『ドライブ・マイ・カー』の映画と原作との違い

まずは、『ドライブ・マイ・カー』のストーリーを振り返ってみたい。

『女のいない男たち』 2014年、文藝春秋刊/2016年、文春文庫刊
『女のいない男たち』 2014年、文藝春秋刊/2016年、文春文庫刊

俳優の家福(かふく)はサーブ900コンバーティブルで事故を起こし免許停止になる。そのうえ緑内障も発覚し、運転を控えるように医者に言われる。そこで整備工場で紹介してもらったのが若い女性ドライバー、みさきだった。寡黙な二人だが、次第に身の上話をするように。気づけば家福は死んだ妻の話、そして彼女と不倫関係にあった二枚目俳優・高槻と親しくなったという話を口にする。自分の娘ほどの若い女性にどうしてこんなことを語っているのだろう。そう思う家福だったが、話を止めることはできなかった。

ここまで読んで、疑問符が浮かんだ人も多いだろう。原作を読んだことがない人は驚いたはずだ。そう、『ドライブ・マイ・カー』は映画と原作には大きな違いがある。

映画は実に3時間にわたり、人々の心情を細やかに描いた。家福、みさきのこれまでの人生をしっかり描写し、あるいは語り、ドラマティックかつ、奥行きある作品に昇華させた。原作より登場人物も増えてさまざまな言語が飛び交う、斬新な演出も光っていた。家福とみさきが出会うのは広島で、舞台となった瀬戸内の景色がもたらす映像美も作品世界をつくりあげることに一役買っていた。

そしてこれは大きなポイントだが、原作と異なり家福の車、サーブ900の色は黄色ではなく赤だった。これは「映画と小説は違うもの」というメッセージのように思える。というのも映画では『女のいない男たち』に収められたほかの作品『シェエラザード』、『木野』からもモチーフを拝借しているのだ。この丁寧な手つきの仕事も相まって、映画では原作の雰囲気をまるで損なわず『ドライブ・マイ・カー』の世界を深めることに見事成功していた。

一方、原作小説は実に静謐(せいひつ)でシンプルな作品だ。主な登場人物は家福、死んだ妻、その不倫相手の高槻(高槻以外にも不倫相手がいたが)、そして運転手のみさきの4人だけ。ほとんど車のなかで物語が進み、ドラマティックな展開もない。舞台も東京で、家福とみさきは映画ほどに心の交友を持たない。家福は運転手のみさきに妻のこと、その不倫相手のことを話す。それを、みさきが受け止める。ただ、それだけの物語だが、最後には本当に小さな希望や光のようなものが家福の心に訪れる(もちろん違う解釈もあるだろうが)。短いながらも、味わい深く人生の悲哀を噛みしめることができる小説だ。

非現実と現実をつなぐ場所、竹橋ジャンクション

前置きが長くなってしまったが、そろそろ家福の歩んだ道、いや、彼がみさきとともに車で移動していた道程を歩いてみたい。原作を読んでいない人も、読んでいた人も楽しめる『ドライブ・マイ・カー』散歩、まず訪れるのは東京都千代田区の竹橋だ。

冒頭で述べたように、家福の乗っている車が首都高速道路を通過する場面がある。村上春樹作品で首都高といえば、『1Q84』が思い出される。社会現象といえるほど売れたこの長編小説でも首都高の渋滞が印象的だったが、本作でも首都高はご多分に漏れず渋滞しているようだ。みさきが黄色いサーブ900を運転し、家福は助手席に座っている。小説では「竹橋の出口」と言っているが、実際にはジャンクションがあるだけで「竹橋」という出口は存在しない。首都高都心環状線外回りを走るサーブ900は「竹橋ジャンクション」を経て、劇場のある銀座方面へと向かうのだ。

首都高を歩くわけにはいかないので、今回は竹橋付近を散歩してみることにした。実際に歩いてみると、ここはまさに東京都のど真ん中だと実感する。地下鉄東西線竹橋駅の目の前には皇居があり、静かで散歩も楽しみやすい場所だ。皇居の周りを走るランナーも多く、都心にもかかわらずのどかな雰囲気がある。

けれど、家福はこの地上の姿を知らない。車窓から首都高速道路の渋滞を陰鬱に眺め、芝居の練習をし、亡くなった妻を想うだけだ。ここでは多く語らないが『1Q84』において、首都高は現実と乖離した場所だった。村上春樹作品では、首都高は俗世間と登場人物を切り離す舞台装置の役割を果たす。実際に眺めてみると首都高は驚くほど高い場所にある。こんなにところによく道路を通したと、感心してしまうほどの高い場所に。

そして、サーブ900は首都高をもうすぐ降りる。現実に向かおうとしている。

家福が現実を生き高槻と出会う街、銀座

次に訪れるのは、家福とみさきの乗った車が目指した銀座だ。家福が芝居をする劇場がある。ご存じの通り銀座は日本を代表する繁華街、商業地区でもあり、劇場が多い街でもある。竹橋から皇居のまわりを歩くと、30分から40分ほどで銀座に到着する。家福とみさきは車で移動するが、足に自信があれば散歩を楽しむのも面白いだろう。

銀座には『博品館劇場』といった小劇場がある。ほかにも『歌舞伎座』『新橋演舞場』もほど近い。この街は古来からエンタメの聖地として知られてきた。大きな商業施設や、高級ブランドの店舗が立ち並ぶ銀座を歩いていると、家福の職場が「銀座」だったことが興味深く思えてくる。銀座は非現実の「首都高」とコントラストを成す、現実、そして世俗の象徴なのだ。

また、妻の不倫相手の高槻と飲み交わすのもこの街。軽薄な男として描かれる高槻の存在自体もまた現実世界のシンボルであり、その現実世界になじめず迷い続ける家福と表裏の関係にある。

そこまで考えると、主人公に与えられた家福という珍しい苗字も、実に示唆的なものに思えてくる。この名から、村上春樹ファンなら長編小説『海辺のカフカ』を連想するはず。村上春樹本人はチェコの作家フランツ・カフカを愛好しており自身の小説のタイトル、そしてその主人公にカフカの名を使った。非現実に思い悩み、それでもなんとか現実世界を生きようとする家福。だが、彼は舞台に立つという非現実的な行為でしか現実を生きられない。同じ場所をぐるぐる回り続けるこの構造は、実にカフカ的だ……。

そんなことを考えているうちに、銀座の街を通り過ぎ、日比谷公園の近く『日生劇場』までたどり着いてしまった。家福はテレビドラマでも活躍する性格俳優。こんな大劇場の舞台にも立っていたことだろう。そして「自分以外のもの」になりきり、もがきながらも現実世界と向き合っていたのだろう。

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今回は小説『ドライブ・マイ・カー』の舞台を散歩してみた。シンプルながら奥行きのある物語はいかようにも解釈できる。ぜひ竹橋、銀座の雰囲気を味わいながら家福やみさきに想いを馳せてほしい。機会があれば、映画版の舞台となった広島にも足を向けてみたいと思っている。そのときはもちろん、サーブ900に乗って。

取材・文・撮影=半澤則吉