昭和43年、東京・新宿三丁目に出店。銀座ではなく 新宿を選んだ理由
創業者の久富サツキさんが地元熊本で『桂花ラーメン』をオープンして以来、13年。本店のほか、2店舗の支店を出すまでに成長していた。そしてついに熊本を飛び出し、東京に出店することとなる。
それにしても、熊本から一気に東京である。間にある福岡や大阪といった都市を飛び越えての出店だ。「どうせ熊本を出るのであれば、自分の作ったラーメンを日本で一番勝負をかけたいところで広めたいという夢もあり、だったら東京が一番だろうということだったようです」とは、桂花拉麺株式会社常務取締役の小林史子さん。小林さんは久富サツキさんのお孫さんにあたる。
「熊本を出るっていう苦労はどこに出店しても同じなので、それであれば日本の中心地に出したいっていう。今でいうと、いきなりニューヨークにお店を出したいみたいなものですよね(笑)」と小林さん。
末広店出店にあたっては当時、サツキさん自らが上京し、知り合いのツテを頼りながら新宿や銀座など、いろいろと回った。そして最終的に選んだのは、昼も夜も賑わって勢いのある新宿三丁目だった。「ゴールデン街に近い、新宿のドヤっとした感じがうちのラーメンに合うって決めたそうです」と小林さん。
飲み屋が密集する新宿三丁目は、ともすると夜の街といったイメージだが、すぐそばには山の手マダム御用達の老舗百貨店の伊勢丹があり、寄席の新宿末廣亭が江戸情緒を漂わす。そんな雑多で多様性に満ちたこの場所が『桂花』のラーメンに合っていると、直感的に決めたサツキさん。驚くほど鋭い商売人としての嗅覚だ。
真っ白なスープ、独特な香りを放つ黒い油。見たこともないラーメンに、末広店出店の最初の2年間は鳴かず飛ばず
そして昭和43年(1968)12月、『桂花ラーメン 新宿末広店』がオープンする。当時、東京のラーメンといえば醤油スープの中華そばのほかに、札幌の味噌ラーメンがご当地ラーメンであったぐらい。『桂花ラーメン』が九州の豚骨ラーメンを東京に初めて持ち込んだ。さぞやバズったのではと思いきや、そうではなかった。
「勢いで出したはいいけど、最初の2年間は本当に鳴かず飛ばずだったそうです。見たこともないようなラーメンが出てくるので、真っ白いスープというのにすごく抵抗があったようです。それに、香りも独特なので。皆さん最初は『ん?』っていう感じで」と小林さん。今では信じられないような話だが、当時の東京では豚骨ラーメンは未知のラーメンだったのだ。
そんな『桂花ラーメン』に、転機が訪れる。当時人気の朝のワイドショーで放映された「札幌味噌ラーメンVS熊本豚骨ラーメンVS東京ラーメン」といったご当地ラーメン対決企画に出演し、そこで一番おいしいと評価されたのだ。
このテレビ番組で全国1位になったことでメディアへの露出が増え、熊本から飛び出した『桂花ラーメン』が東京で広く認知されることとなる。そして「白いスープで独特の香りの見たこともないラーメン」は一転、人々の注目を集める話題のラーメンとなったのだった。
身体を作る食事であることを常に意識。栄養として1杯で完結するラーメンにこだわって誕生した太肉麺
熊本ラーメンのトッピングといえば、チャーシューにきくらげ、メンマに煮卵、それにニンニクと香味野菜を混ぜてラードで揚げた香ばしい香りのマー油。ちなみにこのマー油を考案したのは、サツキさんだ。魔法のようにおいしくなる魔法の油だからマー油。媚薬のようにやみつきになる香りだよねって、サツキさんと小林さんのお母様の母娘でおもしろいねって名付けたという。
東京進出の記念メニューとして、栄養満点でかつ、ほかにはないラーメンを作ろうと考案したのが、今や『桂花ラーメン』の不動の一番人気・太肉麺(ターローメン)だ。豚バラを、お箸で持つとホロホロと崩れるぐらいやわらかく煮込んだ大きな角煮(太肉)に、ザク切りにしたたっぷりの生キャベツ、茎ワカメ、台湾風の煮卵など、熊本ラーメンとしてはかなり大胆で斬新なトッピングだ。
母親でもあったサツキさんは、ラーメンも身体を作る食事であるという信念を持っていたという。「以前は桂花ラーメンにミニサラダを付けて勝手に“完全食”って名付けたメニューもありました。野菜とラーメンで栄養いっぱいになるようにって。一時期はスムージーをやったりもしていましたね。今のスムージーのような洗練されたものじゃなかったですけど」と小林さんは笑う。そして、試行錯誤しながらもバランスよく召し上がっていただきたいというサツキさんの一貫した想いを大切にしていきたいとも語ってくれた。
これぞ『桂花ラーメン』の真髄!? 太肉好きにはたまらないド迫力の太肉一本盛り!
『桂花ラーメン』の長い歴史と、東京のラーメンに衝撃を与えた新宿末広店出店当時のお話を伺ったところで、自慢の太肉麺を実食することに。しかも、太肉がまるまる1本盛られたゴージャスな太肉一本盛りに挑戦だ。
注文から10分も経たずに、丼の中でとぐろを巻くように太肉がドーンと盛られた太肉一本盛りが着丼! 圧巻の景色。食欲をそそるマー油の香りもたまらない。
はるか昔、筆者も学生時代、生のキャベツが乗ったおいしいラーメンが新宿にあると聞いて太肉麺を食べて衝撃を受けた大勢のうちの1人。おそらく37~8年振りの太肉麵となるが、まろやかなスープとマー油のコク、少し固めの中太ストレート麵、箸休めにもなるシャキシャキキャベツ、そしてなにより口の中でトロリと溶ける太肉は昔と変わらない懐かしい味がした。
「30年ぶりに来たんだよとか、学生の頃よく通ってて、何十年ぶりかに来たんだよっておっしゃるお客様がたくさんいらっしゃるんです。でもそれを続けられるのは、店長はじめスタッフが暑い中でもスープを取って、やり方もずっと大事に守ってきてくれてるからだと思います。変えていくべきところは変えていかないといけないと思いますが、守り続けていくべきところの見極めと、そこはやっぱり大事にしていきたいなって思います」と、小林さん。
枠にとらわれない発想力と大胆さの一方で、緻密に研究をするのが好きだったというサツキさんは東京に出店したのち、こんなことを語っていたという。「数は少なくてもいいから、東京に出すからには名店として残りたい。名店になりたい。そうしたら忘れられないで、ずっと続けられるから」と。
『桂花』が熊本ラーメンを東京に根付かせ、半世紀を超えた。「祖母が一杯一杯に込めた想いを私たちが受け継いで、人生に寄り添う一杯でありたい。100年経ったときもこの末広店でいたいです」と、サツキさんの孫の小林さんは最後にこう話した。
きっとこの先も『桂花』のラーメンが食べたくなったら、この場所に来れば懐かしい味が待っていてくれる。『桂花ラーメン』は、まぎれもなく新宿の名店だ。
取材・文・撮影=京澤洋子(アート・サプライ) 画像提供=桂花拉麵株式会社