干菓子の卸専門店としてスタート。
JR総武線両国駅から徒歩3分、京葉道路沿いに店を構える『半生菓子司 とし田』の創業は大正10年(1921)。初代の年田政太郎(まさたろう)氏が両国で干菓子の卸専門店を開いたのが始まりだ。
3代目店主の年田善政(よしまさ)さんによれば、初代店舗は関東大震災により焼失し、2代目が回向院(えこういん)近くの両国2丁目の自宅兼工場で卸売りを再開。両国の新国技館の使用が昭和60年(1985)1月場所から始まったのを機に、同年5月に現在地で小売りを始めたそうだ。
干菓子と半生菓子って?
『半生菓子司 とし田』が看板に掲げてきた半生菓子と干菓子とは、どんなお菓子を指すのだろう。どちらも冷蔵庫のない時代に、日持ちのするお菓子として重宝されてきたという。水分量がポイントとのことで、最も水分量が少ない干菓子の一例は落雁やせんべい。生菓子と干菓子の中間に当たる半生菓子は最中や州浜などを指すそうだが、饅頭や羊羹など、一部生菓子と重なるものもあり、簡単に分類できるものではないらしい。
コロナウイルスの蔓延により、主な顧客だったお茶席や観光地からの依頼が減ったのと同時期に熟練職人さんが体調を崩したことから、製造を縮小したという。現在通年で店に並ぶお茶席向きの干菓子はなく、半生菓子は「花氷(はなごおり)」のみ。寒天液を固めたものをカットし乾燥させたもので、艶干錦玉(つやぼしきんぎょく)や琥珀糖(こはくとう)とも呼ばれる。外側はシャリリとした食感で、中はみずみずしさが残り涼やかだ。
『すもうねこ』の焼き印を押したどら焼きが人気商品に。
じわじわと人気が高まり、今やおし押しも押されもせぬ愛され商品となったのは、漫画家のはすまるさんによる4コマ漫画『すもうねこ』の焼き印を押したどら焼きだ。あまりの愛らしさにこの日もたくさん注文してしまった。
このどら焼きが誕生したのは2011年。『すもうねこ』の連載が2010年にはじまったばかりだったことから、漫画も街も共に盛り上がろうとコラボ商品を開発したそうだ。最初は気をつけの姿勢のすもうねこの焼き印を押していたそうだが、どすこいの焼き印に変えた頃から人気が急上昇したという。
通年作られているのは「すもうねこ(栗入つぶあん)」とこぶりな「すもうねこ(つぶあん)」、楕円に焼いた皮1枚に餡を挟んだ「ねこちゃんこ(栗入こしあん)」と「ねこ檸檬ちゃんこ(レモンあん)」の4種類。このほか夏はパイナップルあん、秋には抹茶あん、冬にはみかんあんが登場する。
国産小麦を使っているという生地はしっとりもちもち。お土産用に買う人が多いことから、時間が経ってもパサつかないよう、餡はゆるめに仕上げているそうだ。大粒の栗が真ん中に入る栗入は特に人気が高いようで、お話しを伺っているうちに売り切れた。あまりの人気ぶりに季節限定商品から通年商品になったというレモンあんは、白あんにレモンピールがたっぷり入り爽やかだ。
大福は本場所中(両国国技館)しか食べられない!
街の人たちが楽しみにしているという大福は、本場所中しか作られない。同店は餅菓子店ではないけれど、お客さんからのリクエストが多かったことと、本場所中の景気づけになればと始めたそうだ。豆大福と草大福の2種類で、それぞれ通常サイズの「大入り」のほか、大きな「横綱」、やや大きな「大関」、ひとくちサイズの「序ノ口」の4サイズがあり、それぞれのサイズにファンがいるそうだ。
柔らかく滑らかな餅生地に甘い餡がたっぷり詰まっている。通常サイズよりふたまわりほど大きな横綱サイズは、お茶をたっぷり淹れて挑みたい。
ここから話は相撲に及び、3代目の善政さんによると「有名な力士ばかりではなく、まだ名前の知られていない、これから上を目指す若い力士を応援するのも楽しいですよ。」とのことで、目を細めながら応援している力士の話を聞かせてくれた。
少し敷居が高く感じられる干菓子から、親しみやすいどら焼きや大福へとゆるやかにシフトチェンジしてきたことからも読み取れるように、同店は時代に合わせて軽やかにチャレンジを重ね、変化を受け入れてきた。大河ドラマへ和菓子を提供したり、文化交流のためにインド向けのオンライン和菓子教室を開催したり、『すもうねこ』とのコラボ商品を開発したり、ついには和菓子の枠を超えてマスクやエコバックの開発まで手がけたそうだ。
現在はすべての和菓子を一人で作っているという善政さんの身近な息抜き法は、隅田川の両岸に整備された水辺空間、「隅田川テラス」をぷらぷらと散歩することだという。「川沿いの景色を見ながら浅草まで歩くのは楽しいですよ」と忙しさを感じさせない穏やかな笑顔で教えてくれた。
※商品価格は2022年5月取材時のもの。同年6月以降に改定予定。
文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)