なぜ「お前」と呼べないのか
でもそいつだって私のことをお前と呼んでいたし、私は同い年だし、私だけが「〇〇くん」と呼ばなければならない道理はない。友達だってそいつのことをお前、と呼んでいた。しかし私にお前と言われるのは気に触るということか。そのとき私は、どうやらあんまり知らないやつにそう思われてしまう性質なのだと知った。
そんな出来事を思い出したのは約20年後、歌舞伎町で客引きに絡まれたからである。
私はその日、友人のライブを見るため歌舞伎町の奥にある『新宿Motion』というライブハウスに向かっていた。ドンキ横の通り、歌舞伎町のメインストリートを歩いていると、いつものように飲み屋や風俗の客引きが声をかけて来る。酒が入って気分がいい時は「大丈夫っス」などと片手を上げて断ることもあるが、テンションが低いときは基本的に無視だ。が、すぐに次の客引きが寄って来る。
「お兄さん、飲み放題どうですか?」その客引きはなぜか諦めが悪かった。「割引もできるんで」「すぐ近くの居酒屋です」としつこい。軽く会釈をして断りの意を表してもずっとついて来る。それどころか客引きの口調はいつのまにかタメ口になり、言葉の端々に苛立ちが滲み出ていた。「いや、ちょっと待てって、なあ」。歩きながらチラッと顔を見る。色黒で背が高くごつい。少しビビって歩く速度を上げると、「おい」「無視してんじゃねえよ」と早足で追って来る。声を掛けられた地点から50mは進んでいる。異常な執念だ。しまいには「舐めてんのかお前、ああ!?」と私の背中に拳を当て、グリグリと押し付けてきた。わけがわからないが怖い。客引きの顔は怒りに歪み、今にも裏道に連れて行かれそうだ。「い、行くところがあるので」と震える声を絞り出した瞬間、泣きそうになっている自分が情けなかった。私がビビっているのを見て多少心が満たされたのか、客引きはチッと舌打ちをしながら去って行った。
なんなんだ一体。なんでそんなに俺に固執するんだ。
確かに私は客引きを無視した。しかし、客引きなんて半分くらいは無視されるものだろう。今まで数え切れないほど無視されてきたはずなのに何が彼の怒りを搔き立てたのか。やっぱり、私の生まれ持った舐められやすさが原因としか思えない。尊敬できる人に邪険に扱われるのは許せても、明らかに自分より劣っているボンクラ野郎に同じことをされると腹が立つ、人間とはそういう生き物である。
5、6人の客引きが一斉に
そもそも、客引きされる時点で少し舐められているのかもしれない。明らかに強そうな人やモテそうな人に、風俗の客引きはほとんど寄ってこないと最近聞いた。
それを聞いてまた思い出した。7、8年前、これも歌舞伎町の区役所裏の通りを歩いていた時のこと。「かわいい子いますよ」「おっぱいどうですか!」「いちゃキャバ、行っちゃいますか!」と、その場にいた5、6人の客引き全員が一斉に私めがけて声をかけてきたことがある。なんだか人気者になった気がして一瞬うれしくなったが、他にもたくさんの男が歩いているにもかかわらず、なぜ私に集まってきたのか。
きっと客引きだって仕事である以上ただ漫然と声を掛けているわけではなく、少しでも入店する可能性がある人に優先して声を掛けているのだ。ある程度データを集めてきたであろう彼らの目に、私は格好の獲物、要するにめちゃくちゃ性的に不満足な男として映ったのだろう。どう考えても不名誉なことであった。
例えば妻夫木くんのような人が歌舞伎町を歩いていてもあまり客引きが寄って来ない気がする。逆にそんな男前が原宿を歩いたら、たちまち芸能スカウトやファッションスナップのカメラマンが押し寄せて来る。私が竹下通りと表参道を数十セット往復しても何も起こらない。そういうことだ。ただ歩いているだけなのに、いつのまにか誰かに見定められている。客引きからは「欲求不満そうなやつ発見」と思われ、スカウトからは「その他」として処理されている。無慈悲な世界だ。
最近は、歌舞伎町に行くときは背筋を伸ばし、肩で風を切るようなイメージで歩いている。そうすると、客引きに声を掛けられる率が少し下がるような気がするのだ。私なりに、無慈悲な世界と対峙しながら前に進む術を探っている途中である。
文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2020年5月号より