足尾鉱毒事件史跡
現存することに驚きつつ 苦難の歴史をしのぶ
渡良瀬川と聞いて避けて通れないのが、明治時代に大問題になった足尾鉱毒事件。板倉町内(旧海老瀬村)の旧家の当主だった松本英一が鉱毒事件の指導者だったため、松本宅に被害者の救済本部が置かれた。明治34年(1901)12月28日から本部と同じ敷地内にあった施療所は、翌年2月に近くの松安寺(写真)に移され施療は5月25日まで続いた。
●見学無料(板倉町文化財資料館に申し込み)。
三県境
小さな水路に笑みがこぼれる脱力系新名所
3つの県の境が1カ所に集まる場所を三県境という。全国で40以上あるがほとんどが山頂や川のなかで、簡単に行けるのは全国で唯一ここだけ。もともと栃木とは渡良瀬川、埼玉とは谷田川が境だったが、河川改修で流れが変わったため歩いて行けるようになった。そばには整理番号を9にそろえて4県を通過する日本唯一の主要地方道「県道9号佐野古河線」も通る。
●見学自由。
食事処 季楽里
打ちたてのそばやうどん 揚げたての天ぷらに舌鼓
「板倉町むらづくり特産品加工組合」の女性組合員が腕を振るう。国産ソバに群馬産うどん粉、コシヒカリの米や新鮮な野菜は地元板倉町産と、食材へのこだわりは半端ない。またそば・うどんは手打ち、ダシは返しから手作りと妥協がない。地元食材、手作りのジャムや味噌など加工品も売られており、その味噌が入ったかぼちゃまんじゅうはみやげにオススメ。
老沼家
誰もが心当たりのあるノスタルジックな店
明るく陽気な老沼直江さんが60有余年1人で切り盛りする昔ながらの焼きそば屋。コンクリート床に鉄パイプのイス・テーブルが並ぶ店内は、昔の大衆食堂と駄菓子屋をミックスした感じ。店主と常連客の会話込みで昭和中期的雰囲気にほっこり。21世紀なのはなぜか壁に15枚も貼られたカレンダーのみ。
高鳥天満宮
吉田松陰も祈った? 「願掛け撫で牛」
臥牛(ねうし)像を土で模したユニークな「願掛け撫で牛」で知られる。これは、家に持ち帰り、学業成就や試験合格などの願いを込めながら撫で、願いが叶ったら神社に返納するもの。吉田松陰の『東北遊日記』には、谷田川を舟で渡って天満宮の参道を歩き、利根川に出たことが記されている。
赤城塚古墳
鏡ばかりか鏡を刻んだ碑も相当めずらしい
古墳時代前期の築造と思われる直径30mほどの小さな円墳だが、延宝5年(1677)に古墳の頂部分を削った際に出土した鏡で有名。鏡は希少な「三角縁仏獣鏡(さんかくぶちぶつじゅうきょう)」で3世紀頃の中国(魏)製という。仏像が描かれた鏡は国内に数えるほどしかなく、ここのと同じデザインは一つもない。安政4年(1857)建立の鏡陵皇太神碑に、発見のいきさつが刻まれている。
●見学自由。西岡1662(西丘神社境内)
安勝寺
2つの寺号を合体 ありがたみも2倍?
安楽寺と最勝寺という2つの寺が1952年に合併して誕生。火災で長いこと仮堂だけだった安楽寺の境内に、無住だった最勝寺の本堂と阿弥陀堂を移築し、2つの寺号から一字ずつとって改称。あまり聞いたことがない命名である。縁起はともかく、写真の宝篋印塔(ほうきょういんとう)と梵鐘は一見の価値あり。
勝軍地蔵
堤防の際に佇む珠玉の石仏
甲冑をまとい、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)を持って馬に乗った地蔵尊。火事避けの御利益くらいしか思い浮かばないが、昔は道祖神的な存在でもあったようだ。ふくよかな表情と見事な彫りが印象的な丸谷のものは町指定重要文化財。石仏事典に載っており石仏ファンに知られた存在とか。
●拝観自由。大高嶋丸谷(長良神社)/群馬県板倉町岩田2290
昆虫千手観音像
インパクトある板倉版「玉虫厨子」
カブトムシ、オニムシ、タマムシ、カナムシ、カナブン、カミキリムシなど約2万匹の昆虫を使って制作された。板倉町在住の男性が、虫供養になるか半信半疑になりつつも6年がかりで1975年に完成。人形の型に針金やピンで虫を刺したため、標本の集合体ともいえるアイデア作品だ。
●無料。8:30〜17:15、月・祝休。群馬県板倉町板倉2698(板倉町中央公民館内) ☎0276-82-2435
取材・文・撮影=飯田則夫
『散歩の達人』2019年6月号より