アーネスト・サトウが歩いた青根

山梨県の道志村のすぐ東側が青根になり、丹沢の登山口でもある。以前は登山客でにぎわったところだ。それがいまや登山客は激減し、代わりにキャンパーが増えた。道志川沿いにはいまや40以上のキャンプ場がある。夏はとくにキャンパーが多く、青根の人口は3倍にもふくれ上がるそうだ。

その昔、そのキャンプ場が点在する道志川の道筋を歩き、その印象を書き残した人物がいた。

明治の初期、およそ150年前に日本に来た英国人の外交官、アーネスト・サトウ(*1)である。その著、『日本旅行日記』に以下のように書いている。

「小善地と青根間の溪谷では、私が日本ではまだ目にしたこともない、非常に美しい景観が見られる」

富士吉田からいまの「道志みち」を馬と共に徒歩で通ったときの印象だ。

それからほぼ120年後、丹沢の白石峠を越えて道志村に入り、途中、せっかくだからと『道志の湯』につかり、おなじ道志みちを通ったのが筆者である。記憶はほとんどない。徒歩ではなくバスだったということもあり、景色を見るには速すぎたのかもしれない。あるいは湯につかったので、車内では眠ってしまったのだろうか。覚えていないが、おそらく後者の気がする。

その30年後、今度は青根に向かった。アーネスト・サトウが歩いた明治初期は青根村と呼ばれ、その後津久井町になり、さらに相模原市緑区になった青根へ。

 

*1…アーネスト・サトウ
文久2年(1862)、最初は幕末に通訳として訪日し、明治28年(1895)には公使として日本へ。通算で25年ほど日本へ滞在した。植物学者の武田久吉はサトウの次男。主な著書に『一外交官の見た明治維新』(岩波文庫、講談社学術文庫)、『日本旅行日記』(平凡社東洋文庫)などがある。

焼失した木造校舎の小学校跡へ

バス便が減ったので青根に行くのはけっこう大変で、とくに週末などはほぼ日帰りは困難である。アーネスト・サトウが歩いた明治の頃に少しずつ戻っているのではないかと思うほどだ。

緑区役所の青根出張所で聞いた話だが、バスを運行している神奈川中央交通の人は三ケ木(みかげ)・青根間の路線についてこう言っているとか。

「私たちは空気を運んでいる」

なかなかしゃれている。今回終点の東野で降りたのは、その空気と筆者ひとり。平日午前中の運行実績である。

上青根地区の田んぼとお墓。青根の人口は400人を切っている。多いときは1500人くらい。
上青根地区の田んぼとお墓。青根の人口は400人を切っている。多いときは1500人くらい。

バス停周辺が青根の中心街のようで、店が二軒、近くに酒屋が一軒、郵便局もある。ちょっと前までは旅館もあったが、土砂崩れでなくなったとか。ここは旧道になるので、車がほとんど通らないのがいい。

中心街から青根小学校跡へと向かう。木造校舎では神奈川県最古の小学校だったが、2016年に原因不明の火災で焼失。広いグラウンドと焼失をまぬかれた体育館だけが残っていた。門柱のそばに閉校記念の石碑があり、その裏側に回ると、校舎の写真が写ったプレートが石碑に張り付けてある。石碑は普通、文字だけが多いが写真付きはめずらしい。青根の人にとってここは特別の場所で、おそらく魂の宿る場所でもある。

学校の脇から山道を上がって行くと、見晴らしのいい広場のようなところに出た。ここには先の戦争時に使われた監視哨(かんししょう)跡がある。人が眼と耳で飛行機の機種や方向を探知する、いわばアナログレーダーのようなものだ。眺めのいい場所なので造られたのだろう。

青根の集落や丹沢の峰々が一望である。正面にある大きな山塊は大室山らしい。河岸段丘上に平坦地もみえる。そこが上青根地区だ。

監視哨跡からの青根集落。左手の奥にある大きな山は大室山(1587m)。
監視哨跡からの青根集落。左手の奥にある大きな山は大室山(1587m)。

監視哨跡から戻り、最近閉校した青根小・中学校のほうへ向かった。こちらは2020年に閉校。小・中学校が閉校した青根の子どもたちは、ここから8㎞ほど離れた青野原に通っている。

子どもの数は減少の一途だ。小・中学校から田んぼのほうへ上がると、畑におばあさんが何やら土いじり。近くに住む佐藤千恵子さんだ。

「岐阜県の中津川から嫁いできたんですよ。来てみたらびっくりです。こんなに辺鄙(へんぴ)なところだとは思いませんでした。でも、いまはそう思いません。いいところですよ。三ケ木のほうの娘のところに行っても、ひと晩で青根に帰ってきます」

子どもの頃から花が好きで、いまは水田だったところを畑にして、そこでいろんな花を育てているそうだ。

上青根に住む佐藤千恵子さん。自分の畑で趣味の花を育てている。
上青根に住む佐藤千恵子さん。自分の畑で趣味の花を育てている。
浄水場の西側方面の眺め。
浄水場の西側方面の眺め。

秋には一面にコスモスが咲く

段丘上の畑と田んぼの間を抜けて上のほうへ上がって行くと、ひときわ大きな大室山が迫ってくる。美しいところだと思う。ここは天上の地ではないか。

冬は少々寒いそうだが、夏は冷房いらず、扇風機もまず使わないと佐藤さんは言っていた。四季を通して住む覚悟がなく、ちょっと情けないが、夏だけでも青根に住みたいような気持ちになった。

田んぼのなかの道を歩いて浄水場へと向かった。下方に以前よりも減少した棚田と閉校した青根の小・中学校がみえた。背景には道志山塊がどっしりと横たわっていた。

青根の南側にある浄水場付近からの眺望。大きな建物は青根の小・中学校。2020年に閉校した。
青根の南側にある浄水場付近からの眺望。大きな建物は青根の小・中学校。2020年に閉校した。

浄水場から国道へ下りる。道志川を渡って、川の反対側の大川原の集落へも行ってみた。そこからは北丹沢の山塊が大きくみえた。来た道を戻って、集落の中心部にある『加藤商店』に入り、店主の加藤ハツエさんからいろんな話を聞いた。

「子どもの教育のことで、去ってしまう人もいます。小・中学校はまだいいんですが、高校は近くの高校に入れないと橋本まで通うことになり、親は送り迎えが大変。それでアパートを借りたり、家を買ったりして青根を出ていきますが、いったん出て行くと戻ってこない人もいます。さみしいですね」

『散歩の達人』2022年7月号の本連載で取り上げた檜原村も同じ問題を抱えていた。高校からどうするか。サトウの時代なら高校などに行かなくても済んだのだが……。

「よそから来たひとに『空気がきれいなところですね』なんてよく言われるんですけど、空気は毎日吸っているのできれいかどうかわかりませんね」

『加藤商店』で複写させてもらった焼失前の青根小学校の写真。
『加藤商店』で複写させてもらった焼失前の青根小学校の写真。
『加藤商店』の店主、加藤ハツエさん。
『加藤商店』の店主、加藤ハツエさん。

青根には茅葺き屋根の家が一軒残っているという。秋にはそのまわり一面にコスモスが咲く。

「茅葺きとコスモスの組み合わせでしょう、それはきれいですよ。その時期になるとカメラマンがいっぱい来ます」

早速、店を出て茅葺き屋根のある東野の地区を目指した。件のコスモスがある『コスモス園』は、休耕田を利用して2006年から地元の人たちが始めたそうだ。毎年10月ごろに7万本というコスモスが咲き誇るらしい。取材時はコスモスにはまだ早く、緑のコスモス畑に茅葺きの家が一軒立っていた。家のまわりをいろんな花が取り囲んでいた。

東野地区に茅葺き屋根の家が一軒。秋になれば周囲はコスモスの花で覆われる。
東野地区に茅葺き屋根の家が一軒。秋になれば周囲はコスモスの花で覆われる。

畑一面にコスモスが咲くころ、青根にまた来ようと思う。開花状況はハツエさんが教えてくれることになっている。

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この6月に新型コロナのせいで遅れていた青根小学校と中学校の閉校式が2年遅れでようやく行われた。閉校したとき、在校生は小中合わせて7名ほどだったが、250名ほどの参列者があったという。在校生のほかに卒業生や先生たちだ。

学校に勤務したことのある先生がこんな話をしたという。

「泣きながら青根に来て、泣きながら青根を去る」

赴任するときは辺鄙な青根に来るのがいやで泣き、転勤のときは離れるのがいやで泣くということだと思う。

青根はそういうところである。

北丹沢の山麓、青根集落(神奈川県相模原市)

【行き方】
JR・私鉄橋本駅北口から神奈川中央交通バス「三ケ木」行き32分の終点下車。「東野」行きに乗り換えて35分の終点下車。あるいはJR中央本線藤野駅から神奈中バス「やまなみ温泉」行き15分の終点へ、そこから事前予約した乗合タクシーで青根まで行くことも可能。

【雑記帳】
近くの「緑の休暇村センター」にある『いやしの湯』は天然温泉で地元の人のおすすめだ。食堂なども併設。入浴料750円(3時間)、10:00〜21:00、火休。☎042-787-2288

文・写真=清野 明
『散歩の達人』2022年8月号より