史跡の記事一覧

101〜120件(全294件)
noimage
【週末民話研究】関東最恐の縁切スポット、板橋区の縁切榎
板橋区本町に「関東最恐」と言われている縁切りスポットがあるという話を聞きました。その名も縁切榎(えんきりえのき)。縁切りと言うとなんだか物騒な感じですが、飲酒などの悪癖を断つことや、悪縁を断ち切り良縁を繋ぐといった開運の意味で現在は人気の様子。縁切榎は一体いつから関東最恐の縁切りスポットとして知られるようになったのでしょうか。今回はその由来や歴史を探るため、実際にこの木のある場所を訪れてみることにしました。
noimage
戦国時代の寺社の役割。現代につながる街づくりと強さの秘訣
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。 戦国がたりの刻とあいなった! 突然であるが皆の衆!大須商店街は知っておるか?大須商店街は名古屋の中心にある商店街じゃ!様々な店でにぎわっており、甘味やなごやめし、異国の料理の店も立ち並んでおって食べ歩きに参る者も多い。名古屋城からも地下鉄を使えば15分、立ち寄りやすく人気の観光地である!老若男女が集うこの商店街、実は今から400年前の江戸時代初期から続く歴史ある場所なのじゃ。此度の戦国がたりでは『どうする家康』の本筋から少し離れ、戦国時代の街づくりについて触れて参ろうではないか!
noimage
北海道稚内駅の先へ。最北端の廃線路は駅舎内を突き抜けている
稚内駅はご存知のとおり、日本最北端の駅です。最南端の駅である「鹿児島県の指宿枕崎線西大山駅から稚内駅」のモニュメントがあり、枕崎駅より3099.5kmの表示もされていて、駅全面で最北端アピールに包まれています。
noimage
クラウドファンディングで美しい姿へと蘇る、深名線の廃駅舎
北海道雨竜郡幌加内町は、函館本線深川駅と宗谷本線名寄駅を結ぶJR深名線が通っていました。線路は深川から盆地の幌加内町を北上し、朱鞠内ダムと人造湖の朱鞠内湖をまわり込みながら名寄へと向かっていましたが、1995年9月3日に廃止となりました。
noimage
【週末民話研究】日本橋周辺の水問題を解決した「名水白木屋の井戸」
古くから「日本の中心」と呼ばれ、江戸時代から商業・文化の中心地として栄えた日本橋。東海道や中山道を含む「江戸の五街道」は、この日本橋を起点として始まっています。今も昔も華やかな日本橋ですが、完璧な土地であったかというと、必ずしもそうではなかったようです。江戸時代初期、この日本橋一帯の井戸水は飲料に向かない塩分を含んだものだったそうで、住民は生活に大切な水問題に頭を抱えていたといいます。今回はその水問題を解決した、ある呉服屋の不思議な話をご紹介します。
noimage
【週末民話研究】江戸文芸「隅田川物」の起源となった親子の悲話「梅若伝説」
「梅若伝説」は、墨田区に伝わる母と子の悲しく切ない伝説です。古くからこの伝説は能や狂言、歌舞伎、浄瑠璃など、様々な分野での創作の題材となりました。室町時代、世阿弥の子である観世元雅(かんぜもとまさ)がこの伝説を題材に作った能楽作品「隅田川」は、江戸時代に入ると江戸文芸の創作の下地となり、やがて「隅田川物」というジャンルを確立していきます。今回は、そんな梅若伝説のゆかりの地である隅田川を挟んで存在する、二つの史跡を訪ねてみることにします。
noimage
徳川家康殿の最大の危機⁉ 三方ヶ原の戦いとは!
皆々、息災であるか。前田利家の戦国がたり、開幕である!戦国がたりも早いもので第十回目とあいなった!!そんな区切りの此度は、徳川殿の人生において最大の危機とも言えるであろう『三方ヶ原の戦い』について紹介いたそうではないか!
noimage
池波正太郎生誕100周年。『鬼平犯科帳』『仕掛人・藤枝梅安』の舞台を歩く
池波正太郎がこよなく愛した東京の下町。『鬼平犯科帳』や『剣客商売』など、人気の池波作品ではその魅力が余さず表現されている。それはつねに氏が町を歩き、実際の空気感を描き出していたからに他ならない。そんな池波正太郎の世界を訪ね歩く下町散歩の第2回目は、本所の総鎮守として親しまれている牛嶋神社からスタート。
noimage
室町幕府将軍はどのような存在だった?偏諱(へんき)、一族の通字(とおりじ)について
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。月が変わって四月となり、皆々も新しき日々に挑んでおるさなかではなかろうか。大河『どうする家康』では徳川殿が今川家を滅ぼして遠江を手中に先し、二国を治め、歴とした大名として新たな一歩を踏み出したところである。先日の大河では、徳川殿が京へと赴き、将軍足利義昭様に謁見する場面が描かれておった。此度の戦国がたりでは戦国時代の室町幕府についてのおもしろき話を紹介して参る。 いざ参らん!
noimage
都内に残されたままのパラボラアンテナと米軍基地の跡
東京都府中市。京王電鉄東府中駅の北に、航空自衛隊府中基地があります。そのさらに北側に、昼でも鬱蒼と樹木が茂って薄暗い手付かずの場所が見えてきます。美術館通りと名付けられた道路沿いには頑丈な高いフェンスで覆われ、廃墟の建屋が見え隠れします。ここは米軍府中基地跡です。最初に断っておきますが、米軍府中基地跡は立入禁止です。廃墟が目の前に見えますが、決して侵入してはなりません。道路沿いからでも十分観察できます。
noimage
【週末民話研究】かつての吉原遊廓を歩く(後編)
遊女屋が集まる場所として、江戸幕府公認で江戸郊外に作られた「吉原遊廓」。街の持つ闇、特殊な文化は創作などの題材としても多く用いられ、吉原が花街として現役だった江戸時代から多くの人を惹きつけてきました。現在は日本最大のソープランド街として認知されているこの地に、当時の面影を感じる場所はあるのでしょうか。前編に引き続き、吉原遊廓のあった東京都台東区千束四丁目と三丁目周辺を実際に歩きます。
noimage
【週末民話研究】かつての吉原遊廓を歩く(前編)
遊女屋が集まる場所として、江戸幕府公認で江戸郊外に作られた「吉原遊廓」。街の持つ闇、特殊な文化は創作などの題材としても多く用いられ、吉原が花街として現役だった江戸時代から多くの人を惹きつけてきました。現在は日本最大のソープランド街として認知されているこの地に、当時の面影を感じる場所はあるのでしょうか。今回は吉原のあった東京都台東区千束四丁目と三丁目周辺を実際に歩き、遊郭という特別な場所と、そこで生きていた人々に想いを馳せてみます。
noimage
大河ドラマに登場した重要人物2選。知ればもっと『どうする家康』が楽しくなる!
皆々、息災であるか?前田利家の戦国がたり、第8回開幕じゃ!!今までの戦国がたりでは戦国の豆知識や史跡紹介をして参ったわな。じゃが此度は少し色を変え、人物紹介の巻である。題して『大河がもっと楽しくなる、隠れ重要人物2選』じゃ!盛り上がりを見せる『どうする家康』に登場する、まだそれほど詳しくは語られていない登場人物を簡単に紹介して参る。ではいざ参らん!!
noimage
二度にわたり大軍を退けた不落の上田城。城内の見どころと眞田神社を訪ねる!
皆の者!息災か?ヽ(*´∀︎`)ノ我こそは信州上田おもてなし武将隊 真田左衛門佐幸村なり!( ̄^ ̄)前回、上田城の案内のまだ途中であったのぉ……(* ̄― ̄) しかも、前回から間があいたのぉ…… ( ̄― ̄; 全て…… 徳川の陰謀じゃ!(; ̄Д ̄) 全て狸(=家康の事じゃ)が悪い。( ̄∇ ̄)
noimage
信州上田おもてなし武将隊、真田左衛門佐幸村による上田城案内~前編!
皆の者!息災か?ヽ(*´∀︎`)ノそしてお初に御目にかかる方々よ…我こそは信州上田おもてなし武将隊 真田左衛門佐幸村なり!( ̄^ ̄)私は普段は信州…… わかるか? 現世の長野県のことじゃ!d( ̄∇ ̄)
noimage
清らかな水の町、肥後路をゆく ~豊かな歴史に彩られる城下町ぷらっと歩き旅~
熊本城初代城主・加藤清正の娘である八十(やそ)が綴る、肥後熊本の歩き旅。後編にも、よう足を運んでくださりました!前編では、父が築いた熊本城の見どころを案内しておるので、まだの方はぜひご一読を。 後編では、熊本城を飛び出し、城下の名所をご案内いたしまする。せっかくですから、熊本城を起点に、わたくしなりの歩き旅コースを組んでみました!前編の熊本城観光と合わせ、丸一日かけて楽しめる行程にしてみましたので、参考にしてくださりませ。さっそく、八十おすすめの名所歩き旅へ、いざ出陣!!!
noimage
戦国の基礎知識!同盟とは如何なるものなのか!
皆々、息災であるか、前田又左衛門利家である。戦国がたり第七回開幕じゃ! 此度は皆々に戦国の基礎知識、同盟について話して参ろう!同盟とは、大名家の間で結ばれる軍事協力、或いは戦をしないことを定めた契約のことである。大河ドラマ『どうする家康』でも信長様と家康殿の同盟である清州同盟が描かれておったわな。そこで此度は、戦国時代にあった代表的な同盟やおもしろき同盟について三つ紹介して参ろうではないか!!いざ参らん!!
noimage
埼玉県吉見町~田園風景と丘陵が織りなす“いちご一会”をうたう里~
埼玉県の中央に位置する吉見町。東を荒川、西を市野川に挟まれ、平坦地が多くを占めるなか、西域では丘陵が張り出し、風景にアクセントを与えている。「吉見百穴」に代表される遺構も多く、長く人々の暮らしが営まれていた様子もうかがえる。昭和30年代に始まったいちご栽培は、好適な気候や技術の進歩により一気に普及し、県内一の生産量を達成。担い手の高齢化などにより生産農家が減った現状を、地元では「以前はもっと盛んだったんだけど」と残念がるが、今なお県トップの座を堅持。町を代表する特産品として「吉見」の名を県外にも広めている。
noimage
【週末民話研究】本牧・亀の子石神社の「亀の子さま」と不思議なご利益
「鶴は千年、亀は万年」は、縁起のいい言葉として現代まで続く諺(ことわざ)です。亀は地域や民族によっては信仰の対象でもあり、日本でも昔話や伝説、おとぎ話や民話によく登場します。例として一番有名なものは『浦島太郎』でしょうか。今回は海亀の子供で「亀の子さま」と呼ばれている、神奈川県の本牧地域に伝わる民話を紹介します。
noimage
戦国大名たちも難儀した!戦国時代に大流行した一向宗と一向一揆とは何だったのか?
皆々、息災であるか?前田利家の戦国がたり、第6回である!前回は三河一向一揆について語ったな。此度は「そもそも一向一揆並びに一向衆とはなにか?」について分かりやすく話そうかのう。では、いざ参らん!!
PAGE TOP トップへ PAGE TOP 目次へ