昭和5年創業。花柳界や画壇の交流の場としても存在した
東京メトロ銀座線、日比谷線上野広小路駅A4出口から徒歩1分。にぎやかな中央通りからたった1本入るとオレンジの看板が目に入る。
昭和5年(1930)、初代店主・石坂一雄さんが「お箸できれるやわらかいとんかつ」のキャッチコピーで開店したのが『井泉本店』だ。初代の孫であり、4代目の石坂桃子さんに話を聞いた。
「創業当時、豚肉はとても固くて食べにくかったそうです。それを、私の祖父が『どんな人にも食べやすいとんかつにしたい』と、豚肉の下処理などに工夫をこらし、お箸できれるやわらかいとんかつを開発しました。店名は、絵を描くのが好きだった祖父の画号『井泉(せいせん)』から付けられました」と桃子さん。
開店するやいなや、“箸できれるやわらかいとんかつ”の噂を聞きつけた人たちが押しかけたという。さらに桃子さんが続ける。「当時の様子が記録に残っているんですけど、店の前は朝から晩までず〜っと長い行列で、毎日600人ものお客様があったようです。私が仕事に就いてからの記憶ですが、コロナ前でも最高の来客数が600人弱でしたから、当時の盛況ぶりがどれほどだったかわかりますよね」。
現在地は、かつて湯島同朋町といわれ花街が存在し、昭和30年代までは2階の座敷で芸者衆が踊っていた。また、主人が画号を持つほどの腕前というのもあったのだろう。この店には新古典主義を代表する日本画家・前田青邨(せいそん)をはじめとした日本画壇の人々との交流も盛んだった。
名物かつサンドはヒレかつ、パン、ソースの絶妙なバランスがロングセラーの秘訣
古い木造建築の懐かしい匂いも興味深く、お店の歴史について長くなったが、さて、本題のかつサンドである。
日本のかつサンドの発祥といわれる『井泉本店』。初代女将が、芸者さんが食べても口紅が落ちない小ぶりなパンではさんだものを考案したそうだ。90年以上も愛される理由は、どこにあるのだろう?
「それはもう、やわらかいヒレかつとパン、ソースの絶妙なバランスですね」と桃子さん。昔ながらの製法で作るとんかつに淡白なパン、カツサンド用に開発した甘みの少ない特製ソース。「この3つの味が絶妙にバランスよく重なって、みなさんに愛され続ける味になっているんですよね」と、その理由を語ってくれた。
そして、「パンには何度も悩まされました。時代とともに頼んでいたパン店さんが潰れちゃったり、工場を縮小するから受注できなくなったとか……。本当に大変で。そういうことが起きるたびにいろいろ試して、井泉のとんかつとソースに合うものをなんとか見つけてきたんです」とも。伝統の味を守り続けながら歴史を重ねるうちには、時の流れとともに乗り越えてゆかなければならない苦労があるのだ。
テーブルに運ばれてきたかつサンドにおそるおそる手を伸ばした。指で持っているだけであとがついてしまうフワフワのパン、甘さ控えめのソースをたっぷりまとわせたヒレかつは柔らかく、そしゃくするごとに旨味が増して胃に吸い込まれていった。1つ、また1つと手が伸びるが、6つ食べ切るころには満足感があった。
もうちょっと食べたいゾという人は、9切れ1400円(テイクアウト1380円)をいかが? おいしいものが好きな人へ、差し入れにしても喜ばれそうだ。
魅惑の3頭身! マスコットキャラクターのいせとんがかわいすぎる!
店の看板で、入り口で、はたまたおしぼりや紙ナプキンなど、しばしばこちらに手を振ってくれているブタのキャラクター・いせとんにお気づきだろうか。
ストンとした3頭身、短すぎる手足、つぶらな瞳でやさしく微笑みかけるその表情……。か・わ・い・すぎるっ! 実はこのキャラクターは桃子さんの父である2代目がデザインしたのだそう。
「祖父は絵を描いているのを知っていましたが、父のそんな姿はみたことがありませんでした。でも、これを見ると絵がうまかったんですねぇ(笑)。店内でヒレかつ定食をお召し上がりのお客様で、公式ホームページのクーポンを表示していただくと、いせとんが描かれたオリジナルシールを差し上げています」と桃子さん。
オリジナルシールは書を初代、いせとんは2代目が、そして上野の人気者・ジャイアントパンダは桃子さんが描いている。なにをかくそう、親子3代共演の超レアアイテムだったのだ!
全国各地にのれん分けされた店舗があり各店でいせとんに会えるのだが、立体に会えるのはここだけ。
次は店内でヒレかつ定食を食べてオリジナルシールをもらい、おやつ用にヒレかつサンドをテイクアウトするという手もアリだな、ふむふむ。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢