桜の洗礼
出発地はJR駒込駅。駅を出て真っ先に目に留まったのは、ピンク色の郵便ポスト。
ポストの表面には桜の花模様が描かれている。
豊島区のホームページによると、このポストは駒込がソメイヨシノ発祥の地であることにちなんでいるとか。かわいい。
ちなみにポストのすぐ近くにある車止めパーツも、ピンク色だった。
駅の目の前は染井吉野桜記念公園となっている。
広場の桜は満開。花壇にはネモフィラやチューリップといったカラフルな花々。植物からめいっぱい春を感じ、ウキウキする。
公園内には「染井吉野桜発祥之里」の記念碑が設置されているほか、ソメイヨシノの原種と言われるエドヒガンザクラとオオシマザクラが植えられている。
記念碑によると、駒込の一部が江戸時代は「染井」と呼ばれ、花卉(かき=花を観賞用とする草のこと)・植木の一大生産地であったとのこと。江戸時代以降、この地で多くの園芸品種が誕生した中でも特に知られるのが、ソメイヨシノ(染井吉野)。ソメイヨシノの「ソメイ」は、かつての地名の「染井」からきているそうだ。
ソメイヨシノは1973年に「豊島区の木」に、1984年には「東京都の花」に指定された。東京都のマンホールにも、都の花であるソメイヨシノがデザインされている。
植木屋が軒を連ねていた染井通り
広場を抜け、染井霊園まで続く染井通りを目指す。
江戸市中は「庭園都市」の呼び名のとおり、大名庭園から町人たちの小庭園に至るまで多くの庭が存在していた。その庭園の花木需要をまかなうため、駒込・巣鴨といった当時の郊外で農家が庭園に供給するための花木を栽培していたのだ。
江戸時代後半、この染井通りの左側が大名屋敷、右側に数多くの植木屋が軒を連ねていたという。
当時来日し染井を訪れたイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンは、この染井通りを目にして「私は世界のどこへ言っても、こんなに大規模に、売物の植物を栽培しているのを見たことがない。植木屋はそれぞれ、3、4エーカーの地域を占め、鉢植えや露地植えのいずれも、数千の植物がよく管理されている。」と記している(『江戸と北京』より)。
いやー、タイムスリップして当時の様子を見てみたい。
広い土地が必要な植木屋の商売。時代が進むにつれ、都市化や宅地化に伴い徐々に植木屋は姿を消した。現在の染井通りはマンションや住宅、お店などが中心で、植木屋らしき敷地は見当たらない。しかし染井通り付近には、ゆかりの場所もいくつか残っている。
その一つが、門と蔵のある広場。かつての染井の植木屋・丹羽家の屋敷跡の一部である。
広場の隣は駒込小学校。小学校のすぐ目の前の道には、年季の入っていそうなソメイヨシノの並木が向こうまで続き、一斉に咲き誇っていた。
見上げると、視界のほとんどが桜の花に包み込まれ、ピンク色のトンネル状態。
小学校では今日が卒業式らしく、「卒業式」の看板が立っている。今日卒業した子どもたちにとっては、きっと満開の桜も思い出に刻まれただろうな。
それぞれ大変だっただろう一年を乗り越え、無事に卒業した子どもたちに思いを馳せる。
桜のトンネルの脇には、「西福寺」というお寺がある。
江戸時代、植木屋の敷地では花木を栽培するだけでなく、自慢の花木を門前に並べ、通行人に見せていた。また、植木屋の庭は見て回ることができたという。
歴代の将軍は、植木巡りの際に休憩所として、西福寺に立ち寄っていたとか。
この西福寺は、染井の植木屋の菩提寺。八代将軍吉宗の時代、江戸城内の庭師も勤めていた「樹仙」こと伊藤伊兵衛政武の墓があるほか、伊藤伊兵衛が書き残した園芸書も保管されている。
西福寺で「樹仙」の墓に手を合わせ、かつてこの地で活躍した植木屋たちに思いを馳せながら、巣鴨方面へと歩いていく。
手作りの味わい・巣鴨地蔵通り商店街
さすが「植木の里」と呼ばれる街。駒込〜巣鴨エリアは愛らしい路上園芸の宝庫だった。
駐輪禁止の役目で働くプリムラやナノハナ。
ベンチの置かれたコミュニティ広場では、パンジーやシクラメンの鉢植えがさりげなく彩る。こういった休憩スペースがあること自体が、なんだか素敵だ。
染井霊園近くの石材店の店頭では、立派な石材に盆栽風の鉢植えが置かれていた。
威風堂々たる佇まいがかっこいい。
霊園を抜けると、巣鴨のメインストリートともいえる巣鴨地蔵通商店街はすぐそば。
商店街では、おばあちゃん向けの婦人服や真っ赤な下着が売られており、「おお、おばあちゃんの原宿・巣鴨だ……」とちょっと感激する。
商店街は、オリジナリティあふれる「装テン」や「いい文字」の宝庫でもあった。
店構えや建物もかわいらしい。
妙に目に留まったのは、お手製の注意書き。
灯油タンクやパイロンに貼り付けたものから、几帳面に枠線を引いて文字のサイズを揃えているものまで。
人通りの絶えない人気商店街ならではの隠れた苦労が垣間見えるが、人間味溢れる手作りの感じが、街の雰囲気を物語っておりグッと来る。
商店街を脇道にそれると閑静な住宅街が広がっており、至るところが路上園芸だらけだった。
鉢植えの奥に傘が広げてある一角があり、なんだろう……?と思ってよく見てみたら、傘の下に猫のためと思われる餌。優しい。
そのすぐ近くでは、玄関先で気持ちよさそうにくつろぐ猫の姿を発見。もしやこの猫のためのスペース……?
塀を縦に駆使してバラを育てているお宅も。開花時期はきっと見事だろう。偶然おうちの方が表に出ており、お向かいの鉢植えにもお水をあげていた。
今まで街で路上園芸を見かけるたび、「素敵な路上園芸の隣近所には、いい雰囲気の路上園芸が広がっているな」と思っていたが、その秘密の一端を知れたような気がした。
とある商店の裏手には、室外機がお立ち台となった園芸空間も。室外機と鉢植えの間には、板やペットボトルの蓋を組み合わせた独自の土台。水はけや熱などへの配慮だろうか。
室外機の上のカネノナルキは、ピンク色の花が満開で縁起がいい。
右手では消火器の箱の上にちょこんと鉢が載っているのもかわいらしい。
その目と鼻の先でも、緑に包まれたクリーニング店を発見。
濃いピンク色の花は、ハナモモだそう。時期が来ると建物中が黄色いモッコウバラに包まれるとか。この記事が公開される頃には花盛りかもしれない。
「グリーンフィンガー」の街
ソメイヨシノのふるさとである駒込から、巣鴨にかけて路上園芸目線で歩いてみた。
かつては植木屋が活躍し、広大な大名庭園もあった駒込・巣鴨。
こまやかに手入れされた路上の鉢植えたちに、そのエッセンスが形を変えて受け継がれていることを感じた。
いまロバート・フォーチュンがこの地を再び訪れたら、何を思うだろうか。
文・撮影=村田あやこ