観音様や歓楽街だけが浅草じゃない
かつて隅田川には数多くの渡しがあった。その一つが浮世絵にも描かれた竹屋の渡し。ここから、歴史絵巻をたどっていこう。
まずは待乳山聖天(まつちやましょうでん)へ。海抜約10mの待乳山の頂に大聖歓喜天が祀られている。ユニークなのが本堂右手のスロープカー。石段が苦手な参拝者向けに設置されたもので、眺望(ちょうぼう)も楽しめる。
聖天様のお膝元、山谷堀(さんやぼり)には船宿が並び、吉原へ通う遊客でにぎわった。今は暗渠(あんきょ)となり静かな公園だが、園内の「山谷堀ヒストリカルツアー」と銘打った解説板が、この水路の艶やかな歴史を教えてくれる。
渡しを呼ぶ女将の美声が評判に。「竹屋の渡し」
待乳山のふもとと向島の三囲神社の前あたりを結んでいた「竹屋の渡し」。山谷堀に架かる今戸橋のたもとに「竹屋」という船宿があったことからそう呼ばれた。向島の「都鳥」という掛茶屋の女将が、この渡し船を呼ぶとき「たけや~」と呼びかける美声が大変な評判だったという。昭和3年(1928)、言問橋の架設にともない、渡し舟は廃止された。
さくらレールで眺望を楽しむ「待乳山聖天」
東都随一の眺めを誇り「江戸名所図会」にも描かれた待乳山聖天。境内各所に印された二股大根や巾着は聖天様の御利益(夫婦和合や商売繁盛)を表したもの。大根は人間の迷いの心や怒りの毒を消すとされ、大根をお供えすることで聖天様が毒を洗い清めてくれるという。スロープカーのさくらレールは定員4人。
山谷堀の歩みをたどる散歩道
江戸時代初めに造られた山谷堀。吉原通いの遊客が猪牙舟(ちょきぶね)で通った水路で、いまは暗渠となり700mほど続く山谷堀公園となっている。細身で速さが自慢の猪牙舟をかたどった石のモニュメントや木製舟型ベンチなどが配され、水の流れをイメージした3色のブロックが敷き詰められている。公園両側の護岸や橋の親柱がかつての面影を伝えている。
いつも揚げたて、ハムカツが人気『河辺精肉店』
『河辺精肉店』の創業は明治時代。今は総菜専門で、カレーやナポリタンなどが5、6品並ぶ。注文を受けてから揚げるので、サクッとして後味も軽やか。「大豆油だけではコシが弱いので、自家製ラードを混ぜてキレと風味を出しています」と4代目の河辺健児さん。
・11時~18時30分(揚げ物は~13時・16時~)、土・日・祝休
・☎︎03-3873-6318
「改む・革(あらた)む」がコンセプト『aratamu』
もとは子供靴専門で、2022年4月から大人の靴やアクセサリーも販売するセレクトショップ『aratamu』を始めた。「浅草は“かわ”の街。その誇りを持ってやってます」と、靴デザイナーでもある手島喬之さん。残革を利用したクリップ440円や陶片で作ったアクセサリー3000円前後などアーティスト仲間の作品も並ぶ。
吉原から橋場へ。意外な史実を知る
さらに堀跡を遡(さかのぼ)ると、旧正法寺橋の左手に「土手のお稲荷さん」と呼ばれた合力稲荷神社。土手とは、水害に備えて今戸橋から三ノ輪にかけて築かれた日本堤のこと。明暦の大火で、吉原が浅草に移った後は、見通しのよい土手上は遊里通いの花道として大いに利用された。
堀跡に戻り、浅草紙の産地だった紙洗橋へ。紙料(しりょう)を山谷堀の水で冷やかす間に、職人らが吉原の遊女を見歩いたことが、「冷やかす」の由来という。
山谷堀に別れを告げ、土手通りへ。吉原大門の信号を右折すると日の出会商店街。その先がアサヒ商店街。総菜店や飲食店が軒を並べる商店街から南に入ったところに妙亀塚がある。謡曲『隅田川』で有名な妙亀尼と梅若丸の悲しい伝説の地だ。
他に類を見ない足で持ち上げた力石「合力稲荷神社」
代々合力稲荷神社の維持管理にあたってきた、馬三町会の町内頭6代目山崎淳さん。力石には三ノ宮卯之助、足持石、世話人の名が刻まれていて、足で持ち上げた力石とされている。三ノ宮卯之助は現在の埼玉県越谷市に生まれ、力持ちを見世物とした一座を結成し諸国を巡業。嘉永元年(1848)の「力持番付」には最高位である東の大関としてその名がある。
すべてのお風呂に「天然温泉」を使用『天然温泉 湯どんぶり栄湯』
地元でも愛されている『天然温泉 湯どんぶり栄湯』。肌に優しい天然温泉をすべてのお風呂に使用。男女ともに温泉旅館のような露天風呂を備え、ミクロの気泡が全身をマッサージするミクロバイブラや高麗人参配合漢方薬湯「宝寿湯」など7種のお風呂が充実。
いまも地元の人々が供養している「妙亀塚」
観音裏からこの妙亀塚がある橋場あたりまで、浅茅ケ原と呼ばれる広大な湿地が続いており、湖沼も多くあった。この地で愛児の死を知った母親は、草庵を結び念仏三昧の日々を送るが、悲しみは日ごとに募り、やがて浅茅ケ原の「鏡ケ池」に自ら身を投げた。その遺骸を亀が乗せて浮上してきたため、これをあわれんだ土地の者が塚を築いたという。
透明で硬く、溶けにくい純氷『純氷販売 佐藤』
「ここは吉原に近いでしょう。私も小学生のときから手伝ったけど、ほんとに忙しかった。冷たいものと言えば氷しかなかった時代。暮らしの中に氷の文化がありました」と、『純氷販売 佐藤』の佐藤房子さん。純氷はマイナス10℃前後の低温で、48時間以上かけて凍らすため、氷の結晶が大きく透明度が高い。3.5㎏400円。
・9~19時、不定休
・☎03-3873-6145
水路と川が織りなす歴史絵巻も完結へ
ここからは『皮革産業資料館』を見学し、白鬚橋西詰の『明治天皇行幸対鷗荘遺跡』へ。対鷗荘とは明治維新の元勲・三条実美の別邸。同資料館館長の稲川實さんは、「新政府の最高位にあった三条実美が別邸として橋場の地を選んだ。そのことが当時の橋場がいかに素晴らしい場所であったかの証しです」と言う。
白鬚橋から橋場を眺め、明治通りを渡って石浜神社へ。神亀元年(724)鎮座という歴史を誇る古社だ。境内には落ち着ける茶屋もあり、ここでのんびり過ごそう。帰りは隅田川沿いを歩く。対岸のスカイツリーや川面に漂う屋形船が、絵巻物のようにきらきらと輝いていた。
橋場は憧れの高級別荘地だった
三条実美が、浅草橋場42番地(現・東京都下水道局山谷ポンプ所あたり)に敷地約990㎡の別邸を得たのは明治6年(1873)春。その年の12月、病に伏している三条実美を明治天皇が見舞いに訪れた。その臨幸のコースは、両国橋までは陸路をとり、それから先は「春風丸」という船に乗って隅田川を上り、直接橋場の対鷗荘に着岸上陸したという。
「神明さん」の通称で名をはせた『石浜神社』
再来年に鎮座1300年を迎える石浜神社。文治5年(1189)には、源頼朝が奥州征討に際して社殿を寄進。東に隅田の大川、西に霊峰富士、北に名山筑波といった名勝に恵まれ、多くの参詣者を集めてきた。境内には、平安時代の歌人・在原業平の都鳥歌碑や宝暦8年(1758)築造の富士塚など文化財も点在。
・拝観自由。
・☎03-3801-6425
肉みそが香ばしい名物豆腐田楽『石濱茶寮 楽』
石浜神社鎮座1300年記念事業の一環として、2020年境内にオープンした『石濱茶寮 楽』。江戸時代末の古民家の建材を用いた建物は天井が高く、開放的な雰囲気。浮世絵にも描かれた名物豆腐田楽475円、十割そば(もりそば680円)も美味。コーヒーの名店バッハのホットコーヒー580円も。
・11時30分~17時LO(土・日は~20時30分LO)、水休
・☎03-6806-8001
ワインを楽しんだあとに生まれるアート『Atelier Cork&Tip』
「ワインの消費から生まれるコルクアートを通じて、世界の文化や歴史に触れるきっかけとなればうれしいです」と、ワインバー&コルクアートギャラリー『Atelier Cork&Tipの久保友則さん。コルク断面のグラデーションを利用し、1個1個積み上げて描いていく。日替わりグラスワインは700~1000円。
・14時~22時LO、月休
・☎090-1851-7773
日本で唯一。皮革関係の資料館『皮革産業資料館』
橋場の銭座の跡地に、明治5年(1872)、弾直樹が皮革工場を移転させたのが橋場の靴工場の始まり。皮革産業資料館では、館長の稲川實さんが集めた貴重な革製品を展示。見学申し込みは1階の事務室へ。
・9~16時30分、月・祝休(月が祝の場合は翌火休)
・台東区立産業研修センター☎03-3872-6780
取材・文=伊東邦彦 撮影=伊東悦代
『散歩の達人』2022年9月号より