1963年創業の北京料理店。「名前は『別館』だけど本館はありません」
中国・山東省の青島市に生まれた初代・張本明山さんが内戦で台湾に渡り、さらに北京で中国料理の修行をしたのち、コックとして招聘され日本にやってきたのは戦後のこと。1963年には新宿1丁目に自身の店『隨園別館』をオープンした。台湾料理と北京料理が融合され、さらに日本人にも好まれる料理を提供している。
1990年代には現社長で2代目の張本君成さんに代替わりし、新宿御苑前駅に程近い現在の場所に移転してきたという。
現在は新宿店のほかに、2000年には立川店、2012年に新丸ビル店、2014年に京橋店と続々オープン。ところで別館ということは本館もあるのだろうか。勇気を出して聞いてみた。
「いや、ないですよ(笑)。ここが本店です。もともと「隨園」という中国料理店があって、そこを父(初代の社長)が買ったんです。それで、新しく店を作るときに風水の先生に画数を見てもらったら、このままではすぐに店が潰れてしまうと。それで『隨園別館』にしたんです」。
実際、前身の「隨園」は閉店をしてしまったが、『隨園別館』は創業から約60年も続いているのだから、“別館”とつけた効果は確かにあったのだろう。
自家製の甜麺醤が決め手! ダックよりもおいしい⁉ 貧乏人の北京ダック
創業当時からある水餃子や酢味のスープ(酸辣湯)と並び人気なのは、別名“貧乏人の北京ダック”と呼ばれる、合菜戴帽(がっさいだいぼう)1540円だ。ちなみにクレープの皮のような薄餅は1枚50円。
「お金持ちは薄餅にこんがり焼いたダックの皮を巻いて食べるんだけど、合菜戴帽は中身が卵と野菜炒めだから貧乏人の北京ダック(笑)。でも、すごくおいしくて人気があるんですよ!」。そう言って張本社長に厨房へ案内され、作る工程を見せていただいた。
張本社長が解説する。「中国の東北地方の家庭料理は、おかずをこのクレープの皮みたいな薄餅に巻いて食べる習慣があるんですよ。おかずはなんでもいいんだけど、卵焼きとか野菜炒めなんかは一般的ですね」。
これは家庭料理なのだ。日本でいうおやきみたいなもんかな。食べ方はなんとなくわかるが、まずは張本社長にお手本を見せてもらった。
さっそくいただきます。自家製の甜麺醤は甘めでコクがあり、野菜のシャキシャキ感とふわふわ卵がたまらな〜い。無限に食べられるけど、栄養バランスもいいし罪悪感が少ない。これが“貧乏人の〜”というなら、筆者はもう貧乏人でいい! 口の端に甜麺醤をつけながら無心に食べる筆者を見て社長がひとこと。
「唇に力を入れて食べると中身が出てきちゃうので、歯で噛み切りながら食べるといいですよ。それから、これはうちのオリジナルだから北京のレストランで頼んでも出てこないですからね(笑)。だいたい、中国人は家庭で食べられるものを外で食べる習慣がないから、メニューには載らないんです」。なるほど、これぞ『隨園別館』でしか食べられない名物だ。
時代が変わっても、この店は変わらない。先代から引き継ぐメニューは今なお多くの客を魅了する
新宿生まれ新宿育ちの張本社長は、移り変わる街の姿を見てきた。もっとも大きく変わったと感じるのは新宿駅南口だという。「新宿1丁目に店があった30年くらい前、新宿駅の南口は、汚くて暗くて臭い。要するにあんまり治安が良くなかったから、歩いているだけでよく警官に声をかけられましたよ。だけど、新宿高島屋ができて変わりましたね」。
新宿高島屋は1996年に開業。その後も少しずつ開発が進められ、新宿西口にあった広大な長距離バスのターミナルは現在の南口にある新宿バスタに統合された。時代とともに新宿の街が変わっても、この店は変わらない。今も提供するメニューは先代からのメニューが多数並んでいる。とくに格別な思いがあるのは水餃子だ。
「オープン当時はにぎやかな新宿でも本格的な中国料理店は珍しかったと聞いています。いわゆる町中華みたいなお店では、焼き餃子がよく売れていました。中国では水餃子が主流ですが、“それが人気なら”とうちでも出していた時期もあったんです。でも、やっぱり父は水餃子のおいしさをみなさんに味わって欲しくて、焼き餃子をメニューから撤廃したと聞いています」。
本格的な北京料理の技術を持ちながら、本場の味にこだわりすぎず「おいしければいいじゃない」という姿勢を貫いてきたそうだ。先代が譲れなかった水餃子は紛れもなくこの店の看板メニュー。この味は、未来永劫引き継がれていくだろう。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢