下り列車は蒸気機関車(977号機)牽引の8両編成で、地滑りに飲まれたとき後ろ2両の客車は連結器が外れて斜面へ残されたものの、その他の客車と機関車は、駅舎、ホーム、線路と共に海へ沈んでしまいました。死者は111名(または112名)。関東大震災における鉄道関係の被害では最悪の事態でした。この時の慰霊碑が根府川駅の跨線橋脇にひっそりとあります。
海へ没したホームは魚礁となりダイビングスポットとなった
関東大震災発生から10年後、海中に没していたままの機関車は引き揚げられました。当時の新聞(東京朝日新聞1934年9月24日朝刊)記事見出しでは「大震災12年目に海中列車引揚げ 思ひ出は悲し根府川の沖合 不気味な車台現る 人骨既に無し(潜水夫の談)」と、引き揚げの詳細が報道されました。
新聞によると、鉄道省(当時)は引き揚げ費用の関係から機関車所有権を放棄しており、真鶴の業者が鉄道省の了解のもと、サルベージを行なったとのことです。沈んだ機関車と客車を海底に沈めたままだと気持ちが悪く、引き揚げることによって海を鎮める気であったと、業者の談があります。機関車の鉄材は一部を鉄道省へ寄付し、その他はリサイクルされました。現在でも「977」という曲がった機関車プレートが、大宮の『鉄道博物館』へ収蔵されています。
機関車と客車が引き揚げられた後の海底は、あちこちに散らばった車両の残骸と駅の構造物が残され、海藻が育ち、魚が集まる魚礁となりました。やがて海底に沈んだホームと漁礁がダイビングスポットとなります。海に潜って遺構を見ることができるのです。潜る術があれば。
以前、根府川駅を取材した時にダイビングスポットのセンターへ行き、潜ることができれば遺構が見られると確認しました。その時は何となく潜れたらなと思っていましたが、その後の私は魚を見るためではなく、沈んだ船や飛行機を撮影したいという邪な(?)衝動に駆られ、沈船を撮るんだと謎の熱い思いでスクーバダイビングの講習を受け、認定証を手に入れました。しばらくして、ふと海に沈んだ根府川駅の遺構を撮影しようと思い立ち、潜ることになったのです。2011年12月6日のことでした。
冬の海に身を委ねイシダイに邪魔をされながらホームの遺構が現れる
もうかれこれ11年も前の出来事なので、潜った時の感触は忘れてきました。でも、決してクリアとは言えない水程(視界)から、明らかに人工物だと判別できる塊を見つけたときの驚きは忘れられません。覚えていることを綴りましょう。
ダイビングセンターで装備をつけます。潜るときは2人1組(バディ)が必要なので、認定証を取ったスクールのコーチと潜りました。季節は12月。真冬の寒さに潜るのは酷では?と思いますが、冬の海中水温は高く、ウェットスーツで十分です。
曇天の相模湾へ向けて歩いていき、じゃぶじゃぶと海の中へ沈んでいきます。ある程度沈んだら、波にあまり逆らわないよう、設置されたロープを伝って潜っていきます。地図(チャート)を見ながら遺構を目指します。ただし海底に看板があるわけではないので、バディと現在位置を確認しながら目的の遺構を目指すのです。海中では水質が濁っているなどで目印が判別しにくいことがあるから、細心の注意で進みます。
相模湾はさほど水程がいいとは言えません。南国のように透き通っていないですが、それでも数メートル先は見られます。潜った途端、イシダイが寄り添ってきます。気に入られたのか、テリトリーに侵入したと思われたのか……。私が水中カメラで撮影すると、だいたいの割合でファインダーに入るのです。まるで修学旅行の撮影で必ずダブルピースして入り込む陽気な男子みたい。
と、前方にボヤッと平たい塊が見えました。これは人工物だ! 両手を伸ばしても収まり切れない大きな塊。これがホームの一部分だそうです。確実にホームの遺構かどうかは確証を得られなかったのですが、なんとなくホームの基礎部分に思えました。
地上の遺構では苔や草木に覆われるけれども、海底の遺構は海藻やフジツボに覆われます。水深は10数メートル。僅かな波で海藻がゆらりゆらりと動き、地上で見るものとは異なる静けさに包まれていました。そして、ここにも現れるイシダイ。
次なるポイントには、長細い石垣の列があります。海藻の合間から等間隔に並ぶ石垣は自然のものではなく、ホームの一部であると考えてよいでしょう。全体に海藻で覆われていますが、10数メートルの長さはありそうです。
魚のことは気にも留めず、一見すると岩とも思えるものをずっと撮影する姿は、地上の廃もの撮影とあまり変わりがありませんね。何を撮っているんだこの人は……? 事情を知らない人にはそう見えるに違いない。
ダイビングはボンベの容量を気にしながらの潜水となります。30分を一本として、合計2本潜りました。遺構まで達して見学するのは正味15〜20分となります。遺構の細部までつぶさに観察するには潜る本数を増やす必要があります。このときは2本が限界でしたが、だいたいの雰囲気は感じ取れました。
海藻に覆われた鉄道の震災遺構が眠る姿。海中にいる状況も重なって、静かな時が流れ、レクイエムという言葉が浮かんできます。根府川駅と車両の遺構はダイビングスポット以外の場所にもあるとのこと。海に没したときの姿のまま海底で眠り、これからも魚たちの住処となっていくことでしょう。
スクーバダイビングのほうは、この根府川駅のあとは数回潜っただけです。空撮がメインのために水中撮影まで手が回らず…。余裕が出てきたら再開したいのですが、いつの日になることやら。
取材・文・撮影=吉永陽一