生涯の大半を朝霞で過ごし、今は朝霞駅南口にモニュメントもある本田美奈子. 。 そこに書かれた自作詩 「笑顔」 のとおり、彼女は天性の歌声に加え、 その笑顔と前向きさでも多くの人に夢や勇気を与え続けた。
一方、 「反抗する若者のカリスマ」 と言われた尾崎豊も実家は朝霞。彼は1985年の楽曲 「坂の下に見えたあの街に」 で 「坂道のぼりあの日街を出たよいつも下ってた坂道を」 と歌い、実際その時期に19歳で街を出た。なお2人の実家はほど近い場所にあったが、本田美奈子. の家は尾崎の歌った坂の上のほうにあった。
同じ街で育ち、同じ時代を生きながらも、何もかもが対照的な2人。街に残された記憶を探し歩くことにした。
本田美奈子. ミュージアム
展示のほか、秘蔵映像も上映
まず本田美奈子. については、駅前のモニュメントに加え、 2018年に 『本田美奈子. ミュージアム』 が開館していた。地元の運送会社が彼女の所属事務所の協力の下で始めたこの施設では、彼女が朝霞を愛していたことも、 朝霞から愛されていたこともわかる話を伺えた。
「街の方にこのミュージアムのことをお話しすると、本田さんのお母様と知り合いの方がよくいらっしゃるんです。本田さんは朝霞で野菜を育てていましたし、四つ葉のクローバーを探すのが好きで、市内の黒目川沿いをよく歩いていたそうです。本当にこの街に根づいた生活をされていた方なんですよね」(同ミュージアム・今村倖聖郎さん)
彼女の詩には朝霞の自然も登場。街の店で「ウチにも来てたよ」という話も聞き、彼女が朝霞の街や自然を愛したことが伝わってきた。
/営業時間:毎月第2土・日曜の11:00~15:00開館
一方、尾崎豊の記念碑や施設は市内に見当たらず。しかし彼の育った街に訪れるファンは今も昔も多く、ある種の聖地になっているのが、彼が子供の頃に通った『太陽堂』だ。店内のサインを涙ぐみながら撫で、思い出に浸る人もいるという。
太陽堂
尾崎少年が通った駄菓子屋。店に飾られたサインを撫で思い出に浸っていく人も
「自転車で兵庫県から来た大学生もいたのよ。帰りの電車がなくなった大阪から来たファンの女の子3人を家に泊めて、おむすびを作ってあげたこともあるんだから(笑)」(太陽堂・平山さん)
また 『本田美奈子. ミュージアム』 も全国からファンが訪れているようだ。
2人に交友の記録は見当たらなかったが、尾崎の没後には本田が 「I LOVE YOU」をカバー。真逆な2人だが、愛に真っ直ぐに全力で生きた姿勢が人の心を動かし、 朝霞に今もファンを呼んでいる点は同じなのだ。
朝霞市立図書館 本館
「郷土資料」に2人の書籍が多数
2人の関連書が郷土資料コーナーにもある図書館。特に尾崎の関連書は父や兄の著書や絶版の写真集も揃い、蔵書は50冊超。市外在住者も館内資料は閲覧可。
本田美奈子.
天使のような歌声で人を魅了した歌姫
1967年、東京都板橋区生まれ。3歳から生涯の大半を朝霞で過ごす。1985年に『殺意のバカンス』でアイドル歌手としてデビュー。『1986年のマリリン』などで人気に。1990年代以降は主にミュージカル女優として活躍し、クラシックとのクロスオーバーにも挑戦。2005年急性骨髄性白血病で逝去。
尾崎 豊
若者の苦悩や反抗を歌にしカリスマとなったシンガー
1965年、東京都世田谷区生まれ。1983年、高校在学中に歌手デビュー。『15の夜』『卒業』『I LOVE YOU』など、社会への反抗・疑問や、若い世代の苦悩や愛を歌った曲が人気を博し、「反抗のカリスマ」「10代の教祖」などと呼ばれた。1992年逝去。朝霞の実家で暮らしたのは1976年~1985年ごろ。
取材・文=古澤誠一郎 撮影=松岡 誠
『散歩の達人』2020年10月号より