ラーメンマニアの店主が営む小さな横丁の店
『麺屋 賢太郎』があるのは、8件ほどの飲食店が向かい合わせに並ぶきたさん横丁の奥。「高円寺で一番スープがうまい店」と掲げる店は、この場所で営業を始めて2022年で16年になる。
店主の森江賢太郎さんは「幼き頃よりらーめんマニアだった当方は二十有余年に渡り、邪念を排すべく、一人で幾度も全国を食べ廻った」と店内に達筆な字で書き記すラーメンマニア。ラーメン店での修行経験はない代わり、各地でラーメンを食べ歩いては、1人研究を重ね、納得のいくラーメンを作り上げた。
ラーメン屋を開いたのは26年前。その前はお父さんの経営していた医大専門予備校で働き、全国にある医大を訪れては、その地の名店を食べ歩くなどしていた。そして「どうしてもラーメン屋をやりたくなった」と独立。まず新宿で10年、そして高円寺の今の場所に移った。
別々に炊いた3種類のスープがどれもおいしい。だからバリエーションが豊富に
店内に貼られたメニューを見ると、純和風ゆず醤油麺、ぶっつけ塩とんこつ麺、カレー味わい麺、三刀流かさね味わい麺と4種類が売りのようだが、随分と方向性の違うメニュー名が気になる。
「豚骨と鶏ガラ、それから煮干し。スープは3種類全部別々に炊いて、最後に合わせているんですよ。どのスープもそれぞれのよさがあって、どれもおいしい。もったいないと思うので、いろんな味のラーメンを作って出しています」と森江さんは話す。
3種類のスープを使い分けたり、組み合わせたりしたラーメンを提供することがラーメン店を開いたときの最初の発想でもあった。4つのメニューをベースにしながら、ラーメンを作り続けてきた経験に加えて、更なる食べ歩きで得たヒントが加わることでバリエーションはさらに増えた。その上、ほとんどのメニューはつけ麺にもできる。
3種類のスープを合わせた三刀流かさね味わい麺は魚粉と背脂入りでがっしり
3つのスープ全てを合わせて作るから三刀流という、三刀流かさね味わい麺がいちばん人気。麺は後半もおいしく食べられるようにと中太の縮れ麺を採用。その日の湿度を考慮しながら、少し硬めに茹で上げる。
丼にはサバやウルメの魚粉を多めに入れ、そこに熱々のスープを加える。魚粉が醸し出す香りのよさと存在感を味わえる一杯に仕上げるためだ。スープは3種類すべて使っているが煮干しが主体。しかし煮干し出汁にありがちな独特のえぐみは不思議なほどない。
「煮干しは一晩水につけて、低温でじっくりと煮出しています。沸騰する直前ぐらいの火力を保って、アクも徹底的に取り除きますね。だから、煮干しのえぐみは感じないはずです」
豚骨スープが入ることで濁ったスープの味は濃い目。そして背脂も多め。どっしりと脂の甘味が楽しめるスープで力強い。
「チャーシューは今、流行りの低温調理です」と森江さんは冗談めかして言う。確かにこのところ、いろんなレストランで低温調理を活用した料理を見かけるが、『麺屋 賢太郎』は昨今の流行よりずっと前から同じ作り方。75度で1時間半ほど火を入れるが、この塩梅に辿り着くのはなかなか難しかったようだ。ほんのりとした赤みと肉の食感を残しながら、豚肉の旨味も閉じ込めている。
卵も「黄身がとろとろじゃないとね」と茹で加減はギリギリを攻めて仕上げている。中心がクリーム状の黄身と濃いスープが混ざることで、味変したクリーミーなスープがしばし楽しめる。
3種類のスープは灰汁を取り除きながら、ゆっくり火を入れ、チャーシューも火加減を見ながら。森江さんはそんな作業を1人で行って店とその味を守ってきた。一方で次々と自信のあるバリエーションが生まれるのも、アルバイトなどに指導をする時間の代わりに、1人で研究を重ねているからできることなのかもしれない。台湾ラーメンや勝浦式タンタン麺など、近年の話題になっている味にも敏感で、「全部やってみたら、全部おいしかったから」という話すところはラーメンという料理ジャンルのすべてを愛するマニアならではだ。
取材・撮影・文=野崎さおり