攻める創業116年の老舗
JR飯田橋駅東口と地下鉄九段下駅の中間、目白通り沿いにある『ファリーヌキムラヤ』は、明治38年(1905)の創業。銀座の『木村屋總本店』で修行した長野県川中島出身の初代が、暖簾(のれん)分けをして現在の地で開業した。
116年続く老舗ながら身構えるような重厚さはなく、店内は明るく気安い。そしてすぐに気づくのが、総菜パンの充実っぷりだ。
この日の取材が昼前ということもあったのだが、定番で人気1位というカレーパンはもちろん、玉子やフライ系の総菜パンがズラリと並んでいる。その中で毎月のように出されている新作パンがあるのだが、このときはなんとホッケサンドなる、かなり攻めたメニューが。『ファリーヌキムラヤ』の新作パンはなかなかの注目枠で、過去には餃子サンドという攻めすぎたメニューもあった。この老舗には珍しい身軽さは、なかなか魅力的である。
これらの新作を考えているのは、四代目(になる予定)の山崎裕太さん。現在のオーナー、三代目である山崎尚宏さんの甥に当たる。今回は尚宏さんと裕太さんの2人に、いろいろと話をうかがった。
街の変化と店の変化
店ができた当時は、周囲に飲食店はほとんどなく、かなり繁盛したそうだ。その頃はパンを『木村屋』から仕入れて売っており、タバコも併売。さらに喫茶店もやっていたんだとか。
商売を変えたのは二代目。周囲に喫茶店が増えてきたこともあり、隣の建物に工場を作り、自社でパンを焼くように。店はここでベーカリーとなったのだ。今こそオフィスが並ぶ飯田橋だが、かつては水道橋にかけて国鉄の官舎があって地域住民が多く、焼きたてのパンはとても売れたそうだ。
「そのうち(昭和40年代以降)、スーパーができてコンビニができて、仕入れて売っていたパン屋はきつくなっていったんです。うちは自分のところで焼いていたから、なんとかなったんですよ」(三代目・尚宏さん)
しかし、街の変化はまだ続く。国鉄がJRとなるのに併せ官舎のあるエリアが再開発され、オフィスやホテルが建ち並び始めたのだ。店の近くにある『ホテルメトロポリタンエドモント』(JR系列)ができた1985年頃は景気がよく、飯田橋だけでなく都内で建設ラッシュとなっていた。
「その頃は建設現場の職人さんが朝、買っていくことが多かったですね。バブルが弾けて建設ラッシュが落ち着くと、現場の人達が減って、近くに建ったオフィスの人たちに切り替わりました。今度はお昼に食べる総菜パンが売れるようになって、だんだん種類を増やしていったんです。パンもその土地に合わせたパンを作らないと、生き残れないんですよ」(三代目・尚宏さん)
街が変われば、客層が変わる。客層が変われば、店も変わる。現在の『ファリーヌキムラヤ』は、116年かけて現在の形になったのだ。
安くてボリュームたっぷりなワケ
さて、そんな『ファリーヌキムラヤ』のパンは、ボリュームたっぷりなうえに安い。ナンバーワン人気メニュー、カレーパンの断面を見てもらえば分かるだろう。
ドシッといった感じで詰まったフィリング。しかも柔らかく煮込まれた牛肉がゴロッと入っているのだ。辛さは控えめながら、1個だけでかなりの満足感を得られる。
そして売上2位という、チキン竜田揚げサンドも圧巻。明らかにパンより大きいチキンはラー油マヨとの相性もよく、パクパクいけちゃうのだが、これまた1個で腹八分目までいってしまう。こんなパンを食べていたら、近隣のサラリーマンやOLは太ってしまうのでは?
「安くてボリュームあるパンはうちの売りですから。この値段とボリュームは、うちが自社ビルだから実現できるんです」(裕太さん)
15年ほど前に小麦粉を変えて、パンの味が一層、良くなったという。確かにしっとりして甘みのあるパン生地は絶品。パン自体がおいしいからこそ、フィリングがボリューミーでも、パクパク食べられるのだ。
これからが楽しみな老舗
裕太さんはもともとサラリーマンをしていたが、三代目で叔父である尚宏さんに跡継ぎがおらず、一念発起して四代目となることを決意した。店が長い歴史を持っていることもあり、「自分が潰すわけにいかない。常連さんをがっかりさせたくない」という思いは強いという。
しかし、だからといって、なにも変えないわけではない。前述のように新作パンは、すべて裕太さんが考えている。新作のほとんどは、そのときだけの限定なのだが、過去にはレギュラーメニューに昇格したものもあるという。常連さんをがっかりさせないためにも、『ファリーヌキムラヤ』を少しずつ変えていこうとしているのだ。
コロナ禍の影響もあって、明らかな中食の需要が増えた。もともとテイクアウトであるベーカリーは、悪い影響は受けないのだが、裕太さんはさらにデリバリーサービスも考えているという。
116年、続いてきた『ファリーヌキムラヤ』。この先、どのように変わり、どんなおいしいパンを食べさせてくれるのか、未来が楽しみな老舗ベーカリーなのである。
『ファリーヌ キムラヤ』店舗詳細
取材・撮影・文=本橋隆司(ソバット団)