飲み屋の屋号に惹かれる
これまで私が書いてきた色々な文章の下調べに使った資料地図から拾い出してみました。昭和20年代から40年代にかけての飲み屋街の地図からです。正確には、住宅地図やその一種になります。路地がどう食い込んでいたか、歓楽の地にはどんな業種の店が並んでいたか、規模はどの程度かを吟味するはずが、これらの屋号に出会ってしまうと目が移って、調査に戻れずぼーっと眺めてしまう。古い地図に櫛の歯のように並んだ飲み屋の、小さな枠内に小さな文字で書き込まれた屋号。
古くからの日本語の響き、日本語になかに取り込まれた外国言葉の響き、語句の組み合わせの美しさ、そして現代人とは隔絶した気取り方、言語感覚に、惹かれてしまうのです。
もう少し並べてみましょう。
しらさぎ、緋色鳥、夕鶴、恋の鳥……ポッポ。
どうですか、こんな名のバーがあったら、ちょっと吸い込まれたくなりませんか? 気付かれたかと思いますが、ぜんぶ鳥にまつわる屋号です。これはどれも、神奈川県藤沢市にかつて存在した飲み屋街「小鳥の街 飲食街」の店の名。一角全体の名前さえも気が利いていますね。そこは旧・赤線地帯にあった飲み屋街で、中央に路地を引き込み、背中合わせにモルタル造、平屋の長屋が3棟並び、全24軒ありました(ちなみに周囲には娼家が並びましたが、ここは純然たる飲み屋でした)。
昭和30年代の終わりか40年代頭ごろのこと、おのれの地所に飲食街建設を思い立った地主が、バーを開こうとするマダムやマスターたちにこうした屋号を求めたようですが、鳥好きの人物だったのかまでは伝わっていません。あそこで実際に店をやっていた人から私は現地で直接昔話も聞きましたが、そこは現在大きなマンションになっていて、当時をしのぶものも、何一つ残っていませんでした。ただただ、住宅地図に爪痕を残すのみ。
「『寅さん』のマドンナっていったらリリーだからね」
私は古い一枚の地図から、「秘めた熱」を勝手に感じ取ってしまいます。ふた坪み坪の小さな枠に秘められた思い――自分の城の開業時、食っていくための一世一代の勝負のとき、その思いを心の奥につつみ、ちょっと瘦せ我慢して、ふっと気を抜いたように、サッと無造作につけたように、軽みを持たせ、小洒落を気取った屋号。古びた紙の上に、思い思いの、大勢の人の熱が残ってはいないかとつい、手を乗せたくなるのです。いま、画一化されつつある駅前飲食街では、これほど多種類の熱を見出すことは難しいでしょう。
最後に、屋号にまつわる私の体験を。
地図上、ときたま見かける屋号があります。それは、「リリー」。
この名を冠すスナックが横須賀にあり、何度か飲みにいきました。内装はすばらしく、昭和中頃まではクラブだったようで、居抜きで使っていました。店主(ママではなくマスターでした)がさらりと教えてくれた、その時代の屋号もまた、すがすがしき熱を感じるもの。二度と来ない今夜を輝かす、すぐさま飲みにいきたくなる昭和の屋号。いわく、
「クラブ『明日はおそすぎる』」
さて、常連のおとうさんたちと話すと、リリー、この名がいかにウケのいい名前だったか分かります。
「ほら、俺たち世代は『寅さん』のマドンナっていったらリリーだからね。どっかで飲もうかなと歩いてて、この名前の看板見つけたら、ついドア開けちゃうんだよ~。まあ、浅丘ルリ子に会えたことはないけどな(笑)」
同感です。キャバレー回りをする旅ぐらしの歌手、リリー。「男はつらいよ」シリーズに最多4度登場した、浅丘ルリ子さん演じるマドンナ。いつもならマドンナたちにあわせて、背伸びしたキャラを作ろうとする寅さんですが、リリーには全然しない。心を許した、旅ぐらしの2人、同志なんですね。だからぶっきらぼうな物言いもします。リリーも負けていません。
「女が幸せになるには、男の力を借りなきゃいけないとでも思ってんのかい?笑わせないでよ」
「あいつは頭のいい、気性の強いしっかりした女なんだ。俺みてえな馬鹿とくっついて幸せになれるわけがねえだろ。あいつも俺とおんなじ渡り鳥よ」
「私達、夢見てたのよ、きっと。ほら、あんまり暑いからさ」
胸に来る、いいセリフをたくさん2人は発します。でもどうして、寅さんとリリーを一緒にしてやらなかったんだ、山田洋次さんよ。……おっと、大きく脇道にそれました。
まあとにかく、リリーと話しながら飲めたら――おとうさん達の気持ち、痛いほどわかります。屋号には、忘れてしまったせつなさを、いっときは思い出させる仕掛けさえも、埋められていることがあります。
文・写真=フリート横田