共感を呼んだ10歳の普通の女の子、千尋

もはや説明不要だろうが、まずはそのストーリーを簡単に振り返ろう。

主人公、荻野千尋は10歳の女の子。両親と引っ越し先に向かう途中、テーマパークの廃墟のような不思議な町に迷い込む。両親はそこで店の食べ物を勝手に食べて豚になってしまい、千尋はひとりぼっちに。ハクという少年に導かれ八百万の神々が訪れる油屋で働くことに。魔女、湯婆婆に名を奪われ「千」となった千尋は、両親を人間に戻すためにあらゆる試練を乗り越えていく……。

ロードショー中に2回、劇場に足を運んだ。1983年生まれの筆者にとってはジブリ作品といえば『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』が真っ先に思いつくが、『千と千尋の神隠し』はこれらの名作と並ぶほどのインパクトだった。主人公はナウシカやシータのような強さを持ち合わせない、現代っ子。ヒロインの成長譚であることはほかのジブリ作品にも共通するものの、どこにでもいる普通の少女が主人公というのは、それまでの宮崎駿の映画にはない設定だった。同じく少女が主人公の作品に『となりのトトロ』があるが、サツキやメイは芯が通っていて気が強い印象だ。結果、弱く頼りないという新しい主人公像は多くの人々の共感を呼ぶことになり、映画はジブリ史上最高の興行収入を記録した。

油屋を思わせる道後温泉を千尋と歩く

それではそろそろ、千尋と物語の舞台を歩いてみよう。

実はスタジオジブリはこの作品の「モデル」を公言していない。なので今回はファンの間で「モデルでは?」と言われている場所に赴いてみる。まずは、愛媛県松山市、道後温泉だ。

今も公共浴場として営業している、道後温泉本館。
今も公共浴場として営業している、道後温泉本館。

湯屋のモデルの1つと言われているのが道後温泉本館だ。趣ある外観で、神々しい雰囲気はなるほど湯屋を想起させる。しかもこの温泉はなんと3000年もの歴史を持ち「神の湯」とも呼ばれている。日本書紀にも登場していて、まさに神々の時代から続いているというわけだ。現在の建物は明治27年(1894)に改築された。美しい木造建築は国の重要文化財でありながら、今でも誰もが利用できる公共浴場となっている。

道後温泉本館は夜も美しい。
道後温泉本館は夜も美しい。

夜になると、その雰囲気はさらに荘厳なものになる。神様たちが行き来する油屋そっくりだ。思えば『千と千尋の神隠し』は実に“夜”が印象的な作品だった。夕暮れどきが終わり、闇に包まれるともう神様の時間。千尋は物語序盤では泣いてばかりだったが、ストーリーが進むに連れ、次第に夜の闇は怖いものでなくなる。そして龍となったハクと夜空を舞う、あのクライマックスへと続いていく。小さな少女が次第に意志を持ち、人として成長していく姿に自分を重ねた人も少なくないはず。ジブリ映画の強いヒロインたちも素敵だが、千尋の持つか弱さも魅力的だった。当時、映画館を埋め尽くした人々は千尋が成長していく姿に勇気をもらい、自分とは何か、生きるとは何かという問いに真っ向から向き合った。

道後温泉のシンボルとなっているカラクリ時計。
道後温泉のシンボルとなっているカラクリ時計。

『道後温泉』もまた“夜”が美しい場所だ。たとえば、駅前にあるカラクリ時計。「坊ちゃんカラクリ時計」が正式名称だ。松山は夏目漱石の小説『坊ちゃん』の舞台で、30分間隔で『坊ちゃん』のキャラクターが飛び出すカラクリが見られる。とくに夜はライティングが美しく、その見た目から、どうしても油屋を思い出してしまう。

こちらは道後温泉の駅に路面電車が入ってきたところ。夜景に映える電車は、千尋が銭婆の住む「沼の底駅」へ向かうときに乗った海原電鉄を思い起こさせる。ちなみに海の上にあるように見える駅ということで、松山に程近い伊予市にあるJR予讃線の下灘駅も、『千と千尋』の舞台のモデルではないかと言われている。道後温泉まで行ったら足を延ばしてみるのもいいだろう。

不思議な街に似ていると話題となった台湾の九份

2016年ごろの九份。
2016年ごろの九份。

次に千尋と歩くのは海を越えて台湾、九份。『千と千尋の神隠し』の世界そのままではと話題になった。かつてゴールドラッシュで繁栄した街で今は観光客に人気のスポットとして知られている。歴史ある街ゆえのレトロさとノスタルジックなムードは、なるほど千尋が迷い込んだあの不思議な街を思い出させる。

夜になると赤い提灯に次々と灯が点る。
夜になると赤い提灯に次々と灯が点る。

街に夜がやって来たことを告げる、提灯の灯りが九份のシンボル。九份は何度も訪れているが、やはり提灯が輝き出す瞬間は神秘的で、毎回ドキドキしながらシャッターを切ることとなる。『千と千尋』の世界に入り込んでしまったような気分が味わえるので、ぜひまた訪れたい。

『千と千尋の神隠し』の癒しと勇気が、今必要になっている

と、ここまで舞台のモデルと呼ばれる場所を散歩してきたが、最後に『千と千尋』の世界を彩った音楽たちにも触れておきたい。久石譲の手がけた荘厳かつ軽やかなサウンドトラックたちは文句なしで素晴らしかった。そして何より木村弓の歌うエンディングテーマ『いつも何度でも』。物語の世界観と見事にマッチした歌詞とメロディに癒された。今も『千と千尋』を思い出すたび、あの三拍子の名曲を歌いたくなってしまう。

2001年7月に公開された『千と千尋の神隠し』は異例のロングラン上映を記録した映画でもあった。1年以上かけて興行収入300億円越えを成し遂げた。2001年7月……そう、公開から2カ月ほど経った9月11日に我々はかつてない恐怖を目の当たりにする。アメリカの同時多発テロ、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ映像は、決して忘れることができない。『千と千尋の神隠し』は世界情勢が緊迫し、誰もが不安に駆られたあの時代に人々が求めた作品だったのだ。千が千尋という名前を取り戻すまでの物語に誰もが癒され、勇気をもらった。

そして現在も世界情勢が混沌とし、我々はもやもやとした不安に怯え続けている。こんな時代だからこそ『千と千尋』が再び必要とされたのではないだろうか。舞台という形ではあるが、今の時代にこの作品が蘇ったことは偶然ではない気がする。

『いつも何度でも』を口ずさんでみる。なんだか、自然と心が穏やかになった。不安が少し小さくなった気がする。今こそ、いつも何度でも夢を描こう。

文・撮影=半澤則吉

参考:道後温泉HP、松山市HP

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