人情行き交う下町情緒のある焼き鳥店
木造建築の一角にある、わずか2.8坪の焼き鳥店。カウンター5席の1階は、新宿の思い出横町やゴールデン街を思わせる雰囲気だ。昭和の雰囲気が濃厚。開け放った扉からは、電車の音と街を行き交う人の声が聞こえてくる。常連さん同士が何気ない会話を交わす様子はドラマの『深夜食堂』さながら。
「屋根のある屋台のようなもんですよ」と、店主の矢吹晶一さんは笑う。
オープンは平成元年(1989)。店主の矢吹さんが、お父さんと始めた焼き鳥店だ。2010年にお父さんは引退し、今では矢吹さんひとりで切り盛りしている。
おしながきを掲げる壁には、「読書は他のお客様にご迷惑なので御遠慮ください」の貼り紙が。開業当時は、カウンターでひとり読書をし、長居する客もいたのだそう。今はスマホが台頭し、読書をする客も見られなくなった。
「でも、やっぱり紙の本が好きですね。印刷された紙の風合いですか。そんな味のある感じがいいですよね」と矢吹さん。
宮崎県産、日向鶏を使う
鶏は宮崎県産の銘柄鶏、日向鶏を使っている。「いろいろ使ってみたんですが、これに落ち着きました。選んだ決め手はヘルシーだからですかね」。
店と共にお客さんも歳を重ね、中高年が多くを占めるようになってきた。だから脂が少なくカロリー控えめ、それでいて身が引き締まっている日向鳥に行き着いたのだそう。備長炭の炭火を使い、それぞれの部位ごとに焼き方を変えて旨みを閉じ込めて焼いている。
盛り合わせセットの5本串は、ネギマ(正肉)とレバー、つくね、砂肝、皮と決まっている。ネギマとレバーは基本タレで、その他は塩で味付けしている。レバーはふわりと柔らかく、皮はパリッと中はジューシーで、程よくついた脂も美味しい。
焼き鳥の焼き方は、お父様の作業を見て覚えたのだという。「親父は昔の人間ですから『見て覚えろ』と言われて、口では教えてくれませんでした。空いた時間に自分で焼いてみたり、休日には他の店に食べに行ったり、そうして仕事を覚えました」。
朝8時半から仕込む鳥スープと焼きおにぎり
「スープを作るために朝8時半には来て、火を起こしています。店が狭いから寸胴鍋は置けないので、大量には作れません。ご飯も一度に炊けるのは3合です」。だから、一度に7〜8人前しかできない。
店内で炊き上げたご飯を、一度白焼きにしてからじっくり味を染み込ませ、また表面にタレを塗って全部の面を焼く。非常に手間隙をかけて作っている。
ぐっと体が温まる鳥のスープもぜひ味わって欲しい。鶏の旨みの中に、生姜や昆布だしがほろ苦く効いた、奥行きを感じさせるスープだ。
きちんとした物を出せるように、客は1度に3組のみ
開店時間になり、2階にもお客さんが入り始めた。細くて急な階段を上がると、ここも昭和の下町のような懐かしい雰囲気だった。
「若い人からは、おばあちゃん家のみたいだって言われます」。2階から注文が入ると、間髪入れない機敏な動きで階段を駆け上がる。無駄のない動きはアスリートのようで、驚くほど。「一生懸命やってるのが、いいんじゃないですかね。いい運動にもなりますよ」と事もなげに言う。
その後も、暖簾の隙間から「今入れる?」と途切れなく客が来る。しかし、一度に対応するのは3組のみにしているという。「きちんとした物を出したいじゃないですか、だから3組だけにしています」と話す。
手間を惜しまず、きちんとおいしい物を作り、行き届いたもてなしする。当たり前のことを怠らず、真面目に、そして一所懸命。それが30年以上続いている秘訣なのかもしれない。
働く人間として襟を正したくなる一言だった。
取材・文・撮影=新井鏡子