贅沢な1人時間を味わう場所こそ、喫茶店
最寄駅からは歩いて15分ほどの距離。とはいえ川越の歴史ある蔵造りの街並みを楽しみながら散策すればゆうに歩けてしまう。
一番街を抜け、川越のシンボル「時の鐘」を背に路地裏へ潜ると、およそ観光客には気づかれないであろう位置に、店はひっそりとある。
すぐそばにはミニシアターのスカラ座があり、日常にほんのりと文化的な香りも感じられる。
「カラン」と音を立てて扉を開くと、穏やかな音楽と共に、水をうったような静けさがただよう。客は入れ替わり立ち替わり訪れるが、喧騒とは程遠い空気感だ。
店名の「あぶり」とはフランス語で「隠れ家・避難所」を意味する、「abri」に由来しており、名は体を表すとは正にこのこと。
店先には、ぼんやりと過ごす1人時間の相棒とばかりに、多種多様な雑誌が並ぶ。店頭の看板に掲げられた「贅沢な暇つぶし」の言葉が一層染みる。
林さんは、訪れる人が日頃の喧騒から離れて穏やかに安らげる空間であってほしい、という願いを店にこめている。
「何も考えずにボーッとする時間を味わってほしいんですね。それに『食事や会話のついでのコーヒー』ではなく、『時間と空間とコーヒー』とそれぞれを十分に感じていただけたら嬉しく思います」。
専門店として妥協のない味を探求し続ける
店で扱うコーヒー豆は、専属のクラシフィカドール(コーヒー鑑定士)と共に、林さんが季節や時代の潮流をも意識して買いつける。
それを店奥に備える大型のカスタム焙煎機で、毎朝生豆から丁寧に焙煎することによって1日は始まる。
その後開店と共に、店のブラックボードには「今日の味」「今月の味」「旬の味」とその日のラインナップが掲げられる。
「自分自身、コーヒーが好きで、いつか店を開きたかったんです。その為にサラリーマン時代は、休みの日にコーヒーの飲み歩きをし、勉強して、惜しみなく時間を捧げましたね。専属のコーヒー鑑定士と共に今もなお研究は続いています」。
ボードに掲げられたメニュー以外にも多くのラインナップをそろえる。5種の焙煎度合いが異なるコーヒーに、エスプレッソや抽出方法が珍しいエアロプレスや、ペーパーフィルターを使用しない、ゴールドフィルターブレンドも用意している。
フードは控えめに、自家製ケーキとトーストメニューのみ。それも珈琲の種類が多様ゆえ、なによりまずはコーヒーを味わってほしいからという林さんの想いがあるから。
それでも提供するフードメニューにはしっかり手間をかけているところが、この店のこだわりなのだろう。
器にも妥協を許さない。コーヒーカップは主にウェッジウッド製のカップソーソーサーを使用する。
「いろいろ試したけれど、一番コーヒーが美味しく提供できる口当たりのよいカップなんですね。色合いも美しくテーブルが華やぐところもさすがだなと感じます」。
店頭に並ぶ数々の美しいカップソーサーは、選ぶのもまた一興だ。
つかず離れずの心地いい関係がこの店にはある
訪れる客は、観光客ももちろん、古くからの地元客も多い。しかし林さんはその客のことを多くは知らない。
何十回と訪れているけれど、互いに顔は分かりつつも名前すらも知らない。なんとなく空気で互いを感じとっているそうだ。
「あまり無視されても少しつまらないし、だからといって話すぎることはしない。その距離感がいいじゃないですか」。
これも訪れる客の贅沢な1人時間を想う、林さんならではの配慮なのだろう。
「開店当時、若いカップルだった人たちがやがて結婚して再び訪れてくれ、その後子ども連れになっていたり。何かを話すわけではないけれど、姿や形の変化が物語ってくれる。そんな心地いい関係がこの店にはありますね」。
取材・撮影・文=永見 薫