新宿都心のはみだす緑
出発地は新宿駅東南口。
あたりを見渡すと、ルミネや高島屋、甲州街道といった建造物。路上園芸感はゼロだ。
しかし駅を出て歩きはじめたところ、マンホールのスキマに小さな葉っぱを発見。
第一「はみだす緑」だ。
「いたーーー!」と、思わずシャッターを切る。
え、こういうのも路上園芸?と思われるかも知れないが、当「路上園芸学会」(会員1名)では、人が手がける園芸だけでなく、路上のスキマで生きる植物も、路上が育む園芸=路上園芸に含めている。
かなり強引な解釈ではあるが、植物にとっては、そこが鉢であろうとスキマであろうと、環境さえ合っていれば関係ない。鉢から逃げ出してそのへんのスキマに勝手に旅立つものもいれば、逆に鉢にやってきて居座るものもいる。
そういった、街に生きる緑の動態を「路上園芸」ととらえている次第だ。
一見自然とは無縁に見える新宿駅周辺も、きょろきょろしながら歩いてみると、いたるスキマから緑がはみだしていた。
アスファルトで舗装され、ビルが林立する街中は、火山が噴火した後の荒れ地のような環境、と聞いたことがある。もといた生き物がいなくなり、いったんリセットされた状態。そこにまず、土のいらないコケが生え、ほうぼうからやってきた植物がコケを根城にする。
人間中心にできている街中でも、舗装のスキマや空き地、空き家など、何かの事情で人間の管理がゆるくなった場所では、野生がチラリと顔を出す。
ここ新宿でも、マンホールの穴や、道のはじっこのスキマなど様々な場所から、小さな緑が芽吹いている。
建物が壊され更地になった場所が、しばらく経つと草で覆われているのを見かけることがある。そうやって誰も触らず踏み入らず、しばらく放っておくと、やがて草原になり、森になるのだろう。
新宿のような都心部であっても、スキマで今か今かと森への第一歩を踏み出そうとする植物のうごめきを感じると、目の前の景色が、少し変わって見えてくるのだ。
植物は、偶然居着いたその場所が合っていれば生えるし、合っていなければ枯れる。
「ど根性」とか「健気」というよりは、自らセットされた性質に則って生をまっとうするありようが、シンプルですがすがしい。
……と、新宿駅から新宿三丁目にかけて、ひたすらスキマに目を向け、はみだす緑を発見したら、すかさず撮影。やや地味な写真が並んでしまい恐縮だが、大都会・新宿のスキマで虎視眈々と生きる植物たちのうごめきが、幾ばくかでも伝わっただろうか。
街中でちらつく、人の気配
突然だが、新宿で密かに注目している木がある。
とある居酒屋の入り口脇から唐突に生えた、エノキの木だ。おそらく鳥がフンなどと共に落とした種が、うまいことスキマに根ざしたのだろう。
最初に見かけたのが2015年。以来、近くを通るたびに見に行っている。
ある時、木の幹に大事そうに紐がくくりつけられていた。倒れないように、という配慮だろうか。意外に看板娘的な存在なのかもしれない。
そして2021年2月。まだいた。
赤い紐はなくなっていたが、健在だ。
これからも、心のシンボルツリーとして、この木の動向をひっそりと見守り続けていきたい。
こうやって新宿駅から少し離れ新宿三丁目界隈までやってくると、少しずつ人の気配が出てくる。スキマの緑も、こころなしか威勢良いのがおかしい。
車道沿いの植え込みに目を向けたところ、街路樹の中に鉢植えのフジが紛れ込んでいた。近所の誰かがここに置いたものだろう。
公共空間をこっそり「庭」化している様子を「どさ草」と名付けて愛でている。下町と呼ばれるエリアではしょっちゅう見られる光景だが、ここ新宿にも“街角花咲か園芸家”あり。
オフィシャルに植えられた緑に、スキマから顔を出す緑、そして誰かが私的に育てた緑。
街の緑はそういった様々な出自の植物が混在している。一見ガチガチに整備されているような都心部でも、植物や人間は、定められた枠をスルッとはみだし、緑が広がっていく。
生活感が垣間見える大久保の園芸
歌舞伎町を抜け大久保界隈に近づくと、周りの雰囲気が少しずつ変化していく。
韓国料理や中華料理など、各国の飲食店がひしめくこのエリア。看板にも日本語以外の言葉が増えてくる。
エスニックな食材専門のスーパーも。
なかなか海外に行けない今だからこそ、どこか別の国を散歩しているような気分を体験できてたのしい。
新宿駅周辺に比べてずいぶん低い建物が増え、ベランダに洗濯物がかかったところも。生活感を感じ、少しホッとする。
生活感に比例するように、人が育てた緑の存在感が増してゆく。
見事だったのが、韓国料理『松屋』さん。入り口のアプローチが色とりどりの花のプランターに囲まれている。看板奥のシェフレラは鉢から成長したものだろうか。巨大だ。
個人的に「園芸が見事なお店は食事も美味しい」というジンクスがあるが、ここ『松屋』さんも例にもれずとても美味しい。ランチ時はたくさんの人でにぎわっていた。
人の手を半分離れた植物たちも、ところどころで暴れていた。
ハイライトは、新大久保のとある道沿いで見かけた街路樹のプラタナス。幹が柵をすっかり飲み込んでいた。
すっごい!
ドーン!
ドドーン!
……興奮のあまり、アイドルの撮影会ばりに様々な角度から舐め回すように撮影してしまった。見事にパックリかぶりついている様子は、ナメクジおばけといった見た目で、心がざわつく。
本で調べると、木が柵に当たってこすれたところが傷になり、傷が広がらないよう上下から覆いかぶさる、といったメカニズムらしい(参考:『街の木のキモチ』岩谷美苗著、山と渓谷社)。
人工物に囲まれた都市部で生きる植物ならではの、悲哀に満ちた光景である。しかし同時に、「変幻自在に姿を変えて生きたるぜ」という、しぶとさとたくましさをしかと感じた。
「新宿」という、一見植物や自然と縁遠そうなイメージのある街であっても、見る場所を変えてみたり、周辺まで足を伸ばしてみると、様々な形でその場所なりの「路上園芸」の姿を観察できた。
街の雰囲気と呼応するように、植物や園芸のはみだし具合が変化するのがたのしい。
アンテナを張って「はみだし」をキャッチすることで、街中にひそむ余白を感じ、その街に愛着を覚える手がかりとなる。
取材・文・撮影=村田あやこ