桜田門外への道程と水戸藩士たち ~渋沢栄一と仲間たちの足跡をたどる③
「これで打合せはすべて終った。明朝、六ツ半までに愛宕山上に勢揃いする」<吉村昭『桜田門外ノ変 下』(新潮文庫)より>「桜田十八士」のリーダー、関鉄之介のこの言葉を合図に、作戦会議は終わり、酒が運び込まれた。成功しても失敗しても死は免れない今生との別れの宴だ。決行前夜、やがて夜半には雪がちらつきはじめる──。日本史上、最も著名な暗殺事件といっていい、桜田門外の変。実行犯は水戸藩を脱藩した浪士17名と、薩摩藩を脱藩した浪士1名。彼らの大半は東海道の一つ目の宿場町、品川宿で前夜を過ごしている。その品川宿を起点に、彼らが実際に歩いたルートをたどってみたい。『青天を衝け』では第9回で桜田門外の変が描かれている。暗殺された井伊直弼のライバルが水戸藩主・徳川斉昭。栄一の飛躍のきっかけを作った慶喜や昭武の父だ。直弼との政争に敗れ、蟄居を命じられた斉昭の無念を晴らすべく、水戸藩士達が立ち上がったのが桜田門外の変だ。20代前半だった栄一は、地元・血洗島で江戸への思いを募らせていた頃だ。