本当の焼きたてを提供したい
「これ、ちょっと味見してみて」と店主の齋木さんに個包装の人形焼を渡された。受け取った瞬間、意外や意外、まだ温かいことに驚く。
齋木さんが言った。「これはね。特殊なラップで包装してるから、湯気で曇らないんですよ。だからホントの焼きたてをそのままおいしく食べられるんです」。店の奥では機械が忙しなく動き、焼きあがった人形焼が温かいままラッピングされていく。
食べ歩き用の人形焼は1個100円。10個だと500円。なんだか変な計算ではある。もちろん10個入りを購入した。
甘さ控えめの滑らかなあんこが、甘い香りのカステラ生地に包まれている。しっとりとして食べやすく、思わず次へと手を伸ばしたくなるおいしさだ。
形は3種類。雷門の提灯と鳩は分かるが、もうひとつは何だろう?と思ったら、どうやらこれは浅草寺にある五重塔のようだ。
店では人形焼のほかに雷おこしも扱っているが、人気なのが南京ねじと呼ばれる『三鳩堂』オリジナルのおこし。甘さの中に柿の種の塩味とピーナッツの食感がいいアクセントになっていて、後を引くおいしさだ。20年近くにわたって愛されてきた味だという。
高級バッグ店から人形焼店へ
齋木さんが奥様と仲見世通りで人形焼店を始めたのは20年前の2002年。それまでは奥様のお父さんが高級バッグ店を営んでいた。しかし時代の流れか、売れ行きは次第に下火になっていった。
バッグに替わって売りたいと思ったのは「消費するもの」だった。一度買ったらそれでおしまいのバッグと違い、食べるものは常に需要がある。そこで人形焼の店をやることにした。でも、すでに人形焼店が多くある中でどうやって?
考えたのは「若い人にも食べてもらえる人形焼」。浅草の人形焼といえば知名度は高いが、いわゆる「昔ながらの」といった印象が強い。若い人が手軽に買って食べたいもの、というイメージはあまりないだろう。
そこで生地もあんこも試作を繰り返し、若い人も思わず「おいしい!」と食べたくなるような人形焼を目指したのだ。試行錯誤は今も続いていて、時代の流れに合わせて味も少しずつ変えている。
そしてもう一つのこだわりは「焼きたて」。お土産用は自社工場で別に作っているが、店内の機械で最大7000個の人形焼を作れるという。店で焼いた人形焼はひとつひとつあの特殊なラップで包装しているので衛生的だ。それに何より温かいできたてをお客さんに食べてもらうことができる。
オープンしてから10年ほどは昔からの人形焼店の存在感が強く、お客さんにもなかなか足を運んでもらえない時期が続いた。しかし「おいしい人形焼をお客さんに届けたい」という思いが実を結び、少しずつ店を知ってくれる人が増えていったという。
2017年には店舗も改装し、人形焼を置く台の色や商品を照らす電球まで、お客さんからの目線に徹底的にこだわった。
店頭に立つのが楽しくてしかたない
齋木さんが店を休むことはほとんどない。店に立つのが楽しくてしかたないのだ。仲見世を歩くお客さんと目が合い、声をかける。時には味見もしてもらう。お客さんが「おいしい」と笑顔になって買って帰ってくれる。その反応をじかに見られるのが何よりうれしいと齋木さんは言う。
商売は売るだけ売ってそれで終わりではない。齋木さんはお客さんとの繋がりを大切にしたいと思っている。だから基本は店頭販売のみだ。 管理の目が届かなくなるからネット販売はやらない(ただし、以前買ったことのあるお客さんへの配送は可能)。お客さんとまっすぐに向き合う姿勢が、次につながると信じている。
構成=フリート 取材・文・撮影=千葉深雪