明るくてばかばかしい、貧乏学生時代の飲み方

まずは、あるターミナル駅前の飲み屋で聞いた話。コの字カウンターで隣り合った親父さんが、「お兄ちゃんタバコの煙ごめんね」と紫煙を吹き出しながら私に謝るのをキッカケに話しかけてくれました。おっ、自慢話来るかな、と身構えたんですが違います。彼は昔、その街の一角だけで密かに流行した飲み方の流儀を語りだしました。若者特有のスタイルです。韓国料理を出す店を今もちらほら見かける一角に、昔(おそらく昭和40年代)、気前のいいママがいました。とにかく酒が安くて、ママの周りには若い人たちが群がりました。何を飲ませるかと言うと、どぶろく。今風に言えばマッコリ。まぁママさんは勝手に家で酒を醸していたということ。昭和後期まで、焼肉屋さんの集積する場所ではよくあることでした。

若い人たちは安く早く酔いたいわけです。そこでまずママの注ぐどぶろくを一杯あおります。そしたら突如店の前の路地に出る。通行人が啞然とするのも構わず、いきなり皆で行ったり来たりの全力疾走。即座に酔いが回る、その上頭がカーッと熱くなる。酒には、たっぷりの七味をぶち込んでいました。

親父さんはタバコをふかしながら懐かしそうに私に語りました。たったこれだけの話なんですが、子供のような若い客たちを見つめるママの顔が見えてくるような気がして、私は好きです。もう一点。貧乏学生時代の貧しさ自慢をしてきながら今は身綺麗な紳士となったおじさんなどにはよく飲み屋さんで会いますが、この話には陰惨さ自慢と自己愛の臭いがないんです。明るさとばかばかしさだけがあって、私は好きです。

キャバレーの源氏名が「トヨタ」「スバル」「日産」

そうそう、キャバレーの話も思い出しました。昭和40年代、ある店では、ホステスさん達に面白い源氏名をつけていました。全部自動車メーカーなんです。スバル、日産、ダットサン、トヨタ……等々。店内でお客さんが「トヨタちゃん、最近調子はどうだい?」なんて言いながら水割りを飲むんですが、なんでこんな名前をつけたかと言うと1つ理由がありました。

この時代、客のツケの回収責任は、ホステスが負わされている場合が結構ありました。女たちは必死に電話攻勢に出るわけですが、お客さんの家にはかけるのは、さすがに憚られました。でも名刺をもらってますよね。会社にかけるんです。「ハイ、株式会社●●です」「あの、キャバレーの朱美です」……とは言いにくい。「スバルのものです」こういうわけです。見事、客に取り付がれ、キッチリ回収したそうです。良く出来過ぎてるところも好きですが、この話、当時の女性がおかれていた立場を、はからずも如実に表してしまっていて、妙に生々しく、教えられるものがあります。

地元で大盤振る舞いして挑んだ選挙の結果は……

最後はちょっと土地の顔役の話を。大昔、ある地方にとても力のある一家がありました。その地方の街でだいぶ勢力を持っていた人たちなんですが、かなりのやり手で、街の一角を造成したりもしました。仕事ぶりは強引。泣かされた地元の人もかなりいたと聞きます。世の中が落ち着いてきたころ、有り余る財力を手にしていた一家の跡取り息子は、今度は政治の世界に進もうとしました。

準備万端、国会議員の選挙に打って出ました。昭和の中頃のことですから、もう何でもありですね。自分で作った飲み屋街周辺に設けた選挙事務所では、弁当はもとより、土産物や振舞酒も大量に用意し、地元の人たちに大盤振る舞いして自分への投票を強く呼びかけました。堂々たる買収。おかげでいつも事務所の周りは地元の人達で大賑わい。酒を飲む人がひっきりなしに訪れ、うやうやしく挨拶し、息子を讃え、酒をうまそうに一杯飲みほしては帰っていきます。

トップ当選じゃないかなんて関係者たちはいいながらさあ開票。ところが……落選。ショックを隠しきれない息子は、雪辱をはらそうと今度は地方選挙に出馬。前回にまして酒をふるまいます。次々に地元民たちが訪れ、喉を鳴らして酒を飲みほしては帰っていきます。開票して唖然、また落選。あきらめきれない息子は最後、地区の小さな選挙でまずは確実に勝って、ひとまず政治家になることにしました。「二千票も入れば当選」と言われた小さな選挙、酒を飲ませた延べ人数はこの数字を軽く上回りました。はい、そうです結果はまたまた落選。

「みんなで良い酒飲んじゃってさ」と私に話を聞かせてくれた古老は自分で言って自分で笑っていました。でも、本当に彼は酒を飲んだんでしょうか。私には確かめようもありません。そもそも三段オチになった見事なストーリーが本当かどうかも。

 

ただ、街を、自分たちばかりいいようにシッチャカメッチャカにされた怒りの気配が、その時代の街に滞留していたことは事実でしょう。地元の人達はこの感情を酒の席での笑い話に転換することで解消し、盛者必衰の物語にさえ昇華させているわけです。人からひとへ話すうちに整えられていったお話だと思います。チューハイを飲みながらうまく語る昭和の琵琶法師たち。彼らが見せる春の夢の話を聞きながら飲むのも私は好きです。そしてこんなとき、私は正史だけが歴史ではないと改めて思うのです。

文・写真=フリート横田
*写真は本文とは直接関係ありません。