重要文化財となったレンガの変電所は美しさを保つ
思い出のつまった丸山変電所は、アプトの道整備とともに修復され、美しい姿へと生まれ変わりました。以前はドアも壊れて屋根も抜け落ち、建屋内は草も生えるほどの状態でした。現在は屋根もきれいに補修され、壊れたドアも修繕され、しっかりと扉が閉ざされております。内部公開日以外は立入禁止であるけれども、窓から覗くことができます。
変電所建物は2棟あり、横川方の手前は蓄電池室。奥の軽井沢方は発電室でした。2棟がだんだんになっているのは、登り坂の途中にあるからでしょう。建物の線路側は柵など設置されていないので、すっきりとした姿を観察できます。かたや裏手に回ってみますと、目立たぬように黒めの柵が設置され、柵の外側から見て回ることができます。
と、裏側に増設されたと思しき小屋がありました。窓ガラスが割れたまま残されていますね。その姿を見て、朽ちていたあのころを思い出します。小屋内部はいくつか段差があって、トイレ跡かなと一瞬思いましたが、何かの資材置き場にも考えられます。説明板にも記載されておらず、はたして何に使われたのだろうか、ちょっと想像力が働きますね。
変電所の大部分は窓ガラスがすっかりきれいになり、屋根もちゃんと直っています。建屋の周囲は草も刈り取られていて、暖かな陽光と相まって見違えるように美しく保存されています。レンガの建屋をじっくり観察してみると、東京駅赤レンガ駅舎のような豪壮華麗さはないけれども、変電所という質実剛健のフォルムにはアーチや意匠が施されていて、ちょっと優雅で暖かみを感じます。窓枠の曲線が並ぶデザインは素敵ですね。
丸山変電所は、米軍の撮影した1946年の垂直航空写真を見ると、機械室の隣に4棟の大きな建屋があって、いくつか小さな建屋も点在していました。このあたりは線路以外自然の中で、田畑が点在する程度です。それは昔も変わらず、ポツンと丸山変電所の敷地だけ、建物が密集していました。またアプト式時代は、丸山変電所まで複線であり、この先は単線となっていました。信号場も併設していたのですね。
変電所を後にしたアプトの道は『峠の湯』で新線跡とお別れ
さて、丸山変電所を後にします。相変わらずの登り坂が続き、さすがに足も重くなってきます。連続勾配はきついですね。架線柱も残り、線路もあり、24年前までEF63の下ってくる姿がぼんやりと浮かんできます。廃線跡になると架線柱などは撤去されがちですが、ここはそのまま残っているのが良いです。下り線は架線までも残されています。
もし動態保存のEF63がここまで登ってくるのが日常だったら、イギリスで出合った保存鉄道並みの迫力だろうなぁと、下り線を眺めながら妄想しました。実際にEF63が走らせられるかどうかは、クリアする課題が多すぎると思いますが、妄想は勝手なもので、もう頭の中ではあの青い機関車が走っています(笑)
鉄橋が現れました。霧積川橋梁です。といっても、遊歩道なのでしっかりとした柵と舗装された道になっています。ふと川底を見下ろすと、川縁にレンガの橋台跡がありました。これはアプト式時代の遺構で、「碓氷第一橋梁」の名称で架かっていた橋の名残です。鉄橋ではなく三連のレンガアーチ橋で、新線になったとき撤去されました。
橋梁を渡ると、『峠の湯』が現れます。上り線を使ったアプトの道はここまで。この先は新線跡と別れて、旧線跡を使用したアプトの道となります。新線跡は一気に草ぼうぼうとなっていて、その先がどうなっているか窺い知れません。
ですが、安中市観光機構による「廃線ウォーク」が時々開催されており、ガイドと共に新線跡を散策することができます。私はまだ参加したことがないですが、なかなか濃いウォーキングかと思われるので、気になる方はチェックしてください。
地下道を伝って下り線へ出ると、トロッコ列車用の線路が下り線のポイントで別れ、峠の湯駅へ延びています。このポイントは廃止後に設置されたもので、切り替えれば下り線へ行けそうです。以前、新線跡を使用してトロッコ列車を延長運転する計画というニュースを聞いたことがあり、それが実現していたら新線跡をトロッコ列車が走っていたかもしれません。
アプトの道は旧線のほうへ延びています。旧線は整備される前は畦道になっていて、周囲も畑でした。温泉施設ができて廃線跡が整備され、しかもトロッコ列車「峠の湯駅」新設により線路まで少し延びて、廃線跡は進化したのです。
埋められた旧線跡が復活。アプトの道はレンガのトンネルへ誘う
かつて、新線とアプト式旧線が分岐する辺りは田畑でした。ちょっと先に旧国道18号の跨線橋があって、その下を旧線跡の畦道が延びていました。それがいま、峠の湯がどんと構え、トロッコ列車の線路と駅が設置され、ガラッと景色が変わっています。
整備されて景色が変わったとはいえ、旧線跡が歩きやすく整備されたのは良いことです。旧国道との交差付近から軽井沢方面の線路敷きは、切り通しと第1トンネルがありました。しかしアプト式が廃止になってからは放置され、じきに切り通しとトンネルは土砂で埋められてしまい、私が1996年に自転車で旧線跡を辿ったときは、いまいち場所がピンときませんでした。第1トンネルの入り口(ポータル)上部の石垣が、土から顔を出していたような記憶があります。記憶違いだったらごめんなさい。
そのように、長らく不遇な時代を過ごしていた旧線跡。アプトの道として脚光を浴び、切り通しとトンネルが発掘(?)されて、見違えるようにきれいになりました。埋没の時代を知っている者としては、現在のハイカーが笑顔で行き交う姿にほっこりとします。
切り通しを過ぎ、重厚な石積みで組まれたトンネルに入ります。これから先、第10トンネルまで10ケ所のトンネルに潜ります。どの入り口出口のポータルも意匠が施され、石積みであったりレンガ巻きであったりと多種多様です。その造りの違いを観察して歩くだけでも楽しいですね。
トンネル内は照明が灯され、安心して歩けます。照明ボックスは低い位置にあり、湾曲した支柱から、現役時代の第三軌条の集電部分を連想します。というのも、旧線は横川と軽井沢駅構内は架線集電でパンタグラフを使用し、その他の区間は線路脇にもう1本集電用レールを備えた第三軌条方式でした。そのため線路脇の低い所には、第三軌条のレールが寄り添っていて、その姿とこの照明がオーバーラップしたのです。
トンネルを抜けると眩い若葉が目に入り込んできます。訪れたときは芽吹いた若葉が初々しい春先。これから梅雨を開けたら、深い緑と心地よい風が心地よいことでしょう。トンネルは風の通り道にもなります。逆に秋だとちょっと寒いので、そこそこ防寒着があったほうがいいかも。
碓氷第二橋梁を渡ります。重厚なレンガアーチであり、整備される前は旧国道からここに到達するまで、木々と草をかき分けねばならなかったから、いとも簡単に橋梁を拝めて拍子抜けしてしまいます。この先は第2トンネル。散策道の傍らには錆びた古いレールが数本放置されています。モニュメント的にわざと置いたというよりは、廃止時に放置されたままと思ったほうがしっくりきます。このレールはアプト式の記憶があるのでしょうか。
第2トンネルは第1と同じように不遇の時代があり、長年土砂で埋まっていました。軽井沢方出口は土から半分顔を出した状態であったのです。トンネルは旧国道18号線のすぐ真下にあって、土砂で半分埋もれた姿は哀愁が漂っていました。それが立派な散策道となって、見違える姿になったのです。
さあ、旧線跡のアプトの道はこれからが本番。トンネルも第3、第4と続いていき、その先には日本最大級のレンガアーチ橋「碓氷第三橋梁」が控えています。次回、お伝えします!
取材・撮影・文=吉永陽一