昭和の香りを残すアイコンとして機能する。現代劇ながら公開から長い年月が過ぎたこともあり、時代性を帯びた物語としても楽しめるのだ。
さらに、雫の家は母が大学院に通っており姉も大学生という設定も見逃せない。これらは女性が高学歴を目指す時代を迎えていたということの示唆とも言えるが、コントラストを成すように中学3年生で受験生の雫は勉強に身が入らず、そんな自分に苦悩する。自分の夢を持ち、叶えようとする聖司のまぶしさにときめきながらも、何もできていない自分に戸惑う。昭和から平成に移り変わる時期でもありバブル崩壊前夜とも言える80年代後半のざわざわした雰囲気を、葛藤し続けるヒロインが見事に体現していた作品だった。
アニメ版が公開された1995年は、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件といった国を揺るがす事件もあり、インターネットが急速に広まった時期。時代の転換期ともよく言われる。1995年の劇場版で「少し昔」が描かれていたことも面白い。今思うと、この2つの時代に何らかのシンクロがあったのは間違いないだろう。時代が移りゆくときの、何とも言えないざわつきや焦燥感を、そしてその先にある希望のようなものを、雫という少女に託した作品なのだ。
甘酸っぱさ全開!恋愛の聖地、金刀比羅神社
ロータリーから再びいろは坂のほうに戻ってみよう。いろは坂近辺には絶対行っておかないとならないスポットがある。それが、金刀比羅神社。雫に片想いをしていた野球部の杉村が、その想いを伝えた神社のモデルだ。雫の親友の夕子は杉村のことが好きで雫もその事実を知っていたため、語るのも恥ずかしい見事な三角関係が完成。当時、小学生高学年男子としてこの場面を見ていた私は本当に胸を締めつけられる思いだった。男子目線では「杉村の失恋が確定した地」であるが、雫目線ではちょっと話が変わってくる。
それまで夕子の恋心を見守るだけだったが、杉村に告白されたことにより、雫は急に恋愛の当事者になる。映画のなかでは1つのエピソードでしかないが、雫はこの経験を経て、人として成長していく。恋心に応えられなかったことで心に傷を負い、このことをバネとして女性としても階段を一段上るのだ。また、杉村がこの出来事の翌日に「おはよう」と雫に声をかけるシーンも印象的だった。当時の私は気づかなかったが、今見るとこの場面も胸キュンポイント。失恋した杉村の男としての成長も丁寧に描かれているのだ。思春期らしい切なさあふれる恋愛描写は大人へのステップアップでもある。神社のシーンは、思春期の主人公たちの成長がテーマのひとつである、『耳をすませば』の象徴と言えるだろう。
『カントリーロード』を聴きながら見ると沁みる、多摩エリア
帰り道、いろは坂を降りて行くと目に映る聖蹟桜ヶ丘駅のビル群がだんだん大きくなってきた。これはジブリ好きのトリビアとして有名な話だが、実は1994年公開のジブリ作品『平成狸合戦ぽんぽこ』のラストシーンと、『耳をすませば』のオープニングの多摩の夜景は構図がまったく同じだ。『ぽんぽこ』が多摩ニュータウンの開発により追い出される狸たちを描いた作品だったのに対し、翌年公開の『耳をすませば』はそこに住んでいる人々の日常にフォーカスしていた。
また、これもジブリファンにはよく知られたことだが、この作品は宮崎駿や高畑勲がその才能を高く買っていたアニメーター近藤喜文の最初で最後の監督作となってしまった。47歳という若さで亡くなってしまった近藤がほかにも作品を残せていたらジブリ映画だけでなく、日本のアニメ界も今と違ったものになっていたはずだ。
そして、この作品を語るうえでは主題歌『カントリー・ロード』にもしっかり触れておかねばならないだろう。原曲は故郷の田舎に想いを馳せる歌詞だが、劇中で雫が考えた歌詞は、強い自分を持って歩いていこうという、前向きな決意が感じられる歌詞だ。田舎を持たない東京生まれの雫だからこその言葉にグッとくる。前述のように『ぽんぽこ』と同じ舞台で、主人公にこの前向きな歌を歌わせたというのが実に興味深い。いろいろな解釈ができるだろうが、こういったファンを楽しませるフックがたくさんあることも、『耳をすませば』が長く愛される理由のひとつだ。
2人が朝焼けを見た「耳丘」、今は立ち入り禁止
最後に訪れたかったのは、物語の最後で聖司が雫を連れていくあの丘の上。「耳丘」とも呼ばれファンの聖地だったが、今は入ることができない。あの場所に立てるのは、主人公2人だけというわけだ。今回さまざまなスポットを巡り、なるほど『耳をすませば』が多くの人に愛されているということを実感した。ぜひ、このルートを参考に聖地巡礼をしてほしい。
ただし、2つだけ注意点がある。1つ目は普通に住んでいる人がいる住宅地のスポットが多いので、マナーや交通ルールは必ず守ってほしいということ。当たり前だが車もガンガン通る道だから気をつけたい。そして、2つ目も重要。できれば恋人と、叶わなければ友だちと歩いてみよう。筆者はある休日の心地よい日に散歩したこともあり、周りはカップルだらけ。アラフォーのおじさんが1人でカメラを抱えながら……は、なかなか恥ずかしく、切なかった!
と、このように『耳をすませば』と向き合ってみて、最後に告白しなくてはならない。筆者の初恋の人は月島雫ではなかったろうか。「つーきーしーまー」と心で念じてみる。当時から天沢聖司目線では気持ちが入らず、杉村目線であの作品を見ていたが、年をとった今もそのスタンスは変わらない。おかげで金刀比羅神社を訪れた後、筆者もフラれた気分となり、帰り道、なんだろう、胸が久々に熱くなった。
文・撮影=半澤則吉
参考:桜ヶ丘商店会連合会HP、耳をすませばモデル地案内マップ